3 あまりにも女々しい走馬灯

 見上げる先に豪華な建物がある。城だ。帝国の主の城。この国で一番偉く、この国で一番金を持ってて、この国で一番良い家に暮らし、この国で一番良い生活を送ってやがるクソ野郎の城。


 遠くに見えるそいつを見ながら、ボロボロのスラムでボロボロの服を着て、俺は道端に倒れ込んでいた。


 口の中に血の味がする。体中が痛い。どっかしら折れてるかもしれない。寒い、腹減った……。


 耳には足音と声がする。


『サルが、……二度とツラ見せんな』

『飢えて凍えて死ね、劣等種が』


 俺をボコボコに叩きのめしたスラムの住人だ。殴り過ぎて拳を擦りむいた奴。べっとり血の付いた木の棒持ってる奴。


 全員俺と同じようにぼろきれを着てる。けれど、俺は奴らのお仲間じゃない。

 飢えて死にそうだったから食い物を盗もうとした、スラムのガキ。そうしたら捕まって腹いせにボコボコにされた、劣等種のサル。


 クソが。クソがよォ……。

 呻いて上流階級様の城を眺める。眺めるばかりで手に入らない、デカい家を。


 ……瞬きする。


 *


 眺める先でザコが群れてやがる。人間だ。俺を見下す良い服のお坊ちゃんたち。


 そいつらを俺は睨みつけ、……見下してやった。

 かろうじてギリギリスラムで生き抜いて、金と食いもんと屋根のあるねぐら欲しさに軍に身売りした後だ。まだ配属される前の、訓練校時代。


 俺の成績はトップだった。根性が違う。まともに暮らしてた野郎とは経験が違うんだよ。軍隊のメシがまずい?何言ってんだ食えるだけマシだろ。訓練が辛い?アスレチック未知なもんだろ、こんなもん。


 ザコ共が。お坊ちゃん共が……俺を見下してんじゃねえよ。


『またアイツがトップかよ。……サルの分際で』

『教官のナニ舐めてんだろ?』


 ボコボコにしてやった。懲罰牢に送られるのは俺だけ。

 鉄格子から眺める。群れた雑魚共。まともに生きてきた奴ら。恵まれたお坊ちゃん共。


 それを、……一人で睨み続けた。


 瞬きする。


 *


 ――怪物に、人間が、千切られる。


『ああ、ぐあ、……ああ、』

『クソクソクソクソクソ……』


 上半身だけのクソ野郎が地面をはいずってやがる。

 完全にネジ跳んだ目をしたクソ野郎が、頭を抱えてうわごとばっかり吐いてやがる。


 どいつもこいつも、俺の事を見下して軍隊式にいびって来やがったクソ野郎だ。

 俺の最初の配属先。俺が最初に送られた地獄。俺の初陣……。


 死んでるのはクソ野郎だ。サルには何やっても良いと思ってるカス共。掘ろうとして来やがったからボコボコにしたら俺のメシに色々混ぜて来やがるようになった、性根の腐り切ったゴミ野郎。


 それが蟲に喰われてる。不真面目な軍隊だったから不真面目に奇襲を喰らう。“蟲鈴”が機能しなかったらしい。だからゴミに蟲がたかってる。


「――ハハ、」


 俺はハイになった。初陣の恐怖とクソが蟲に千切られる快感がごっちゃになって、地獄のど真ん中でネジが吹っ飛んだ。


 だから、……俺だけ生き延びた。


 ほかの奴を助けてやる義理はない。そんな余裕もない。昔からずっとそうだ。俺一人生き延びるだけで精いっぱい。スラムからどこまで行っても、変わらない。


 蟲を全部殺した頃には、俺がいた隊の奴も全員死んでた。


 そして廃墟になったその場所に、ずいぶん遅れて、ヒーロー様は現れる。


『……何匹殺した?』

『数えてねえ。死骸集めてテメェで数えろ』


 吐き捨てた俺を、そのスカしたヒーロー様は、笑いやがった。

 面白い玩具を見つけたとばかりに。


 *


 いつの間にか、金にも待遇にも困らなくなった。


 皇族特務。ロイヤルナイツ。軍の中じゃ特権階級みたいなもんだ。

 運よく拾われたそこで、俺はスカシ野郎に礼儀を叩きこまれた。戦い方、目上への口の利き方、蟲の殺し方、上官への口の利き方。


 スラムからずいぶん成り上がった気がする。ずいぶんマシな暮らしになった。ずいぶんマシな肩書きがついた。


 だが、足りない。そこにも俺の居場所はない。

 部隊の奴らは大体、エリートばっか。


『大尉殿のお気に入りか……』

『スラムの犬が、』


 例外が二人。訓練校時代の教官と、スカシ野郎。その二人以外の全ての人間が俺に向ける目はロイヤルナイツまでのし上がっても、……スラムで俺を見下したあのチンピラと同じだ。


