5章 ダレカの夢―ジャンクボックス―

1 嘔吐

「う、うぅ……」


 気分が悪い。最悪だ……呑み過ぎたか?

 吐きそうだし頭痛が酷いし、……あ~、クソ。頭が回らねえ。


 とにかく身を起こすと……なんだ?酔いつぶれたのか、俺。ああ、そうだな。夢だ。悪夢だ。酷い夢を見ただけだ。


 だってそうだろ?女に裏切られて蟲の奇襲喰らって全部全部失くすなんて、んなひでぇ話あるかよ。ひでぇ悪夢だ。


 だってそうだろ?目の前、日常がある。


「ハッ、……」


 俺は笑った。笑おうとした。乾いた笑みしか出てこなかったが、笑ってはいる。


 笑顔を浮かべた俺の目の前に、散らかり切った部屋があった。


 酒瓶が転がってる汚ねぇ部屋だ。居間だ。掃除しねえと、アイツら、掃除しねえからな。


「ハハ、ハ、」


 無理やり笑顔を浮かべ続ける。窓の外には雪景色がある。見慣れた基地の景色だ。廃墟じゃない。壊れてない。アレは全部夢だったんだ。ここが現実だ。


「ハハハ……」


 どうにか笑おうとしながら、ただ汚い、生活感しかない場所の隅っこに座り込み続けた俺の視界で、ふと、何かが動いた。


 シェリーだ。シェリーが、動いてる。身体が付いてる。人間の身体だ。蟲の身体じゃねえ。いつも通りの服装で、怪我をすることも怪物にされることもなく、呑んだ末に寝落ちしたんだろう、いつも通りに。


 ソファから身を起こした、……ふざけたちょび髭くっつけたままのお嬢様は、眠たげに目をこすった末、笑顔を浮かべる俺に視線を止め、眉を顰める。


「……それどういう心境ですか?顔ヤバいですよ?」

「あ?……ああ、ハハ、ハハハ……」

「呑ませすぎましたかね……リズ~!見てくださいホラ!ジンくんの顔怖いですよ!」


 そんなことを言いながら、シェリーはテーブルの上に置かれていたカメラを手に取って、俺へとレンズを向けてシャッターを切った。


 同時に、奥のキッチンでスープでも作ってたらしい。リズが、顔を覗かせる。

 リズも、無事だ。身体が付いてる。蟲にされてる訳でもない。死んでない。生きてる。動いてる。


「ハ、ハハ……」


 俺は笑った。笑う俺を前に、リズは怯えたように物陰に隠れると、言う。


「か、顔ヤバ……」

「ね~。可愛げがないですよね~?ジンくんのくせに」


 そう言って、シェリーはこちらへと歩み寄ってくると、現像されたばかりの写真を俺へと差し出し、言う。


「顔洗って来たら良いんじゃないですか?ヤバいですよ?」


 写真を受け取る。そこには、確かに、ヤバい奴が映っていた。


 笑ってる。いや、笑おうとしてるだ。笑おうとしてるのに目が完全にキマってて、その上なんだ?泣いてやがる。完全にイカれた奴の顔だ。


 知ってるぞ、こういう奴。スラムで良く見た。クスリきめてぶっ壊れてる奴だ。こういう奴はヤベェんだ、何しでかすかわかんねえ。何回殺されかけたかわかんねえし、掘られそうになったこともある。自分より確実に弱いだろう、東洋人のガキ見つけて遊ぼうとするんだ。


