3章 ”大蟲厄”―ディザスター―

1 始まりの砲火

 雲一つないような青空が頭上にある。眼下には真っ白くただっぴろい雪原。両脇に崖がそそり立ち、それに囲まれ逃げ場を奪われた無垢な死刑場だ。


 そこに友軍――“ウォーレス”にいる流刑者が大挙して佇んでいる。他の隊の奴らだ。あの酒場で俺と殴り合った奴がいる。あの、ルイって奴の姿もある。持ってるのはガトリングガンか?お嬢の玩具はおさがりだったのかもな。


 とにかく、他の分隊の奴らの配置は、死刑場。俺たち“バッカス”の配置は、崖の上の高地。


 だから絶対に蟲が昇って来ないって訳じゃないが……下よりマシだろうな、多分。


 双眼鏡を手に諸々見下ろして、そんなことを考えた俺の後ろで、女王様がボヤいた。


「……ジンくん。あの、ホントにこれ使うんですか、私」

「あァ?」


 振り返った先。シェリーは今日もバカでかい銃を手に、不満げに呟いていた。

 不満な理由は、持ってる武器が使い慣れたモノじゃないからだろう。シェリーの手にあるのはいつものガトリングガンではなく……同じくらいの長さのある対物狙撃銃アンチマテリアルライフル。それ位持ち出さなきゃ狙撃じゃ蟲の殻は貫けない。が、当てられるなら蟲相手に最強の武器だ。


 それを手にしたスパイ崩れは、恨みでもこもってそうな視線を俺に向け、言う。


「……トラウマだって言いましたよね?言っちゃいましたよね、私」

「狙撃が得意なんだろ?他は忘れた」

「……ずいぶん都合の良い耳ですね」

「蟲だけ映せば良いだろ、スコープによ。ムカつくなら俺の背中撃てや。当てられるもんならなァ……避けてやるよ」

「……それ、もうちょっと言い方変えるだけで大分優しくなると思いません?」

「軍隊で優しさ求めんなよ、学校じゃねえんだ。出来るならやれ。出来ないなら出来る範囲でやれ」


 言い放った俺にスパイ崩れは思い切り舌打ちしてきやがった。


 良いね、ビビってるよりイラついてる方がまだマシだ。


 そんなことを思った俺の後ろで、その場にいるもう一人。ハルは緊張の面持ちで、腰に下げた水筒……多分酒が入ってるんだろうそれを、口へと運んでいる。


 流石に酔えてないらしい。水筒を煽った後も、神妙な顔で俯いている。

 そんな軍曹殿へ、俺は言った。


「ハル……軍曹殿?アナタの任務は?」

「シェリーの警護」

「そうそう。近づいてくるかもしれない蟲数匹、いつもの玩具でぶった切るだけだ。いつもとなんも変わらない。どうしようもない状況なら逃げても良い。ビビんなよ。……な?」

「……うん、」


 軍曹殿は大分不安げに頷いていた。いつもの調子とはいかなそうだな。まあ、蟲来ても竦んで動けないってことはないだろうし……やる時はやる奴だろ。


「……なんか、態度違いません?ん?なんか、私に比べてハルに優しくありませんかジンくん」

「ダル絡みしねえで銃の点検でもしろや、スパイ崩れ。軍曹殿は気付けに幾らでも飲んでいただいて構いませんよ?」

「露骨すぎません?あれ~?脱いだんですけどね、私……あれ~?」


 スパイ崩れは軽口叩く余裕がある。が、軍曹殿は渋い顔のままだ。蟲だけじゃなく“大蟲厄”にもトラウマがあるのか?


 まあ、なんだ。……俺の優しさにも限界があるしな。


「シェリー。……お前腰だめでもどうせ当たんだろ?ちゃんと軍曹殿を警護してやれよ?」

「なんで私の扱いそんな雑になってるんですか?あれ~?」


 そう軽口を叩いたところで、漸く、ハルは小さく笑みを零した。そして、持っていた妖刀“刃狂魔”のトリガーを引く。


 キィィィィィィンと言う音がその場に一瞬鳴り響く。……まったく動けないって訳でもないらしい。


 それだけ思った俺の耳、インコムに“戦術支援官”の声が届いた。


『来るよ。有視界』

「数は?」

『275』


 まあまあな大群だな。だが、まあまあだ。

 そんな感想のまま、俺は双眼鏡で、この死刑場の入り口を眺めた。


 見えるのは2種成体Ⅱ期――大カマキリの大群。が、一瞬見えたそれはすぐ、雪のカーテンの向こうに隠れた。カマキリ共が踏み飛ばした雪のカーテンの向こうに。


 もう双眼鏡はなくても良いだろう。肉眼で見ても、雪のカーテンとその奥の影の群れが見える。眼下で他の分隊の奴らが武器を構えて、背後では二人程、お嬢様が息をのんでいた。


