5 泡沫

「あ!わかりましたよ!この人きっと頭打ったんですよ。おじいちゃんに凄い殴られてたから」

「な、なるほど。た、叩いたら、奇跡的に直った……」


 言われ放題だぞ、俺よ。もうちょいマシな生き方と立ち振る舞いするべきなんだろうな、俺よォ……まったく。


 とりあえず俺は後ろでこそこそ言ってる奴らに中指だけ立ててやって、酒場の戸を押し開けた。


 見覚えのある光景。聞き覚えのある喧騒。覚えのある――昼間っから呑んでやがる不良兵士達。足のついてるラムズの爺さん。嫁と息子抱えてはにかんでるルイの姿もある。


 なんだか懐かしい気さえしちまう光景だ。つい数時間前にこれと同じ光景を見たはずだってのに……夢を見過ぎて時間の感覚がバグってる。


 そんな、それこそ夢のような喧騒の片隅で、声が投げられた。


「お!良いところに来たな、英雄!」

「栄転だってよ、俺たち全員無罪放免で配置換え。お前が無茶やらかしたおかげでな!」


 見覚えのあるやつらがそう声を投げてくる。

 栄転?首を傾げた俺の背後で、シェリーとリズが言った。


「確かに、“クイーン”倒したらここの実験も終わりでしょうし」

「ウォーレスも、お、終わり」

「ああ……、」


 あいまいに呟き、俺はこの間と同じテーブル、ソファに付いて、また何となく、酒場を見回した。


 栄転。そうか、そうだよな。配置換えだ。“クイーン”を倒したらここに蟲が現れなくなるんだから、ここに部隊がいる意味もない。


 どっちにしろ、この場所は永遠には続かなかった訳だ。まあ、懲罰部隊だしな。続く訳もねえんだが……栄転。栄転か……。


 なんかぼんやり考えこんだ俺の向かいで、シェリーとリズは早速酒のメニューを物色していた。お前らは結局……あれか。酒に逃げてる分もあったんだろうが、それ以上にただの酒好きだろ。まあ、良いけどよ。


 とにかく、周囲を見回す。


 兵士たちは口々に話している。どこに行きたい。何がしたい。どんな部隊に行きたい、いっそもう軍は辞める。そういう……未来の話を。


「ジンくん!ジンくんは何飲みます?」

「と、とりあえず水?」

「……燃える奴か?イヤだ。ミルクを寄こせ」

「とりあえずスピリットは決定ですね」

「ぎゃ、逆にカルアミルク……の2杯目からスピリット混ぜて、」


 なんか悪だくみしてねえかリズ。まあ、……平和な夢だよな。


「なぁ。お前らはどうするんだ?」

「どうするんだって、何がですか?」

「栄転。無罪放免になったら、その後は?」


 そう問いかけた俺を前に、シェリーは暫し考え込み、言った。


「さあ。辞令待ちですね。どっちにしろ実家には戻れないですし、内務直下もやる気ないですし……軍には居続けます。生活の為に」

「お前……なんかホント無限にたくましいな」

「しぇ、シェリー。も、もし軍が、あれなら。……稼ぎ先、紹介する?シェリーなら、あの、がっぽり。……やたら綺麗な服着れるよ?」

「私をどこに連れて行こうとしてるんですか……。そう言うリズは?どうするんです?」

「は、配属先次第……。小金、稼いで。コネ、作って……行く行く起業?」

「おお!会社出来たら雇ってくれますか?」

「よ、夜の会社か傭兵でも良いなら……」

「あ~、」


 あ~、じゃねえだろシェリー。つうか、なんか……。


「意外と夢ねぇ話ばっかだな、お前ら」

「そんな事言われましても……」

「い、一生ここで飲んでるだけだと、思ってたし……」


 実感わかねえわけだ。まあ、そうかもな。


「そう言うジンくんはどうするんです?」

「げ、原隊復帰?ロイヤルナイツ?……のコネ」

「俺か?俺は……」


 “クイーン”を倒した後。“クイーン”を、倒せた後。

 その後どう生きるか。何が欲しいか……何を目的にするか。


 ソファにだらっと座り込んで天井を眺めた俺の肩を、ふと、誰かが叩いた。


「――――ッ、」


 視線を向けた先にいた奴に、俺は、何となく身構えちまう。


 子供だ。小さな、子供。生まれることのなかった、この、……ハルの罪の世界にだけいる、ルイの子供だ。


 そいつは、俺へと何やらボトルに入った酒とペンを、差し出してくる。


「……なんだよ。くれんのか?」


 その子供……ロイ、だったか?そいつは首を横に振った。


「じゃあ、なんだ?」


 問いかけた俺に、ロイは何も言わず酒瓶とペンを差し出し続けた。


「サイン欲しいとかじゃないですか?」

「こ、こんなでも“クイーン”を倒した英雄だから」


 こんなでもってどういう事だよ。……まったく。


「サイン欲しいのか?」


 問いかけた俺に、クソガキはまた首を横に振りやがった。


「……あァ?何なんだよテメェはよォ、」

「おお、チンピラです!ジンくんが帰ってきました!」

「こ、子供に威嚇。安定のみっともなさ……」


 …………………ク、……まったくよォ。


「なんだ?」


 もう一度問いかけた俺に、その子供は言った。


「サイン、……いらないけど。もらっとけって」

「ハァ?」

「うまくすると、たかくなるって。パパが」


 ルイの奴か。……なるほどな。向こうでルイが目を逸らしやがった。そしてその横で、嫁がクスクス笑ってる。


 もし出世したら、英雄のサイン入りの酒が高くなって……息子の将来金に変わるかもしれないって?そうだな。そう言う未来も、あったのかもな……。


 俺はロイの手からペンを受け取ると、酒のボトルにサインしてやった。


 ジン・グリード。ジンはスラムの頃からあった呼び名だ。グリードは、……軍に入るために戸籍を手に入れる時、偉くなるだの金持ちになるだのさんざん吠えたら適当につけられたファミリーネーム。


