5 悪夢の巣Ⅲ 狂気

 進むたびに、独房の扉が内側から叩かれる。


「ジン!ジン!……イヤだ、私はこんなの!ジン!」


 布切れみたいな服を着せられたハルが、扉に縋りついて、涙ながらに俺へと訴えかけてくる。夢だ。夢の中だ。ただの悪夢だ。


「どうして?どうして見捨てたんですか?どうして助けてくれなかったんですか!?」


 次の扉をシェリーが血だらけの指でかきむしっている。憔悴しきった顔で、ぼさぼさの髪で、血走った目で。


 酷い、……クソ以下の悪夢だ。


「イヤ!や、……イヤ!」


 今度はリズの悲鳴が独房から響き渡る。独房の中で、リズが汚らしい爺さんに押し倒されてもがいていた。


 見ないようにして進む。だが、悪夢は終わらない。

 両側の扉から悲鳴が聞こえてくる。ハルの悲鳴、シェリーの悲鳴、リズの悲鳴。


 独房の中で澱んだ目の爺さんに組み伏せられる少女。その悲鳴が響き渡る悪夢……。


 そのクソみたいな悪夢の通路を進んで行き……やがて、だ。


「やはり別の場所に続いているみたいだね。アレだ。……伍長?」


 通路の終わりが見えたからか、ルイがそう声を掛けてきた。

 悲鳴が響き渡るその最中で、何も聞こえていないかのように。


「ああ。……テメェは、なんも聞こえないのか?」

「何がだい?」

「いや、良い。……なんでもねえよ。少なくとも一人は巴投げ決めろやって話だ。やるだろ、確実によォ……」

「巴投げ……?」

「気にすんな。夢見が悪ィだけだ」


 それだけ言って、悲鳴に背を向けたまま、通路の終わりへと進んで行く。

 そうして一歩、通路の先に踏み込んだ途端……背後から聞こえてきた悲鳴が、一斉に消え去った。


 クソ、なんだってんだ?この夢を俺に見せてるのは“クイーン”?じゃあなんだ?脅しかなんかか?嫌がらせか?リアリティがねえな、クソ。


 とにかく、漸く胸糞わりぃ悲鳴から解放された先にあったのは、けれど、ああ。

 まだまだ胸糞悪ィ光景だ。


 研究室、なんだろう。薄暗くてただっ広くて、床が血やら蟲の汚ぇ汁で汚れてる実験室。


 そこらのベットに、死体が寝てる。手足が千切り取られ体が切り開かれてる死体。生きてる奴もいる。生きたまま手足もがれてよくわかんねえ機械に繋がれてる奴。


 カプセルがある。蟲の卵みたいなもんか?中に蟲が浮いてる。ところどころパーツが人間と置き換わってる、蟲の幼体が浮いたカプセル。もしくは逆か?


 身体が蟲にされた人間が浮いてる場所だ。


「ここが悪夢の底か?……ハッ、予想の範囲内だな。今更ビビる気にもなんねぇ。さっきよりずいぶんマシだ」

「探検が刺激的過ぎて慣れてきたのかもね。しかし、わかってはいたが、蟲の兵器化と言うより、これはもう……」


 言いかけたルイがふと言葉を止め、手にある銃を持ち上げた。

 同時に、俺もまた妖刀を構える。


 音が聞こえたのだ。この実験室の奥。そこから何やら、コツコツと言う足音と、ゴリゴリと言う気色悪い音が響いてくる。


 蟲の音だ。蟲の足音。蟲の、……咀嚼音。


「なあ。……そろそろストレスたまってきたんだ。暴れて良いよな?」

「出迎えがあったらね。……確認しよう」


 そう言って、ルイは物陰に身を隠しながら、咀嚼音の元へと歩み寄って行った。

 その後を、俺もついて歩いていく。


 カプセルに浮いてる人間と蟲の中間みたいな怪物。それと目が合う。当然、死んでる。


 蟲の兵器化。いや、人間の蟲化?どっちにしろ強い兵隊作ろうって話だな。それが、そもそもこの場所で行われてた実験の目的なんだろう。


 いや、だった、か?

 エギル・フォーランズが死んで、空位になったこの場所のボスの座に実験体扱いだった“クイーン”が付いた。そして狂気のストッパーが完全に壊れた?


