8 悪意の正体

「まだ話の途中だぞ、ロイヤルナイツ。さて、どこまで話したかな?」

「テメェがクソの更に下の下痢野郎だってな自己紹介まで聞いたぜ、クソが!」


 武器は……ねぇ。部屋にあるのは?ソファ、机、写真立て、こっちに銃口向けてるクソ爺。


 チッ……とりあえず中指だけ立てとくか。

 そんな俺を鼻で笑い、クソ爺は言う。


「返す言葉もないな。だが、……考えてもみろ。そもそもこの場所を作り上げたのは?人間だ。皇族だ。前の皇帝、そしてエギル・フォーランズ。この場所の継続を許しているのは、今の皇帝だ。知らないとはいえ、いや、知らないからこそ。無能は罪だろう?正さねばならない」

「こうやって本物の中佐殿も殺したのか?」

「もはや些事だ。……この場所は悪意と無能によって成り立っている。我々は、悪意と無能の結果実験場に送られた。ならば、私が先に逝った同胞に贈るべき花束は、無能の首であるべきではないか?」


 イカレ切ったようなことを、爺さんは言っていた。

 ……恐ろしいことに、正気のままの瞳で。


「蟲と手を組んで、マジのクーデターか?皇帝を殺しに行くって?」

「我が同胞の献身の末に完成した実験の結果を持って、仇を討つ」

「仇は蟲だろ?」

「だが文字通り同胞が心血を捧げた対象でもある」

「だから?従順なモルモットのままイカれたクーデター起こしましょうって?」

「それが唯一、彼らの死に意味を見出す方法だ。我々はアグレッサーだったのだ。我々がここで過ごした全ての時間が蟲を育て、兵器を生み、女王の知性を育んだ……」


 そこで、爺さんはふと、テーブルの上の写真立てを手に取ると、それを俺へと放り投げてくる。


 俺の足元に転がった写真立て。そこには、けれど、何もなかった。

 写真が入ってない。


 そう眉を顰めた俺を笑い、死にぞこないの爺さんは嗤う。


「君も体験しただろう、ロイヤルナイツ。写真など必要がない。……夢の中でいつでも、同胞と会える」

「それが本音かよ……」


 夢の中で会えるだ?あァ、確かに死人に会ったな。ルイと会った。ルイと話した。

 あれと同じような夢を爺さんも見てたのか?死んだはずの仲間と過ごす夢を?


 “クイーン”がその夢を見せてくれるから、蟲に寝返ったってか?


「酷い老け方だな、クソ爺」

「君もすぐに同じ老け方をする。……女王陛下の寵愛を受け入れればな」


 死にぞこないのクソ爺は笑い……そして、外の騒ぎの音が大きくなる。

 悲鳴が聞こえる。寝起きで蟲を見た兵士の悲鳴。あるいは、ここにいた民間人の悲鳴。


 銃声が響く。蟲に応戦を始めてる奴がいるらしい。だが、その音は少ない。


 ……チッ。クソ爺と話してる場合じゃねえ。夢で会えるから仲間が死んで良いだ?

 んなクソみたいなスカウトに頷く訳ねえだろ……。


「そもそも、なんで俺はそんなクソ蟲の女王に興味持たれてんだ?記憶読んでんなら絶対靡かねぇってわかんだろうが……」


 とりあえず口でだけ言って、間接視野でもう一度周囲を眺める。


 写真立てだ。手なり足なりが届く範囲にあるのは、目の前の爺さんの余生がいかに寂しいか如実に見せつけてくる空の写真立てだけ。金属製ですらない、木製。拾って投げつけるか?いや、それするくらいならイチかバチかで直接殴りに行った方がマシか……。


「女王陛下は君にさして興味はないよ、ロイヤルナイツ。ただ、姫君が君にご執心らしくてね」

「……姫だと?」

「肩書が気に入ったのか……そもそも年頃の男が珍しかったのか。夢より生身をご所望らしい。それは共生関係としては正しいと、女王陛下も承諾した」


 姫……リズの事か?リズが、裏切ってる?いや、それならなんで俺に自分が皇女だって言った?嘘?……クソ、どれが嘘でどれがホントなんだ。


「正直言って、予想していなかった状況だよ。君を本国から送られた間者だと思っていた。その間者を欺くために君に餌と疑惑を与え泳がせた。だがその結果、姫が君を気に入ってしまったんだ……若いね」

