4 悪夢の巣Ⅱ 醜悪
適度に物陰に隠れ、一応スニーキングを続けながら、俺とルイは悪夢の奥へと進んで行った。通路。人間用のサイズの通路だ。だが、そこを進んで行くのは、作業用の副腕が生えた蟲だけ。
規則正しく実験材料を運んでは戻って行く蟲の作業員たち。
その蟲の列を睨みながら汚らしい通路を進んで行き、やがて、俺とルイは広い部屋に辿り着いた。
とりわけ汚らしい部屋だ。何か物があるとかじゃない。ただ広くてただ汚れてるだけの部屋。
横に布切れが山と捨てられている。その傍に身を隠し、部屋の中を観察する。
広い部屋のそこら中に、人間が寝かされている。全員女だ。軍服を着た、女。男と死体はそのまま奥の通路へと運ばれて行き、生きてる……眠らされてる女はその部屋に寝かされている。
そして……服を剥がれていた。
ああ、他に言いようがねえだろ?運んできた奴とは別。この広い部屋に最初からいた別の、人間の腕の生えたカマキリが、寝てる女の服を腕で、大鎌で綺麗に剥ぎ取り、また奥へと進んで行く。
酷く……酷く気色悪い光景だ。
「何、してやがんだ……?」
思わず呻いた俺を横に、俺と同じように顔を顰めながらも、ルイは冷静に言っていた。
「邪魔なものを切除してるんじゃないかな?」
「あァ?」
「……被検体が服なんて着てたら邪魔だろう?」
「チッ、」
気色悪ィ、気色悪ィ!完全に実験動物扱いかよ、クソが。
苛立ちまぎれに妖刀を手に蟲を切りに行こうとした俺の肩を、ルイが掴んで止めた。
そして、言う。
「一々末端に意趣返ししても意味がないよ」
「…………チッ、」
「乱戦の中なら直情で動くのも良い。でも、いつもいつも直情でだけ動いていたら、敵を増やすだけだ。キミが死にやすくなるだけ。冷静さは保っておくべきだよ。深呼吸でもすると良い」
…………耳の痛い話だな、クソ。冷静、冷静か……。
俺は、言われた通り一つ深呼吸をする。冷静に、冷静に……正気を保ちがたい狂気の中でも、冷静に。
何となく、スラムを思い出した。そこに近い狂気だ。人間の一番汚い欲望ばかりが暴力と共に転がってる場所。そこで、俺は比較的まともに生きてきたはずだ。
それと、同じ自制……。
どうにか自分を抑えた俺の肩をルイは叩き、言う。
「奥に行こう……。情報は得られるだけ得るべきだ。キミは特にね。未来にその情報を持ち帰れるんだから」
「ああ、」
頷いた俺を横に、ルイは動き出す。その後を、俺もまたついていった。
死体。男。服を剥がれた女。それらを運んでいく蟲の後を追って、この狂気の更に奥へ。
奥に進めば進む程、通路が、空間が汚れて澱んでいく気がする。異臭が鼻に付く。腐ったようなにおい。ホルマリンみたいな匂い。掃除されないまま放っておかれた、かびたような血の匂い。
それらに顔を顰めつつも、唇を噛んで進んで行った先……現れたのはそれこそ野戦病院みたいな部屋だ。
汚らしいベットがいくつも並んでいる。そこに死体と裸の女が寝かされている。
更に奥に続く通路が、二つ。一つには、男と死骸がそのまま運ばれて行き、服を剥がれた女はベットに寝かされている。
そして、……そこには動いてる人間もいた。
白衣……だったんだろう薄汚れた服を着た爺さんだ。目がどこかおかしい。あからさまに狂ってる。髭も髪も伸び放題で、何日何か月何年風呂入ってないんだって位に、離れても匂ってきそうなくらいに汚らしい爺さん。
その爺さんが、蟲を引き連れてベットの合間を歩んでいて……そして女の身体を観察していた。
女の肌に触れ、胸に触れ顔を眺め物色し、呟く。
「モルモット」
爺さんが呟いた瞬間、引き連れていた蟲が動いて、その女を奥の、男と死骸が運ばれいく方の出口へ、運んでいく。
「モルモット、」「モルモット、」「モルモット、」
狂った爺は選別を続け、モルモットと呼ばれた女は運ばれていく。
そのうちに……ふと、爺さんの目に光が戻った。
いや、光じゃない。……獣欲だ。欲情したんだろう。この女を見つけたんだろう。攫ってきたのか、もしくは俺らと同じで懲罰扱いでここに送られてきた女の中から、自分の好みを。
その寝てる女の肌に触れ、薄ら笑いすら浮かべながら、爺さんは言った。
「……娯楽用」
そして、蟲はその女を奥の通路――男と死骸が運ばれていくのとは別の通路へと、運んで行った。
クソ。クソがクソがクソが、クソが!気色悪ぃ……。
今すぐ暴れてここを全部ぶっ壊してやろうか、クソが。いや、ダメなんだったな、クソが、クソがよォ……。
