2 逃避

 なんなんだ……なんなんだなんなんだなんなんだ!?


 俺に都合の良い夢じゃねえのか?俺に都合の良い夢見せて“クイーン”がラムズの爺さんみたいに俺を飼おうとしてるんじゃないのか?


 なんだってアイツらの死に際を見せる?どうしてただ気楽なだけの夢すら見れない?どうしてハルがいない?どうして、どうして、どうして……。


「……ウェ、」


 声が出ない。吐き気しかない。そんな状態のまま、隊舎を後に、ふらつくように歩んでいく。


 基地の最中。“ウォーレス”の最中を。


 見慣れた景色だ。見慣れた街並みだ。雪に沈んだ古い街。そこを歩いていく、顔見知りの、ここにいたはずの奴ら。


「どうした、英雄!飲み過ぎか?二日酔いか?」

「いっそ吐いちまった方が楽だぞ、ロイヤルナイツ」


 吐こうとしてももう何も吐けない俺へと、奴らが声を掛けてくる。


 酒場でいた奴らだ。殴り合いの歓迎を俺にした奴。酒場で飲み比べた奴。“大蟲厄”の後話したやつ。


 皆皆生きてる。……夢の中でだけは。


「ウェ……」


 何も出てこない。吐き気しかない。嘔吐感ばかり心にため込みながら、ただただ、歩く。


 どこに向かって歩いてるのかわからない。

 何をしてるのかわからない。何がしたいのかもわからない。


 ただただ壊れてる。ただただイカレてる。ただただ逃げ道を探し続け、けれどせっかく見つけた逃げ道がもう壊れてるんだろうってそんな確信ばかりが苛んでくる。


 どうすれば良い?どうすれば楽になれる?どうすればこの責め苦から逃がしてくれる?

 どうすれば……。


「……?ジン、何してるんだ?」


 ふと、声が聞こえた。男の声だ。死んだはずの男の声。現実じゃほぼ話してない。夢の中で一緒に巣の奥まで冒険しに行った、戦友の声。


 ルイ・カーヴィン。ルイ……。


 俺は呟いた。いや、呟こうとした、だ。

 声が出ない。吐き気で喉が死んだのか。あるいは、俺の心の方が完全にぶっ壊れているのか。


 少尉殿は、不思議そうに――冷静な視線を俺に向けていた。

 それを目の前に、俺の視界が滲む。


「なんだい、ジン。この世の終わりみたいな顔だね。まあ、わからないこともないが……引きずり過ぎると君も周囲も不幸になるだけだよ?」


 つらつらと、物知り野郎は言っていた。

 ああ、言ってる。死んでない。違う、夢の中だから現実では死んでるんだろう。


 でも、ここでは生きてる。俺に都合の良いセカイの中では、こいつも、死んでない。


 滲んだ視界のまま、俺は、笑みを浮かべた。


 ああ、……この夢で目覚めて本当に初めて、笑えた気がする。


 ルイが生きてた。こいつは頼れる。こいつが生きてて良かった。八つ当たりみたいに特攻して死ぬなんてあんまりだ。心が壊れたままただ生きて、最後には砲撃であっさり死ぬなんて、あんまりだ。


 嘘でも生きていて欲しかった。別れの酒の味なんて、わからねぇ……。


 泣き、笑い、……話しかけようとしても声が出ない。それでも、俺はルイへと歩み寄ろうとして……と、その瞬間、だ。


 ふと、誰かが、ルイへと駆けて行って、ルイの足にしがみ付いた。


 子供だ。本当に小さな……3歳くらいだろう。まだよちよち歩くような、男の子。

 知らない子供だ。ごわごわのコートを何重にも来たその男の子は、ルイの足にしがみ付き、怯えたような視線を俺に向けてくる。


 誰だ?子供なんて、ここにいたはずねえだろ……。

 ただ眺めた俺の前で、ルイはその男の子の頭を撫で、言った。


「ロイ……家にいろって言っただろ?ついてきちゃったのかい?まったく……」


 ロイ?そんな名前の奴いたか?小さい子供なんて、この基地にいなかったはずだ。


 いなかったはずの、子供?