 そんなサインの入った酒瓶を持って、ロイは親の元へと戻って行く。


 親、か。……親ってなんだよ。わかんねえな。

 わかんねえけど、家族みたいなもんは、わかった気がする。


「俺は、……出世する」

「急にどうしたんですか?」

「“クイーン”を倒した後、どう生きるかだ。偉くなる。サインが金になるくらいに偉くなってやる。金持ちになって、デカい家に住んで……」


 スラムのガキの夢はそこで終わってた。今は、その続きがわかる気がする。

 多分、デカい家買っても一人で暮らしてたら、つまんねえんだろうなって。


「で、デカい家に住んで。それから……?」

「……軍で出世だ。あ、偉くなるんだ。それで……おう、そうだ。おい、テメェら!」


 声を上げ立ち上がる。そんな俺へと、酒場にいた奴ら。俺の仲間たちが、一斉に視線を向けてくる。それらを前に、俺は威勢の良い笑みを零し、こう、……吠えた。


「テメェら全員、俺の部下にしてこき使ってやるよ。偉くなってテメェら引き抜いてやる。俺がボスだ!俺がボスで……“ウォーレス”再結成だ!俺たちは“クイーン”を倒した部隊だ、そうだろ?最強だろ?だから、ほかの巣も潰して、ありえねえ位な英雄になってやろうぜ!それで……そうだな。そうだ。稼いだ金で、この土地買って、ここで、また皆……」


 ふと、視界が滲んだ。クソ、なんでこんな、俺は……すぐ泣くようになってんだ?


「クソ、」


 呻いた俺の視界は滲み、歪み……ああ、もしかしたら。


 幸福な夢はもう、終わりなのかもしれない。


 景色が遠ざかって行く。酒場が、喧騒が、にぎやかさが、温かさが……消え去って行く。


 その最中、ふと、酒場の隅っこにいた爺さんが、グラスを掲げ上げた。


「……未来ある若者の為に」


 その後を追いかけるように、ルイもまたグラスを掲げ上げる。


「……苦難に挑む英雄の為に」


 そして、……ああ。別れの言葉は続く。


「勇敢に戦う者の為に!」

「明日の勝者の為に!」


 口々に、別れ――激励の言葉を上げて、仲間たちがグラスを掲げ上げる。

 そしてその片隅で、子供は酒瓶を掲げ上げて、言った。


「たかくなるために!」

「フっ、」


 つい、俺は笑う。滲み遠ざかって行く夢の最中、全部全部わかってるのに。わかってるはずなのにそれでも、笑みを零さずにはいられず……。


 そんな俺が、珍しかったのだろう。


「……あ。初めて、ちゃんと笑ってるの見た気がします」

「……し、素面で笑えるようになった?」


 シェリーとリズは、柔らかな笑みと共にそんな言葉を呟いていた。


 同時に、その景色が遠ざかって行く。


「な――、」


 そんな全てを、滲んだ視界のまま見据え。失くしたくないと、俺は手を伸ばし――。


 *


「――待て!」


 声と共に伸ばした手の先には、ただただ澄んだ、冬の空があるだけだった。


 寒い。身体にまとまりついた雪が。半ば凍り付いた蟲の体液が酷く冷たく、喧騒などまるでない。廃墟と化した冬の街の最中、蟲の死骸のど真ん中で、俺はただ何もない空に手を伸ばしていた。


「…………、」


 クソ。

 毒づきたかった。けれど、堪えた。


 けれどそれでも、零れ落ちる涙はこらえきれなかった。

 ああ、わかった。わかったよ、ハル。


 俺は、これを失った。

 お前は、これを……自分で壊したんだな。だから、自分を許せない……。


 泣き続ける。涙だけが温かいセカイの最中、どうしようもなく、涙が流れ続ける。

 どれだけ、そうしていたのだろうか。


 気づくと、涙は止まっていた。流れて少し経った涙の後は冷えて凍って酷く冷たく……それを拭って、俺は立ち上がった。


 身体は、……問題ない。心も、決まった。


 武器もある。右手にショットガン。左手にチェーンソウブレイド。


 両方握ったままらしい。そう思いながら立ち上がった俺の視界には、一面――蟲の死骸が転がっていた。一体何匹いるのかわからない。全部全部、俺が殺ったのか……。


 だが、肝心な奴をまだ殺ってない。この場所の悪夢の元凶は、まだ残ってる。


「フゥ~~~、」


 大きく、息を吐き、雪の最中。廃墟の最中。俺は一歩を踏み出し……と、だ。

 そうして歩き出した俺の視界の隅っこで、何かが動いた。


 蟲だ。死にかけの蟲。足が切り裂かれ大鎌が吹っ飛んで、それでもまだ死なず、俺に頭部を向けながら大顎でガチガチ空を噛んでやがる、クソ蟲野郎。


 そいつへと俺は歩み寄り――ああ、宣戦布告だな。どうせ見てやがるんだろう?


 右手のショットガンを回転リロードスピンコック。そのまま銃口を蟲に向け――。


「ハッ、望み通りにしてやるよ。――テメェの悪夢を殺しに行くぞ、ハル」


 ――俺は、トリガーを引いた。

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