「アレか……」


 呟き、ルイは足を止める。その視線の先……この実験室の、一番奥だ。


 そこに、……死体が山と積まれてた。ここに運び込まれたもんなんだろう、死体。あるいは、ここで出来た……白衣らしきものを着ていた形跡のある、死体。


 それを薄暗い中、カマキリが齧ってる。6匹だ。夢中で人間の死体を捕食している蟲が6匹。


 まあ、6匹くらいどうとでもなるだろ。


「暴れて良いか?」

「…………………」

「なァ。ルイ?おい、どうした?」


 声を掛けても、ルイは返事をしない。ただ、硬直したように、死体を齧ってる蟲を眺めている。いや、その内の一匹を、か。


 その視線を追いかけてみる。人間の腕のくっついた蟲だ。大鎌、4本足とは別に、胸部から人間の腕が生えてる蟲。腕は、細いな。女の腕か?そして、その指に……指輪が嵌められていた。


「……ローラ、」


 うわ言のように、ルイが呟いた。その、瞬間、だ。


 ぴたりと、それまで響き続けていたゴリゴリという咀嚼音が、止む。同時に、その蟲6匹が一斉に、こちらへと振り返った。


「――ッ、」


 その光景を前に、俺は後ずさった。ビビった。ああ、ビビったんだ。


 だが、今更蟲にビビったんじゃねえ。ただ……人間の頭が付いてた。


 まるで蟲の頭をそのまま人間の頭と取り換えたみたいだ。蟲の身体から人間の腕が生えてて、人間の頭がくっついてる、怪物。


 そいつらが、完全に硬直したルイへと視線を止めると、人間の死体を咀嚼して真っ赤になった口で、言う。


「ルイ……」「ルイだ……」「ルイ……」「ルイ!」「ルイ、……ルイ!」


 そして、その怪物が、血まみれの口に笑顔を浮かべながら、ルイへと歩み寄ってきた。


「おい、ビビったか?……蟲だ。殺るぞ」

「違う……」

「あ?」

「仲間だ。ボクの……」


 ルイは、ただただそれだけを呟いていた。

 仲間?……この間死んだっていう、ルイの分隊の奴?その人数は確かに、6人だ。


「こいつらが?……仲間?」


 蟲は、怪物はにこやかに、ルイの元へと歩み寄り……と、思えば次の瞬間だ。


「何しに来た!」「どうして生きてる!」「お前だけ……お前だけ!」「殺して?」「……殺してやる!」


 その表情を怒りと苦悶の色に変え、ルイを糾弾している。

 それを前に、ルイはふと後ずさり……手に持つ銃を、蟲へと向け、トリガーに指を掛ける。


 だが、撃たない。……仲間の顔が付いてる怪物を、撃てなかったのだろう。

 銃を持ち上げながら、ただ怯え竦んだように怪物を眺めるルイを前に、やがて、怪物の内の一匹が言う。


「これは罰だよ、ルイ・カーヴィン」

「罰、……だと?」


 呟くルイに、また別の蟲が言う。


「平和な蟲籠の外にはい出ようとした罰だよ」「モルモットが自分の将来を知ろうとした罰だ」「自由を求めた代償だ」「籠を出た蟲は標本にされる。モルモットは実験台になる」「同胞の死骸が消えていたから探しに来たんだろう?」「だから、会わせてやった。同胞と。……番いと。ねぇ、ルイ?」


「あ、ああ……」


 呻き、ルイは後ずさって行く。死骸が消えてた?取り返しに来たのか?

 そしてその結果が、……これか。


 震えた上で、ルイは銃口を怪物に向けている。その銃を、俺は片手で下ろし、言った。


「ルイ。……俺が殺る。外に出てろ。良いな?おい、……ルイ!」


 呼びかけ、軽く頬を叩く。それで漸く、正気に戻ったらしい。ルイの視線が俺へと向けられ、その目を見ながら、俺はもう一度言った。


「俺が、……眠らせておく。外にいろ。良いな?」


 再度言った俺を前に、ルイは何かを言おうと口を動かし掛け……やがて、漏れてきたのは怯え切った声だ。


「……すまない」


 そしてそれだけ言って、ルイは後ずさりし、そのままこの狂い切った実験室を後にしていく。


 それを見送り、……俺は剣を握り締め、人間の頭のついた蟲。怪物6匹を睨みつけ、トリガーを引く。


 キィィィィィィン。金切り声がチェーンソウからまき散らされて、狂った空間を埋め尽くす。蟲は、怪物は、動かない。攻撃して来ようとも、逃げようともしない。


 ただ、どこか焦点の合わない目を俺に向けてくるまま。そんな、怪物にされちまったルイの仲間へと、俺は歩み寄って行った。


 剣を振るう。


「優しいな、ロイヤルナイツ」


 死にながら、怪物は声を投げてくる。


「だが、この救いは所詮夢だ」


 話してるのはクイーンか?