 ふざけんじゃねえ。舐めるな。のし上がってやるよ。てめえらを見下してやる。誰よりも蟲を殺せば認めざるを得ないだろ?俺を認めろ。俺を敬え。見下すな。


 ……クソが。


『鞘に収まることを覚えろ。頭を使うことを覚えろ。……頭を冷やせ。それが命令にして、訓示だ。辺境だろうと励めば、手柄は取れるぞ』


 説教すんじゃねえよ。俺を見下すんじゃねえ。左遷だと、ふざけんなよ。手柄は立ててやってんだろ?てめえが俺を拾ったんだろうが?捨てんのか?クソが、クソがよォ。


 ……俺を認めてたんじゃねえのかよ、アニキ。クソ。

 鉄砲玉はイラついた。ああ、イラつく。クソが。


 *


『クソがよォ……』


 そして左遷先で更にイラついた。

 あまりにも乱れ切った居間と、そこにいるのに誰一人掃除する気配すら見せない酒カス共に。


『ふにゃ~、』

『じゃれんな、ゲロ猫!……軍曹殿。クソがァ、』


 呻きながら掃除を始める。ゴミを片付けて酒瓶を纏めて、……そしてソファに腰かけて掃除する俺を眺めながら、見た目だけお嬢様は言う。


『あら~~、意外とマジメですね、ジンくん』

『マジメですねじゃねえんだよ。手伝えよ』

『だって、片づけてもどうせ今夜散らかしますし』

『クソがよォ……』


 イラつきながら、俺は掃除を続け、そんな俺の元に、優秀な“戦術支援官”様が近寄ってくる。


『あ、あの……あ、ありがとう……』


 そして去っていく。……イヤ、ありがとうじゃなくてお前ぐらい掃除手伝えよ、まったく。


『クソ共がよォ、』


 イラついて吐き捨てて……家の掃除を続ける。

 そう、家だ。スラムで見上げたあの皇帝陛下のお城ほどじゃないが、まあまあ広い、豪邸。


 そこにいる奴らは酒カスだ。毎夜毎夜飲んで騒いでダル絡みしてきて……けれど、露骨に俺を見下して来たりしない。


 元からハルがいたから、人種に寛容だったのだろう。

 結局同じ流刑者だから、同情的だったのかもしれない。


 もしくは、諸々裏で企んでて、どいつもこいつも何かしら抱えてやがったから、全部全部ハニートラップみたいなものだったのかもしれない。


 だとしても、だ。だとしても、左遷されて、出世街道外れて、なんならそこは流刑地だったが、それでも。


 居心地が良い気がした。

 家が出来たような気がした。


 栄転するために奴らに取り入ろうとしていたはずが、なんだか飼いならされたような気分だ。


 だから、そのやっと見つけたかもしれない居場所が壊れそうだからって、ガラにもなく偉そうなセリフを吐いて、甘えるように顎で使って支援をさせて、調子に乗って油断して、挙句……。


 *


「クソが、」


 あまりにも女々しい走馬灯でも見る羽目になったらしい。吐き捨てると同時に瞼を開けると、イヤに澄んだ空が見えた。雪の冷たさ、感覚がある。身体の関節を確かめる。指、足首、膝、肘、手首腰……。一通りくっついてるっぽいな。


『伍長!伍長!……ジン!』

「聞こえてるよ、リズ」


 くらくらする。まるで二日酔いみたいに。どうなったんだ……ああ。なんか飛んできたんだったな。砲撃なのかカッターなのか、……どっちにしろ厄介極まりない攻撃が。


 それを喰らったのか、あるいは直撃はしなかったのか……どっちにしろ。


(死なずに済んだ訳か、)

『伍長!……無事?』

「ああ、」


 インコムから届くリズの声に応えながら、俺は雪の最中身を起こし……と、その瞬間、だ。


 巨大な影が俺へと落ちた。カマのついた蟲の影。2種だ。成体2期。さっきまで雑にあしらってた雑魚。そいつが俺へと迫って来ているが……まだクラつく頭と身体は思う様に動かない。


 クソ。そう、呻きかけた。けれど、その負け犬の鳴き声が俺の喉から吐き出される前に、弾丸が俺の目の前へと飛来する。


 そして次の瞬間、俺を食おうとしてやがった大カマキリが、胸部を吹き飛ばされて弾け跳んだ。


 狙撃だ。見ると周囲にいくつか、似たような蟲の死骸が幾つか転がっている。

 寝てる間世話焼かれたらしいな……。


『ジンく~ん起きたなら働いて貰って良いですかね早く!私今ちょっとタスクが多すぎてちょっともう~~~~~っ!』


 ずいぶん忙しそうな狙撃手に。


「ああ。……助かった」


 呟き、俺は立ち上がる。頭のクラつきは収まった。身体も、致命的には負傷してない。ショットガンも手にある、無事……。


『え?あ、はい。え?素直……え?今あの私情緒が迷子なんでそう言うのやめてくださいホント!だからトラウマって言ったのに、もう~~~~~!』


 声と共に銃声が響き渡る。狙撃支援だ。俺の周囲じゃない……そうだ。


「リズ。友軍の損害は?」

『死傷者29名』

「な、……半分?」


 すぐさま視線を巡らせる。そうして目に付いたのは……地獄だ。


 大カマキリの群れと人間がごちゃごちゃに争い合う乱戦模様。争いに掘り返された雪は蟲の体液……そして人間の血に染まっている。雪にうずもれるように倒れ込んでる奴がいる。


 なんでだ?優勢だったはずだ。楽勝だったはずが……アイツか。


『老体の砲撃に対応が遅れて損害を出した。それで隊列が崩れて……』


 リズの声を耳に、視線を向ける。チェック4、さっき砲撃が飛んできた方向。老体がいた方向。


 そこには未だ、あの黒い老体の姿があった。だが、砲撃するのではなく……小柄な影が、巨大な怪物と戦っている。


 キィィィンと哭き叫ぶチェーンソウの様な剣を手に。


(アイツ……)


 ビビってたんじゃねえのか?何やってやがる……ヒーローごっこか?シェリーの警護はどうした。比較的安全な場所においてやっただろ、クソ。命令無視かよ。


「クソ、」


 すぐさま俺は駆け出した。雪がうぜぇ、足が取られる。それでも、駆ける。


 駆け抜ける――。

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