「おい、……こいつはなんだ?何してやがんだあのクソ爺。ぶん殴ってきて良いか?良いよなァ、」
ぶん殴りに行く代わりに毒を吐いた俺を横に、ルイは言った。
「……イカレた場所で正気を保つために、被検体から好みの女を選んで遊んでるんだね。なるほど、反吐が出るね」
「もう正気の発想じゃねえだろ、それ。よく冷静に言えるな」
「軍人だからね。感情は殺せないと駄目だろう、伍長。感情のまま同じ下衆まで堕ちてやる必要はないだろう?さあ、我慢出来てるうちに先に進もう」
我慢、我慢だと?……クソが。
「いつまで我慢すれば良いんだ?」
「蟲の女王様を見つけるまでかな。そうしたら暴れて良い。……少なくともボクはそうする」
しれっと言い切って、ルイは物陰に隠れながら奥へと進んで行く。
その後を、俺も大人しくついていった。
我慢、我慢、我慢……クソがクソがクソがァ。
ああ、大人しくだ。自制、自制……。
……スカシ野郎が言ってた鉄砲玉だの名剣だのは、こういうことか?我慢をすればよいのか?我慢を覚えれば良いってか?
「我慢してどうなるってんだよ、」
「生存率が上がる。キミ自身。そして同行者……例えばボクのね」
んなもんどうだって良いだろ?……って思ってたから俺は鉄砲玉だった訳だ。
今は、……違うか。クソ……。
ベットの間を生理的嫌悪感の塊が蠢いて回ってるその空間を後にし、奥の通路へとするむ。男と死骸とモルモット扱いされた奴が運ばれていく方……じゃない方へ。
「爺が奴隷とヤってる胸糞悪い光景見に行くのか?」
「生存者がいる可能性のある方を先に探るんだよ。安全を確保できるかどうか調べるためにもね」
……こいつ、ホント冷静なんだな。なんか、アレだな。教官とかスカシ野郎と同じようなタイプに見えてきた。
クソ……なんでお前死んでんだよ。なんで……クソ。
我慢し過ぎて唇から血の味がしてきた。それでも、耐える。暴れまわりたい気分を押さえつける。
そうしてルイと進んだ先……現れたのは、さっきまでと比べて多少なりとも清潔な空間だ。
牢獄、だろうか。独房の群れ?そんな風に見える、扉の数々。
そのうちの一か所から、女を運んでいた蟲が出てきて、元来た道を戻って行く。
それを見送った後……俺とルイは立ち上がり、周囲を観察した。
扉には覗き窓が付いている。覗き込んでみると部屋の中は簡素だ。ベットがある。トイレがある。ほとんど独房みたいな部屋に、女が一人。
どの部屋もそうだ。
服着てる女も何も着てない女もいる。何かしら物が置かれている部屋もある。酒、注射器、薬……お気に入りへの貢ぎ物か。
気に入られちまってる女はどいつもこいつも、……虚ろな目をしていた。
薬物中毒者みたいな目で、うわ言を喋ってる。
助け出してやるか?俺の手には、チェーンソウがある。扉を全部ぶった切って自由をくれてやることは出来る。
出来るが……。
「逃がしたところでまた捕まるのがオチだろうね。そもそも、多分だけど……逃げようってくらいに正気を保ててる人はもう、首を括ってる」
剣を眺めた俺に、ルイがそう言ってくる。
……宙ぶらりんの身体が揺れてる部屋もあった。割れた酒瓶と腐ったからだが黒ずんだ床の上に転がってる部屋もあった。
なんか、一周回って冷静になってきたな。感情を殺せるようになったか、この俺が。
いや、違うな。どっちかっていうともう、感情が死んだって感じだ。クソみたいな光景見過ぎてもう、感情が壊れかけだ。
「まだ先があるね。……さっきの部屋から続いてた、もう一つの通路と繋がってるのかな?飽きたらモルモットにするのが資源の効率が良いしね」
「テメェもイカレてんな」
「これでもマシになったんだよ。戦場が怖すぎて一回完全に壊れてね。懲罰部隊に来て、皮肉なことにそこで倫理観が修復されてしまった。まあ……その恩人はこないだ、皆逝ってしまったけど」
淡々と、感情を殺し切ったようにルイは言って、奥へと進んで行く。
俺はノーコメントだ。何を言ってやれば良いかわかんねえ。何言っても気休めに過ぎないことは、わかってる。
とにかく、更に奥へ。奥へ奥へ。
どうしても扉の覗き窓から奥を眺めてしまいながら、進んで行く。
どこ見ても地獄だ。目に入る物が全部狂気の産物だ。
こうまでしてここの奴らは何やってるんだ?蟲の兵器化実験だったか?……それやってる途中に“クイーン”に乗っ取られたのか?