 けど、そういう奴より俺の方が強かった。強かったから生き延びて、軍に入っても舐められて、舐められないように実力と実績を身に付けて、その延長線上で勲章を欲しがった。


 けど、違う。本当に欲しかったのは勲章じゃない。住処だ。仲間だ。居場所だ。


 別にデカくなくても良い。屋根がある場所で暮らしたかった。食うに困らない生活をしたかった。寂しくない生活が欲しかっただけだ。


 今は、寂しくねえ……。


「ジンくん?」

「……く、クスリは、ここ、ないはずなんだけど……」


 お嬢様と娼館上がりが言ってる。いや、過去とかどうでも良いじゃねえか。仲間だ。俺の居場所だ。こいつらが生きてる。なら、それで良いだろ。


 あ?けど……一人足りねえな。


「ハルは?」


 問いかけた俺の前で、シェリーとリズは言い淀むように黙り込み、顔を見合わせる。


「な、なんだよ……」


 壊れたように微笑み続ける俺を前に、やがてシェリーは息を一つ吐き、言った。


「……いないですよ」

「は、ハァ?なんで……」

「こ、こないだ。く、“クイーン”、倒して。その時……」


 言いながら、リズは俺の手を指さしてきた。

 その指を追いかけて、自分の手を眺めてみると……なんか、握ってんな。ネックレスかなんかか?ずっと握り締めてたらしい。開いて、何握ってっか見てみよう。


 そう思うのに握り締める手が動かない。仕方ないから、逆の手で自分の指を開いて、そこにある物を眺めてみる。


 そいつは、……ドックタグだ。

 書いてある名前は、一つ。


 ハル・レインフォード。


 それを眺めて、瞬きする。瞬きすると、……ドックタグが増える。


 シェリー・ハルトマン。リズレット・シャテム。ルイ・カーヴィン……知った名前が、ドックタグが、身体が遺せない戦場で死んだからそれしか残らない仲間の命が、血まみれのまま俺の掌に溢れ――。


「ジンくん!」


 呼びかけられ、肩を揺すられる。

 視線を上げると、シェリーが俺の顔を覗き込んでいた。


「……大丈夫ですか?」


 それを眺め、また手の上を眺める。ハル・レインフォード。その名前の認識票は、まだ掌の上にある。


 ハルが、いない?死んだ?どうして?話が違う、俺に都合の良い夢なんじゃねえのか……。


「う、」


 神経が、何かが、歪んで、もう、限界に来たんだろう。

 強烈な吐き気がこみあげてきて……。


「……え?」


 何かを察したシェリーが、顔を引きつらせていたが、どうしようもなかった。


「……ウェ、ウェェェ……」


 俺の胃の中身が、逆流した。



 ここは俺に都合の良いセカイじゃないのか?都合の良い夢じゃないのか?


 都合の良い夢ですら、ハルが、死んでる?……どっちか選べとでも言うのか?俺に?


 ハルが生きてて、他の全員がくたばった現実か。

 ハルが死んでて、それ以外皆生きてる夢の中か……?


「ウ、」


 また、胃液が逆流しかける。途端、


「つ、使う……?」


 リズがバケツを差し出してきた。それを手で制し、俺は口元と吐き気を抑え、廊下にしゃがみ込み続け……とそこで、だ。


 かちゃりと音がして、背後、風呂場の扉が開いた。とおもえば、だ。


「あ、」


 と言う呟きだけ遺して、開きかけた扉が閉じる。そして扉の向こうから、シェリーの声が届く。


「リズ~!……着替え持ってきてもらえます~?なかったです!」

「あ、うん。……ば、バケツ、置いとくね?」


 それだけ言って、リズはバケツをその場に、軽く俺の背中をさすって、歩み去っていく。


 それにけれど、俺は顔を上げる気にならず、その場にしゃがみ込み続け……やがて、だ。


 カチャリとまた、風呂場の扉が開いた。

 視線を向けないようにした俺に、問いが届く。


「……なんでスタンバってるんですか、ジンくん?覗き?」

「違う。詫びたいんだ。……機会がなくなる前に。悪かった」

「ああ、まあ……。別に怒ってないですよ?」

「悪かった。……悪かった、」


 それだけ、言い続ける。女々しく座り込んでなければ。爺さんの足が悪いって見抜けてたら。砲撃が来てるって、わかってたはずだ。


 腕も強さも関係ない。完全に運だけの問題になるって、わかってたはずだ。

 わかってたはずなのに死なせた。何もしなかった。出来なかった……。


「う、」


 胃液が逆流し、バケツへと吐き出す。だが、……もう吐くもんが残ってないらしい。


 ただ吐き気だけ、胃液だけを吐く俺の背後で、シェリーは言う。


「……何に謝ってるんですか?」

「……悪かった、」

「それだけ言われても、困りますよ。……なんか、カッコ悪いですよ?」

「……ああ、」

「ああって……なんか調子狂いますね。歯向かってくれないと、からかっても面白くないじゃないですか。張り合いがないんですけど?」

「ああ、」


 それだけ、俺は呟いた。それしか、呟けなかった。

 そんな俺の背後で、シェリーは暫し黙り込み、やがて言う。


「弱ぶっても甘やかしませんよ、私は。こっちも一杯一杯なので」

「……ああ、」

「だから~~~、ハァ……。苦しいのはわかります。悔しいのも悲しいのもわかります。だから、ストレスで吐いちゃっても別に怒りません。暫くしゃがみ込んでても、良いです。ですが次の戦闘の時には無理やりにでも切り変えて貰いますよ?私はそうされたので、ジンくんに」


