7 崩れ出す現実
深々と降りしきる雪の最中、ウォーレスの街並みを歩いていく。
冬だ。冬だな……さっきまで春先だったはずだが、目覚めればもう冬だ。
吐く息が白い。ソラへと昇りかけて消え去る息を眺め、雪道に足跡を残して行き、……やがて、俺が辿り着いたのは司令部だ。一際豪華で大きな、家。やっぱり軍事施設ってより普通の家に見えるそこへと歩み寄る。
目当ての部屋の明かりはついてるな。呑んでるのか、あるいは葉巻でも吹かしてやがんのか?まあ、どっちでも良い。起きてんなら好都合だ。
司令部に踏み込む。薄暗い廊下を、だがあの実験場とは違ってずいぶん温かみがあるように見えるその場を通り抜け……そして俺は、目当てのドアをノックした。
途端、「入れ」と言う声が返ってきて、俺は扉を開ける。
何度か来た司令官殿の部屋。奥で爺さんが葉巻を咥えて写真を眺め、ウイスキーを舐めていた。
アレックス・サルバス中佐。いや、その名を騙ってる……ラムズ・オーウェン軍曹か。
その爺さんは、眺めていた写真立てをパタンと寝かせ、俺へと視線を投げてきた。
「夜更けに……一体なんの用だ、伍長」
「アンタに報告したいことがあるんだ。……ラムズ・オーウェン軍曹」
爺さんは俺を暫く睨みつけ、やがて葉巻を吹かすと、こう言った。
「誰に聞いたんだ?ハルか?シェリーか?リズか?どれを口説いた。どれと寝たんだ?」
「そう言う腹芸する気はねえよ、今。別にアンタの正体どうこう、俺は言う気ねぇ。報告したいことは一つ。……この近辺に“クイーン”がいて、蟲の巣がすぐそばにある」
言い切った俺を、爺さんは暫し観察するように眺め、それから言った。
「……ルイの遺した資料でも漁ったのか?」
「似たようなもんだな。……知ってたのか、アンタは」
「母体を確保しなければ蟲の実験などできないだろう?」
似たようなことを、確かにルイも言ってやがったな。この爺さんも、ルイから一通り聞いてるのか?聞いて、すぐそばにクソみてぇな実験施設があるってわかってたのに……。
「知ってて放置したのか?どうしてぶっ殺しに行かなかった?もっと早く“クイーン”をぶっ殺してたら……死ななくて済んだ奴がいただろ、」
爺さんを睨みつけながら、俺は吐き捨てた。
そうだ。もっと早く“クイーン”に喧嘩売って、もっと早く殺しに行ってれば、それこそ今朝の“大蟲厄”だってなかっただろう。アレが無ければ死なずに済んだ奴が大勢いたはずだ。
それこそ、ルイだってまだ生きてた。もう一度話せたはずだった。
別に喧嘩売るんじゃなくても良い。
「上に報告することだって出来ただろ?最悪全員でここ逃げ出して皇帝様に直談判しても良いじゃねえか……。なんでテメェはなんもせず偉そうにしてられんだ、中佐気取りの下級士官が、良いご身分だな葉巻なんか咥えてよォ……」
言い放った俺を眺め、軍曹殿は葉巻を吹かしてやがった。
クソ……何してんだ、俺は。ちげぇだろ、喧嘩売りに来たんじゃねえはずだ。
説得に来たんだったよな、俺よォ……なんで喧嘩腰になってんだ?おててつないで仲良く蟲の巣ぶっ壊しに行きましょうってお願いしに来たんだろうが。
…………威嚇が癖になり過ぎて、それ以外のコミュニケーションが、クソ。
大きく息を吸い、吐き出す。冷静に……ああ、冷静に、だ。ただ吠えるだけじゃ何もできねえままだろ。
どうにかして自分の手綱を握り直した俺を、爺さんはただ、観察するように眺め、それから言った。
「……モルモットに知性があったら、どうなると思う?」
「あァ?」
「自分が何かしらの実験に利用されていることを知った。それを認識したモルモットは、何を思う?同胞が非情な実験によって切り刻まれていることを認識したネズミは?まず最初に何を考える?……脱走だよ。脱出だ。同胞を引き連れて檻を抜け出そうと考える」
「脱走……」
そういや、そんな話を夢の中で聞いたな。
この爺さんが主導してるクーデター……脱走計画があったとか。
そんなことを考えた俺を前に、爺さんはウイスキーを舐め、続ける。
「だが、所詮モルモットはモルモットだ。飼い主は自発的な行動を取り出したモルモットたちを泳がせ、観察し、そして懲罰を与えた」
「何言ってるかわかんねえよ」
「一人は実験室を見学する許可を与えられた。大切な同胞を、パートナーを失ったネズミは、正義を胸に実験の元凶を殺しに向かった」
「…………ルイの話か?」
呟いた俺を前に、爺さんは寝かされた写真立てを眺めながら、言う。
「もう一人には、脱走と自由を空想する権利が与えられた。あくまで空想するだけだ。手段を探り、計画を立て、同胞を導きこの実験場を後にしようと、……空想した。そしてその結果、双方に罰が与えられた」
「罰?」
「復讐。同胞の仇討を願ったネズミの前には、失ったはずの同胞が現れた。何よりも憎い敵の姿で、殺したいはずの怪物の姿で、復讐者の心を痛めつけた。そして知性あるネズミは、トリガーから指を離してしまった」
現実でのルイの話だろう。あの場所、悪夢の底の奥深くで、蟲にされちまった仲間を見つけたルイ。
あの夢の中では俺がいたから、……一緒に八つ当たりしに巣の奥まで突っ込む気力があった。だが、一人であれを見たルイは?