そう言う、小難しいことを考える。感情を排して考えないと俺もイカレそうだ。
だから、冷静に。考えて、ただ情報だけ取得しながら進んで行き……だが、だ。
「…………ハァ?」
ある扉の奥を見た直後――思わず、俺は声を上げていた。
そして次の瞬間――ほとんど反射だ。キィィィィンと鳴り響く俺の手の剣が、その扉をぶった切っていた。
そして切り裂いた扉を蹴り開け、俺はその中へと踏み込んでいく。
独房だ。ベットが一つにトイレが一つついている独房。他と同じ部屋の最中、部屋の隅っこに、一人の少女が膝を抱えて座り込んでいる。
見覚えのある、少女だ。記憶より若い。幼い。だが、見間違えようがない。
銀に近い白髪の少女。通信越しなら饒舌なのに……顔を合わせると他人を恐れる少女。
それこそ被験者が着させられるような布切れみたいな服を着たそいつの元へと歩み寄り、俺は言った。
「リズ、……なのか?」
その俺の言葉に……けれど、リズは返事をしない。ただその場に座り込んだまま、虚ろな目でただ、虚空を眺めている。
「リズ?……おい、リズ!」
肩を掴み、揺する。だが、虚ろな目をしたリズは、ただカクンカクンと揺れるままでリアクションをせず……と、思えば次の瞬間。
リズの目の焦点が俺に合い……そして、言う。
「ここは過去だぞ、ロイヤルナイツ。夢の中だ。悪夢の中。慌てても何もできない。変えられるのは未来だけだ」
「――ッ、」
リズの声だ。幼い声だと言うのに、大人の様な口調。それに俺は歯噛みし、問いを投げる。
「“クイーン”、か?」
そう問いかけた俺に、リズはにこりと微笑みを返してくる。大人びていて、妖艶で――どこかネジが外れてるみたいな、笑みを。
そして、次の瞬間、だ。
ふと気づくと、俺はその独房の外に立っていた。たった今ぶった切ったはずの扉が何事もなかったかのように元通りになっていて、そして独房の中には、誰もいない。リズの姿がない。
「…………?伍長。どうかしたのかい?」
先に進もうとしていたルイが、振り返り問いかけてきている。
「いや……なぁ。俺今、この扉ぶった切ったよな?」
「いや、そんなことはしてないと思うが……どうした?」
どうした?どうしたねぇ……んなもん俺が聞かせてもらいたいな。クソ、訳わかんねぇ。
なんだったんだ、今のは。なんで俺は何もしてないことになった。
夢?夢だから……行動が修正された?
「クソ……訳わかんねぇ。いよいよ俺もイカレたか?白昼夢でも見た気分だ」
「ここに来てから気色悪いモノしか見てないからね。疲れたのかな、伍長?引き返すかい?」
引き返す?ここまで来て?
「……つまんねえジョークだな」
最後にもう一度ちらりと覗き込んだ部屋の中には、……さっきはいなかったはずだと言うのに、人影があった。
今度はシェリーだ。さっきのリズと同じように、布切れみたいな服を着させられてるシェリー。それが、独房の中を覗き込む俺へと微笑みかけて、叫ぶ。
「変えられるのは未来だけだ!……正しい選択をしろ、ロイヤルナイツ!ハハ、ハハハハハハ!」
シェリーの声だ。けど、……話しかけて来てんのは多分別の奴だろう。
“クイーン”だ。蟲の女王。俺をこの夢に招待した奴か?
いよいよ、悪夢染みて来やがった。
「クソ、」
吐き捨て、俺は先へと進んだ。独房の群れを、悪夢の中を、その更に奥深くまで……。
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