「誰の話してやがんだ?……テメェ以外に、蟲の味方してる奴がいるのか?」


 問いかけた俺を前に、爺さんは嗤い……そしてその背後、窓の外にふと、影が差す。


 人間よりデカい怪物の影だ。この基地の中で見るだなんて、それこそ悪夢みたいな気分になってくる光景。


 デカい影が白い夜を揺らめき……窓の外に、デカいカマキリが顔を覗かせる。


 そんな蟲を背に、爺さんはけれど俺に銃口を向けたまま、狂ったように笑みを零す。


「答えを知りたいか、ロイヤルナイツ。ならば正しい主を選ぶんだな。正しい選択をしろ。蟲は必ずしも敵ではない。貢献と報酬の概念を理解した、極めて社会的な――」


 グシャっ。

 心底気色悪い音に塗りつぶされ、爺さんの声は止まった。


 砕けたガラス、砕けた壁が辺りに散らばり……爺さんの手から離れた拳銃がテーブルに落ちこちらへと転がってくる。


 まず何よりも、それを回収だ。拳銃……口径は小さい。対した威力は出ないだろうが、素手よりマシだ。


 すぐさま拾い上げた拳銃を手に、俺は数歩後ずさり、拳銃を構える。


 その銃口の先で、……ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと、人間が蟲に喰われていた。


 床に落ちた葉巻が流れる血に音を立てて消え、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。窓から身を乗り出し餌を捕えた蟲が、爺さんの頭を齧り続けてやがる。


「……酔ってしゃべり過ぎたな、爺さん」


 それ以外、掛ける言葉がねえな。明らかに今、女王様に口止めされたろ。

 もしくは、“クイーン”からすれば爺さんももう用済みって話か?


 とにかく、……それがどんなクソ野郎だったとしても、目の前で人間が食われてんのは気に喰わねぇな。


「クソが、」


 吐き捨て、トリガーを引く。そうして放たれた弾丸は、けれど所詮豆鉄砲だ。夢中で爺さんにかじりついてやがる蟲に当たっても、カンと音を鳴らして弾かれるだけ。


 だが、蠅が止まった程度には鬱陶しかったらしい。カマキリは齧っていた爺さんの身体をそこらへ放り投げ、血まみれの大顎を、頭部を、俺へと向けてきやがる。


 爺さんの身体が床に落ちた。首から上がもう原型をとどめていない。そして、……ああ。知らなかった。今知ったよ、爺さん。アンタ、片足義足だったんだな。


 仲間と一緒に逃げようとして、仲間と足を失ったのか?

 それで夢に縋るしかなくなったのか?暴れる体すら残ってなかったのかよ、軍曹殿。


 ……クソ。どこまで行っても、何もかも胸糞悪ィ場所だな。


「……クソが!」


 吠えて、トリガーを引く。乱射される豆鉄砲は、けれど悉く蟲の殻に弾かれ、今爺さんを殺したばかりのカマキリは、何事もないかのように俺へと近寄ってきやがる。


 俺の事も食う気なのか?俺をスカウトするんじゃなかったのか?俺はお姫様のお気に入りらしいぞ?そいつを食っちまって良いってのか?


 引き続けたトリガーの感触が、軽くなる。弾切れだ。弾倉空になるまで撃ち切って、けれど目の前の蟲はほぼ無傷。チッ、これだからマメ鉄砲はよォ……。


「スラッグ弾寄越せや、」


 それだけ呟いて、俺は撃ち切った拳銃を捨てた。

 そしてまた武器のない完全な素手になって……蟲を眺めて腕を組む。


 なんだかどうにも、おかしな気分だ。目の前に怪物がいる。こいつは俺を殺すだろうってのはわかってる。だってのに、別に恐怖を感じねえ。


 それこそ、さっきまで俺に銃口向けてた爺さんの方が怖かったくらいだ。


 ルイと一緒に夢の中で地獄を大冒険したから、今更ただの蟲にビビる気にならねえのか?


 いや、そもそも俺は死んだらしょうがねえ位で生きてた鉄砲玉だった訳だし、今まで通りって言えばそれまでか。


 けど、そうじゃねえ。


「……お気に入りなんだろ、俺は。恩売りたいのか、俺に」


 腕を組み突っ立った俺へと、顎が真っ赤に染まったカマキリが頭を突きだしてくる。


 無抵抗の俺を前に、諦めて餌になろうとしてるとでも思ったらしい。


 だが、違う。諦めた訳じゃねえ。今、俺はわざわざ自分で抵抗する必要がないって思っただけだ。別に何にもしなくて良いかってな風に思っちまう影が、窓の外に見えただけ。


 だから、――ああ。これで二度目だな。


 キィィィィィィン!