……耐えられなくても無理ねえか。
「自由。同胞と共に脱走することを願ったネズミの前には、滅びが与えられた。ある夜“蟲鈴”が機能しなかった。寝静まった夜、この基地に、蟲の群れが訪れた。そしてネズミは同胞の悉くを失った。同胞を生かすために逃亡を望んだと言うのに、いざ、それを実行に移そうとしたその寸前に、同胞を全て殺されたんだ」
「蟲鈴の機能不全……蟲の奇襲?」
それは、ハルの言ってたトラウマそのモノだ。
ハルは、そのごたごたの後このウォーレスに送られたって言ってたが……順番が逆だ。
やっぱり、アイツはここでトラウマを作ったんだろう。なら、……そもそもここに送られた理由はなんだ?
いや、今はそれよりも、爺さんの話だ。
「それで?逃げようとしたら蟲にバレて、……脱走も抵抗も諦めたのか?」
「生き残ったのは3人だ。幼いネズミは悪夢に怯え、微睡みを求めた。聡いネズミは悪夢に喰われ、機械的な日常を送るだけの装置となった。老いたネズミは、考えた。我らはなぜ生きているのだろうか。なんのための命だったのか」
「思春期かよ、爺。それ知ってるぞ。アレだろ、自分に酔ってるって奴だろ?」
「誰しも、正義と未来を胸に軍服に袖を通したはずだ。だが、その末路は?“戦争欠乏症”。魑魅魍魎の思惑のままに、濡れ衣を着せられ、名誉を奪われ、取り返す術すらも奪われたままに、墓すら作られぬ場所で蟲の餌となる。彼らの人生は、なんだったのだ。なんのために生きていたのだ。なんのために戦ったのだ。なんのために死んだのだ。老いたネズミは思った。……約束した自由は若者たちに差し出せなかった。代わりに、手向けとして、せめて彼らの死に意味を与えてやりたい」
「………………、」
流石に茶化す気になれねえ。ただ押し黙った俺を前に、爺さんは続ける。
「意味はなんだ?なぜ死んだ。その死になんの意味があった?どうすれば意味を与えてやれる?どう取り繕ったところで、モルモットである現実は変わらない。だから、考えた末に、私は結論に至った。実験動物の死が報われる唯一の方法はなんだ?……実験の成功だろう?」
「お前、」
言いかけた俺の耳に、ふと、銃声が届いた。遠い銃声、だがめちゃめちゃ遠いって訳でもない。
……基地の正門辺り?衛兵が発砲した?
そう眉を顰めた俺を前に、どうでも良いと言いたげな雰囲気で、爺さんは言う。
「今回の門番は優秀だな。3年前は不真面目だった。だから、一人目の悲鳴で目覚める羽目になった」
「な……、」
3年前?爺さんが脱走計画を立てた時……ハルがトラウマになった時と同じ?
蟲の奇襲?今、
「クソ、」
なんでこのタイミング……も何もねえな。俺が“クイーン”のスカウト蹴ったからか。
とにかく、俺はすぐさまその場に背を向けて、部屋の出口へと向かった。
諸々気にはなるがそれより蟲だ。まずは蟲を殺す。奇襲だと?ふざけんなよ、……んなもん許す訳ねぇだろうが。
ハルは?リズとシェリーは?銃声で起きたか?それを確認する為にも――。
パン!
駆け出そうとした俺の耳に、銃声が響いた。さっきと違ってすぐそばから聞こえた銃声。
そして、放たれた弾丸は俺の顔の真横を通り抜け、目の前の壁に銃痕を生む。
クソ、クソ……。
「クソ爺が、」
呻き振り返った先。葉巻を片手に……逆の手に硝煙の上がる拳銃を握った爺さんは、その銃口を俺へと向けながら、言った。
「まだ話の途中だぞ、ロイヤルナイツ。さて、どこまで話したかな?」
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