 ……俺が、やった?ああ、


「……スコープか?」

「トラウマだって言ったのに、狙撃させたじゃないですか。軍隊で優しさ求めんなよ、学校じゃねえんだ」


 言ったな、確かに。俺がそれを言った。


「……調子乗ってたんだよ」

「だいたいいつもそうじゃないですか。基本自分本位ですよね、ジンくん。自分さえ良ければそれで良いスタイルですよね?」

「………………」

「別にそれはそれでまあ、良いんですが……都合悪くなったら甘えようとするのやめて貰えます?みっともないですよ」


 ………………クソ。みっともないだと?


「…………うるせぇ、ドS」


 吐き捨てた俺の背後で、シェリーはフッと小さく笑みを零す。


「耳が痛いですか?耳が痛いってことは自覚あるんですか?甘えたいんですか、私に?」


 チッ。ホント……強いよなお前は。根性入ってる。


 そうだよ。甘えたいんだよ、俺は。頼りたいんだ。頼れる奴だと思った。話したいんだ。話せる内に。……クソ。


 視界が滲んだ。滲んだ視界のまま、俺は背後のシェリーに中指を立ててやる。

 それに、シェリーは笑みを零す。


「意地っ張りですね。……まあ、空元気でもないより良いと思いますよ?」


 その言葉と共に、シェリーは俺の肩を軽く叩いた。


 と、思えば次の瞬間、だ。ごとんと、俺の真横に、何かが落ちる。


 ゆっくりと、視線を向ける。その先で――腕が落ちてた。床に、ちぎれた腕が落ちてた。


 瓦礫の中で見たような。蟲に引きずり出され、蟲に群がられたのと同じ、腕。

 死んでる。もう、死んでる。ここは、……所詮夢だ。


「――あ、」


 呻き、後ずさる。

 瞬きした直後に一瞬フラッシュバックした腕は消え、風呂場の戸から顔だけ出して、シェリーは眉を顰めている。


「ジンくん?」

「な、なんでもねぇ……」


 ただただ欠片だけ修復された意地をかき集めるように、俺はそれだけ言って立ち上がり、そのまま後ずさりして……直後、だ。


「あ、あの……」


 控えめな声が背後から聞こえて、その誰かに、俺はぶつかったらしい。

 背後で、誰かが、尻餅をついて倒れてる。


 リズだ。着替えを持って来たんだろう、服を抱えてるリズ。


「わ、悪い……大丈夫か?」


 かろうじて上辺だけ取り繕って平静を装う様にそう言って、俺は助け起こそうとリズへと手を差し出した。そんな俺を見上げ、リズは言う。


「……、…………、」


 その声が、けれど、聞こえない。唐突に声が、音が全て遠ざかり消え去り、そして次の瞬間。


 ビシャっ。

 助けようとした俺の目の前で、突然降ってきた瓦礫に押しつぶされて、リズが崩れた。


 真っ赤な血をまき散らしながら、ぐしゃりと――。


「ヒっ――、」


 悲鳴を上げ、後ずさる。後ずさった直後には、その幻視は消え去り、傷一つなく床に座り込んでいるリズは、不思議そうに俺を見上げて、心配そうに言った。


「じ、ジン?……大丈夫?」


 その言葉に、返事をしようとした。けれど、今度は俺の口から声が出なかった。

 何でもない。そう言おうとした俺の口から言葉が出てこない。


 悪い夢を見ただけだ。そう言おうとした俺の口が、動かない。


「ウェ……、」


 吐き気だけがこみあげてくる。もう、吐くモノなんて残っちゃいない身体が、心が、それでも何かを吐きだそうと胃を縮め吐き気を訴え……俺はただただ後ずさる。


 クソ、クソ、クソクソクソクソクソ……。


 毒づいているはずなのに、声が出なかった。


 ……クソ。


「あ、」

「ジンくん!」


 呼び声がする。居心地の良い場所のはずの、女の声。けれど振り向いたらまた死に様を見せられる気がする。


 俺は逃げるように。いや、事実逃げたんだ。


 その場から、隊舎から……甘えた俺が見る夢からも、逃げ出した。

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