 それらの最中、俺は悠々とその場に立ち上がり、“戦術支援官”へと問いかける。


「後続は?」

『なし。275だけ』

「そうか。幼体は?」

『なし。成体のみ』


 幼体がいない?ならいよいよ……違うな。“大蟲厄”じゃない。


「リズ。味方の人数って何人だっけ?」

『62名』

「そうか。275―62ってなんだっけ?」

『…………それ本気で聞いてないよね?』

「213か。……あってるよな?」

『あってるけど……』

「よし。ならリズ。……全軍に通達」

『ハァ?……何言ってるの、伍長?』

「全軍に通達。オープンチャンネル。……俺に従うんだよな、リズ?」

『……………ハァ。どうぞ、伍長。3,2,1,はい』


 リズの声と同時に、インコムに一瞬ノイズが走る。全軍に繋がったんだろう。後ろのお嬢様は二人。眼下の別の隊の奴ら。あるいは、今も司令部にいる爺さん含めたすべての奴に。


 そんな、この戦域の全ての奴に、俺は挑発を投げる。


「あ~、全軍に通達。第03分隊……元ロイヤルナイツのジン・グリードだ。全軍につうた~つ、」


 眼下の雪原でインコムに手を当てている奴の姿がある。確かに届いてるっぽい。

 それを見下ろし、崖の縁に優雅に腰かけ、遠くに見える蟲の群れを眺めながら、俺は言った。


「こいつは経験則だ。アレは“大蟲厄”じゃない。繰り返す。あの程度の規模で“大蟲厄”なんて笑わせる。ビビる価値もねえただちょっと多めなだけの蟲の群れだ……」


 03分隊の配置も把握してるんだろう。死刑場にいる奴らが数人、俺へと視線を向けてくる。


 そいつらへとショットガンを振ってやりながら、俺は続けた。


「キレんなよ、おい。ビビり共。勝てるって言ってんだよ、余裕でな。テメェらにノルマをくれてやる。一人一匹だ。一人一匹殺して……俺が残りの213殺れば損害なしで完勝だ。楽な戦場だろ?いつも一人一匹ぐらいは殺してんだろ?いつも通りだ。てめえらはいつも通り頑張って一匹殺って、……俺はいつも通り213殺る。それで余裕で勝てるだろ?」


 バカみたいなことを言い出したロイヤルナイツの言葉が、ウケたらしい。

 死刑場で罪人たちが笑ってる。それを見下ろして……俺は言った。


「ノルマは早くこなすに越したことねえよな。……総員、構え。銃持ってない奴は射線開けろ」


 俺が言った瞬間――眼下に映る全ての人間が動いた。

 ほぼ、同時にだ。練度が高い……酒場で騒いでた奴らとは思えない規則だった動きだ。


 ……なるほどな、自称中佐殿。現場の人間はキャリアある若造の方がマシらしいっスよ?


「一発だけ……一発だけ……射線に味方なし」


 シェリーが後ろで、対物狙撃銃を抱えるように伏射姿勢を取っていた。


 ああ、それで良い。度胸ねぇ女が水鉄砲だけ持って男の風呂場に突撃してこねえだろ?


 俺は笑い、全てを見下ろし……こちらを認識したのか。戦闘が動きを止め身を屈めたカマキリ共を眺めた。


「まだだ。……もうちょい。カウント、10,」


 俺の声と共に、その場の空気がひりついた。味方も、その殺意向けられた蟲共も、緊張に飲まれ硬直する。


 なんだよ、なんか楽しいな、これはこれでよ。チッ、もうちょい真面目に上級士官目指してみれば良かったか?


「9,8,7…………」


 嗤いながらカウントを進める。味方は緊張し、蟲の最前列の奴は警戒を深めて完全に動きを止める。


 だが、所詮蟲の知能だ。最前列が止まっても、奥の奴は進み続ける。

 だから、前方の方にずいぶん、蟲が溜まってお互いに踏まれて良い的になり……それを眺めながら、俺は言った。


「2,1、……射撃ファイア


 瞬間、その場に雷鳴が轟いた。そんな気がするほどに派手に、銃声が轟いたって話だ。それこそ雪崩でも起きそうなくらいに銃弾が放たれ飛んで行って……それに撃たれた蟲が、消し飛んでいく。


 もちろん、それで全部殺せるわけじゃない。だが、狼煙には十分だろう。

 味方がやられてここが死刑場だと認識したカマキリ共が、文字通りに目の色を変えて突っ込んでくる。


 そしてそんなカマキリ共に、先制打撃の勢いのまま、“戦争欠乏症”の奴らはトリガーを引き続ける。


「当たった……錆びてない」


 シェリーは呟き、空薬きょうを捨てていた。成功体験は大事だろ?それ以上にトラウマを壊すもんはねえはずだ。


 まあとにかく、派手に銃声が響く。

 その最中、俺は立ち上がり、手に持つショットガンを回転リロードスピンコック


「パーティだな。オードブルだ……俺の獲物残しとけよ!」

「「「おう!」」」


 通信越しじゃない。肉声で地鳴りのように、返事が来る。

 それに単純な俺は完全に気を良くし、「ハッ、」と笑みが抑えられないまま、崖へと一歩を踏み出した。


「『ちょ、』」


 “羽虫”で見てるんだろうリズと、肉眼で見てるハルが、俺の奇行に動揺の声を上げる。


「当てる気で撃つんでちゃんと避けてくださいね」


 シェリーは可愛げがねえな。頼りがいがあるとも言う。

 まあ、とにかく、だ。


「ハッハァ!」


 ハイになってきた俺は、そのまま、崖から、飛び降りた。

 ……銃声と怒号の響き渡る、戦場へと向けて。

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