 ただ、ただただ眺める俺の背後で、その男の子を追いかけてきたのだろうか。

 誰かの声がする。


「ルイ!……あら、ジンくんも。話の邪魔しちゃったかしら」


 女の声だ。その女は、ルイの元へと小走りに駆け寄ると、ルイの足にしがみ付いている男の子を抱き上げ、言う。


「ごめんね、ルイ。……パパのところ行くんだって聞かなくて」

「いや、良いんだよローラ。基地の外に冒険にでも出かけられるよりマシだ。まだ、蟲がいるかもしれないし」


 ルイは、微笑みと共にそう言って、女の腕に抱きあげられた男の子を、撫でていた。いとおしそうに。


 ローラ。女。子供。3歳。悪夢……その女の顔に、見覚えがある。


『どうしよう、ルイ。……赤ちゃ、』

「ウェ……」


 吐くモノが何もないのに、それでもまた俺は吐きだそうとし、また逃げだした。


 違う。俺が殺したんじゃない俺が殺したんじゃない俺が殺したんじゃない俺が殺したんじゃないもう死んでた蟲にされてた違う俺が殺したんじゃない俺が殺したんじゃない。


 なんでも良いから叫びたい気分だった。けれど、声が出ない。嘔吐感ばかり、気色悪さばかりが積みあがってくる。


 ここは地獄だ。都合の良いセカイのツラを被った本物の地獄だ。逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、壊れる。もう壊れてる。イカれる。耐えられない……。


 どうすればこの地獄から逃げられる?逃げた先に何がある?廃墟があるだけだ。誰もいないって現実があるだけだ。なら、どうすれば良い。


 どこに行けば良い?

 どうすれば逃げられる?

 どうすれば吐き気は収まる?

 どうすれば楽になれる?


 どうすれば、どうすれば、どうすれば……。


 雪の中を駆ける。転んで、雪に胃液を吐き、立ち上がる。その内、ある建物が見えた。


 武器庫だ。俺が、……アニキみたいに。ああ、俺より強くて他人からちゃんと認められてて俺を真っ当に殴って黙らせられるスカシ野郎に憧れてわざわざ銃剣が付いてる意味すらろくに考えずにおかしなショットガン持ち歩いてるからほぼ使ってない。


 が、知ってる。

 そこでシェリーとリズは死んだ。


 そこに、武器がある。武器があるからアイツらはそこで死んだ。そこで、それで……。


 歩く。歩み寄る。武器庫の戸を開ける。

 ライフルがある。小銃だ。弾がある。弾を適当に手に取って、ライフルもとって、武器庫の片隅に背を預け、薄暗い中しゃがみ込む。


 こんな状態でも、軍人だ。弾を込めるのは造作もなかった。蟲を殺すための武器だ。


 それを使って次は何を殺せば良いんだ?

 俺は、銃口を眺めた。俺の方を向いている銃口を、眺めた。


 足を使って銃を固定する。片手で銃身を握って反動を殺す。開いた親指を、トリガーに掛ける。


 そして、銃口。ライフリングを見据える。

 ああ、これで良い。これでこの地獄からおさらばだ。夢から覚めるだろう。覚めなかったら?別にそれでも良い。ここでくたばるだけだ。


 覚めちまったら?現実に戻ったら?現実に戻ってそれでも俺がまだ生き延びちまってたら?


 もう一度これをやれば良い。これで良い。これでもう苦しまない。元々いつ死んでも良いと思って無茶苦茶やってた。どうせ何も持ってなかった。何かを手に入れたと思ったら全て失った。甘えようとして頼ろうとして守ろうとして伸ばした手の先で全部全部どうせ壊れるだけだ。


 なら、……もう、良いだろう。もう、良い。永遠に眠った方が、楽だ。


 親指に力を込める。トリガーを引く。整備が行き届いたトリガーが滑らか動き、カチリとスイッチが入り、見据える深淵、ライフリングの奥で火花が散り――。


 バン!

 銃声が響いた。衝撃が、俺を襲った。その衝撃に身を委ねるように、俺は瞼を閉じる。


 そうして、そのまま瞼を閉じ続ける。薄暗がりの最中に転がって、眠り続ける。


 けれど、……いつになっても俺の意識は途切れやしねえ。


 外した?んな訳ねえだろ。整備不良?違う……衝撃が、違う。

 殴られたような痛みが頬に走っていた。あるいは、蹴られた、か。


 ……誰かに邪魔された?


 瞼を開く。視線を向ける。その先、……銃弾でも掠めたのか。足をさする男の姿があった。


 見覚えのある、男だ。だが、……記憶程老けてないように見える。若返った、訳じゃないんだろう。ただ、心を壊して老け込まなかっただけだ。


 そんな爺さんは、義足じゃないらしい足をさすり、言い放った。


「どうした、若造。……酷いツラだな」


 そして、爺さん。枯れた雰囲気がなく、代わりに気迫が肉体にみなぎってる男。


 ラムズ・オーウェン軍曹殿は、鋭く、俺を見下ろしていた……。

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