 金切り声が、赤熱する刃が、……小柄で素早い人影が、この場に乱入してくる。


 それこそヒーローか何かのように迷いなく、叫ぶ剣を手に怪物へと立ち向かう少女。


 正直、心のどこかで憧れてたよ。あまりにカッコ良い登場だ。……前も、今も。まるで狙ってたみたいに、良いタイミングで現れる。


 赤熱した剣が振るわれる。俺へと大顎を突き出してたカマキリは、背中から袈裟に切り裂かれ、その場にズルリと崩れ落ちる。


 そして、そんな怪物の影で、……飛び込んできた少女は、呆れたようにため息を吐いた。


「ハァ……。どうして抵抗しないんだい?まったく、」


 アンニョイだ。……素面の時は年上のようだ。酔ったらまたたび嗅いだ猫みたいになるのに、いざ行動するときは落ち着いてる。訳わかんねえ奴だ。


 訳わかんねえから、気になって仕方なくなった。


 お仲間だからってのもあるだろう。興味を持ったきっかけぐらいにはなる。

 命の恩人だからってのも、あるだろう。こいつが飛び込んでこなかったら俺は死んでた。それは確かだ。だから気に入ったって部分も、ある。そいつの事も、そいつが持ってる光って回るカッコ良い玩具の事も。だが、それもあくまできっかけだ。


 ただただ、興味を持った。生まれて初めて、同い年ぐらいの女にだ。


 心の奥で何考えてんのかよくわかんねえ奴で。頼れる軍曹殿のはずが、ちょいちょいか弱い。か弱い振る舞いされると困るだろ?それへの対処法学べるような余裕のある人生じゃなかったんだ。


 強いのか弱いのかわかんねえから、気になった。

 酔うとじゃれてくるから気になった。素面だと妙に甲斐甲斐しいから気になった。

 俺が気楽な鉄砲玉辞めようって思い始めたのはほぼほぼこいつのせいだ。


 妙に俺に懐いてる気がするこいつのせいで、俺はだから多少、人間になったんだろう。世の中に本当に、味方がいるのかもしれないと思い始めた。


 そいつは、ハルは、どうやら俺の玩具を持ってきてくれたらしい。ショットガンを俺へと放りながら、言う。


「入り込んだ蟲を駆除しに行こう、伍長。……?どうかしたかい?」

「いや。……テメェとのデートを思い出してた」

「“蟲鈴”かい?……困るよね、すぐ壊れて」


 そう呟いたハルを目の前に、俺は、……ガチャンと普通にレバーを引いて、スラッグ弾を装填した。


 そして、壊れた窓、壁の傍にある爺さんの机。その引き出しを開け、そこから銀のロケットを取り出すと、そいつをハルへと投げて渡す。


 それから、言った。


「それ……お前の持ちもんか?」


 銀のロケットを手にしたハルは、それを開き、中にある写真――この場所を作り上げたそもそもの元凶であるエギル・フォーランズの写真を眺めると、クスリと笑みを零し、言った。


「どうしてそう思うんだい?」

「俺を助けに来るタイミングが良すぎる。最初も、今も」

「最初の時はリズが慌てたんだよ。だから私とシェリーも慌てて助けに行った。今は……頑張ったんだよ。君の姿が見えなかったから。君が心配でね」

「探したら都合良いタイミングで俺の居場所を当てましたってか?」

「必死に探したら偶然見つけたんだ。運命的だろう?」

「お前は詳しすぎた。この場所の事情に。エギル・フォーランズの事情に」

「古株だからね」

「お前は嘘を吐いた。……蟲の奇襲を受けて、それで罪を被せられてここに送られた。そう言ってたのに、……3年前のお前は毛並みが良かった」

「髪を整えてた方が良かったかい?なら、身なりを頑張るよロイヤルナイツ。私は君によく見られたい。君に気に入られたいと思う様になってしまった」

「“蟲鈴”を調査しに行った。それが壊れてるのがトラウマだって俺に言いながら、細工したのか?」

「そこまで私はバカじゃないよ、ジン。ただ、新入りの君を連れ回して……動作不良を起こした“蟲鈴”の位置を、君に教えなかっただけだ。私が点検に行ったっていう事実は大事だろう?私が手を抜くとは誰も思わない。思わない状況を作っておいた。だから、工作は成功する」