「現実のルイ・カーヴィンは撃てなかった。怯え、竦み、逃げ帰った」


 うるせえ。ぶった切ってやる。


「そして二度とここに近寄ろうとしなかった。蟲籠の中に暮らし続けることを選んだ」


 …………喋んな、蟲が。


「抵抗を諦めたんだ。恵まれたモルモットでいることを選んだ。心を壊したままに」


 黙ってろ。ぶった切る、ぶった切る、ぶった切る……金切り声を上げる剣を振るって、怪物になっちまった人間を、殺す。


 5匹、殺した。最後の一匹。ローラとか、言ってたか。指輪を付けた、女の細腕。それを付けた蟲を殺しに、蟲の返り血のついた剣を手に歩み寄る。


 そいつは逃げない。そいつは、女の顔は……はにかむ。そして、指輪を弄りながら、言う。


「どうしよう、ルイ。……赤ちゃ、」

「――クソがァ!」


 聞く気にもならねえ。どこまで胸糞悪くなれば気が済むんだ、この悪夢は。


 クソが、クソが、クソ蟲が……。

 ぶった切った怪物は、もう、喋らない。動かない。死体の山に、今俺が作った真新しい死骸が覆いかぶさり、空間が止まる。


 狂い切ったまま。


「クソが、…………クソ、」


 ……まさか、スラム以下の場所がこの世にあるとは思わなかったな。狂ってやがる。完全にぶっ壊れてやがる。この空間が、この実験室が……この、悪夢が。


 俺は死骸の内の一つへと歩み寄り、落ちてた腕。そこにある指輪を拾い上げた。


 気休めだ。どうせ夢だしな。


 あるいは、こいつを渡すと呪いみたいになるかもしれない。余計な事か?けど……。


「優しいな、ロイヤルナイツ」


 ふと、声が響いた。背後からだ。同時に、ガシャンと、ガラスが砕け散るような。パシャンと、培養液が零れるような音が、響き渡る。


 それに、振り返った先。

 新たな怪物が一匹、この狂気に満ちた空間に生まれ落ちていた。


 幼体、なんだろう。白い蟲だ。足取りがおぼつかないように、半ばバタつくように地面を這う、カマキリの幼体。その胸部からは、やっぱり人間の腕が生えている。


 そして、……その頭部は知った顔だった。


「興味深い行動だね。キミは、……4ケタ。我々を殺してきた。天敵だ。好戦的だ。殺戮を好むのかと思えば、人間にしては珍しく、キミは同胞を殺していない」


 ハルが、言う。……ハルの頭がくっついた蟲が、言う。


「だが、今。キミは蟲の要素があると言うだけで同胞を殺して見せた。何が違う?」


 話しかけて来てるのは……この悪夢の主だろう。“クイーン”だ。“クイーン”だから、……俺が言うのはこれだけだ。


「今からテメェを殺しに行くぞ、クソ蟲」


 そして、ハルの頭のついた蟲をその場に、俺はこの狂った実験場を後にする。


「この個体は殺さないのかい?」

「黙れ、1000万」

「我々はキミと共生関係になりたい。共存を望んでいるんだ。それが得だと我々は思う」

「テメェを殺して勲章をもらう」

「報酬が欲しいんだろう?あればこちらに付くんだろう?何が望みだ?」

「テメェを殺して、このクソみたいな場所をぶっ壊して、栄転する」

「強情だね。神の後継者と同じだ」


 神の後継者?…………エギル・フォーランズの隠し子か。

 リズにもなんか提案して断られましたって?


 ハッ、……そりゃそうだろ。

 中指だけ立てて、俺はハルの頭のついた蟲の真横を通り抜ける。


 と、その瞬間、だ、俺が歩んで行こうとした先で、またカプセルが砕けた。


 そうして、新たな蟲が二匹、俺の目の前に零れ落ちる。やっぱり幼体だ。やっぱり、人間の腕が付いてる。そして、人間の頭も。


「拒むのなら、キミの未来にこれを与えよう」


 シェリーの頭のついた蟲は、言う。


「知っているぞ?執着しているんだろう?我々にはキミの執着対象に特権を与える用意がある。共生関係になろう」


 リズの頭が、……そんなことを口走る。

 要は、脅しか。所詮蟲の頭だな。


「ノる訳ねえだろ。殺してやるから行儀よく待ってろ、クソ蟲」


 それ以上何も言うことはない。全部無視して、俺はその狂った空間を後にした。

「提案はしたぞ!」

「拒んだのはキミだ!」

「選んだ未来で報いを受けるが良い!」


 それらの声にもはや振り返る気すらなく俺は歩み、やがて、実験室の外に出る。


 通路だ。こっちはこっちで狂気まみれの独房。だが、どんどん最悪が更新されて行って相対的にまだマシな空間な気さえして来る。


 そこに、ルイがしゃがみ込んでいた。座り込み頭を抱え、項垂れてる。


 近づいて来た俺に、気付いたんだろう。ルイは視線を上げる。そんなルイへと、俺はさっき回収したもんを投げて渡した。


 指輪だ。……ローラとか言ってたか?そんな名前の女の、薬指に付いてた、指輪。

 それを受け取って、ルイはあの悪夢が死んだと悟ったのだろう。


「う、……うぅ、」


 指輪を握り締めて、呻き、泣き崩れる。


 それを横目に、俺は返り血のこびりついた剣を眺めて、言った。


「落ち着いたら行くぞ。……悪夢の主殺しにな」


 夢の中だから殺しても意味がない?そりゃ、そうだろうな。

 だが、だからなんもせずだんまりって気分じゃねえ。


 “クイーン”を殺してやる。この夢の中でも、……現実に戻ってからも。

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