「怯えてただろ、お前。あの時、ビビってた」

「ビビるよ、それは。……いよいよ皆を裏切ろうって言うんだから」


 嘯き、ハルは銀のロケットをポケットにしまい込んだ。

 それが事実、自身の持ち物だと自白するように。


 それを目の前に、俺は、歯を食い縛った。ショットガンを握る手に、力を込めた。その銃口を持ち上げようとした。けれど、金縛りにあったかのように、俺の身体は動かず、重い銃をそもそも持ち上げる事すらできず……。


 俺は、ただ、問いかけた。


「……なんで、……どうしてだ?なんで……」


 すがるように、呻くように、言葉を投げる他に俺には何もできなかった。


 クソ、クソクソ……。今夜、気色悪いモンを山ほど見た。けど、そのどれよりも……今、平然と返事を投げてくるハルが、俺にとって飛び切りの悪夢な気がする。


「逆に聞こうか、ジン。君はどうしてスラムの生まれになったんだい?」

「なに?」

「選んでスラムに生まれた訳ではないだろう?望んで劣等民族に生まれた訳じゃない。ただ、……ただただ、狂人の子供として生まれ落ちてしまった。狂気を引き継ぐ羽目になった。ただそれだけの話だよ。ただ狂気を引き継ぐことだけを学んで育った。そして、社交性を学習するためにハル・レインフォードと言う軍籍を与えられ、ここに送られた。ただそれだけの話なんだよ、本当に。君と同じだよ、ジン。私もここに来て初めて自分が人間だと知ったんだ。ただ、君との違いは、それを知る前に選択をしていたか否かだけ」

「わからねぇ話だな、」

「逃げないでくれ、ジン。わかるだろう?」


 ハルは言う。普段、素面の時いつもそうなように、どこか達観した平坦さで。

 冷静な面持ちのまま。静かな視線で俺を見据えて。


 ――瞬間、爆音が響いた。ドン、と言う爆音。まるで砲撃でも近くに落ちたかのような、大気を揺るがす衝撃と轟音。


「な――っ、」


 外に、雪景色に視線を向ける。その景色の最中。蟲が闊歩するウォーレスの街並みへと、半透明の何かが、降り注いでいた。


 砲撃。曲射。面制圧。……あの、黒い老体を思い出す。


「兵器が完成したんだ。兵士が実用化出来たんだ。兵力が整ったんだ。クーデターを起こし、エギル・フォーランズの意思を継ぎ、正しい世継ぎを玉座に据えるための力が、揃ってしまったんだ。少なくとも、蟲はそう考えた。だから、“戦争欠乏症この場所”はもういらないんだ」


 つらつらと、俺の背後でハルは言う。


 眺める視線の先で、雨あられのように降り注ぐ砲撃によって、……ウォーレスが。基地が、瓦礫に変わっていく。


 そしてその瓦礫の最中を、蟲が蠢いていた。


 カマキリだ。見慣れた、いつものカマキリ。いや、それだけじゃねえ。

 胸部から副腕が生えてる奴がいる。人間の腕が生えてるカマキリがいる。そのカマキリの腕に……銃が握られてる。


 砲声が響く。銃声が狂気の夜に響き渡る。


 もう、わからない。

 それをやってるのが蟲なのか、それとも人間なのか。


 怪物人間怪物の狂気が入り混じり境界線があいまいになったその出口のない冬の下で、猫は俺へと言葉を投げる。


「君は私に興味を持った。私は君に興味を持った。初めてなんだ……生まれて初めて、私は個人的な夢を見た。人形の様なお姫様も、我儘を言いたくなったんだ」


 その言葉に、振り返る。


 ハルは――この狂気の中でも依然冷静で、俺が好きになったのと同じ落ち着いた微笑みを零し、こう、泣いた。


「一緒に逃げよう、ジン。何もかも忘れて、二人で。……言い訳になってくれ。私を守ってくれ、ロイヤルナイツ」


 そして、皇女様は俺へと手を差し出してきた。


 砲声と銃声。悲鳴と狂気が渦巻く雪の戦場の、片隅で。

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