4 流刑地と皇族特務

 その昔どこぞの蛮族がこんな拷問を思い付いたって話を聞いたことがある。


 罪人を肥溜めにつっ込んで放置するんだ。するとクソ塗れの地獄に閉じ込められた哀れな罪人は糞尿に脳が腐って発狂して死ぬ。


 まあ実際そう易々人間は死にゃしないと俺は良く知ってるが……だからってまあ、クソ塗れがクソみたいだって話に違いはない。


 だから、俺はまず言った。


「移動を願います。この基地の別の部隊でも良い。配置換えを、どうか」


 待機命令無視と独断専行の懲罰でも言い渡すつもりなんだろうこの基地の司令官様の前までやってきて、けれど罰を受ける前にお願い、だ。


 流石にシャワーを浴びて服を着替える許可は貰った。だが、だからって俺の現状の何もかもに対する不満まで洗い流される訳がない。


 気品のあるカーペット。落ち着いた丁度品。軍の司令のオフィスってよりも上品な上流階級様の書斎みたいなその部屋で、目の前の男は言う。


「許可できない。……現状の配置のまま励みたまえ」


 老年に差し掛かったような男だ。白髪を刈り上げ白い顎髭を整えた、年の割には体格の良い男。この基地の司令、アレックス・サルバス中佐だ。


 親愛なる上級士官殿は、厳格で鋭い灰色の瞳で直立不動の俺をねめつけると、言葉を継ぐ。


「そもそも、私はまだ君の発言を許可した覚えはない。前の上官の情夫でもやっていたのかね、伍長。似合いそうな顔ではあるが、私にそちらの趣味はないぞ」

「今合点が行きました。どおりで規律乱してもお咎めなしな小娘がたくさんいる訳だ。全部手ェ出したんですか?生涯現役でも唄ってるんでしょう?ロリコンっスか?」

「……それが本当に上官への口の利き方かね、伍長」


 …………酒くせぇゲロ浴びた直後にジジィに挑発されたらキレるだろうがよ、クソが。あのゲロ猫がよォ……。


「申し訳ありませんでした、中佐殿。以後、気を付けます」

「その言葉の信ぴょう性がまるでないから、君は今この場に立っているんだろう?……まあ良い。ああ、良いさ。私はこの場所の規律についてはもう諦めている」


 そう言って、爺さんは机から葉巻を取り出し、マッチでそれをあぶり始める。


「端的に済ませようか、伍長。君はこの場所をどう認識している?」


 クソみたいな規律の飲んだくれしかいない蟲の腹の中みたいなこの世の地獄。

 ……流石にまた噛み付いたらクビ飛ぶかもな。比喩じゃなくマジで。


「……ついさっき50年ぶりに蟲が現れて慌てふためいてる平和で終わってる軍隊」

「ほう。興味深い見解だな」


 そう言って爺さんは葉巻の煙で輪を作っていた。……どう見ても50年ぶりの襲撃に遭った軍隊の指揮官の振舞いじゃないな。これが日常って面だ。


 いや、それだけじゃない。この基地の部隊は優秀だった。26対8で、たとえ俺が手を出さなくても被害0で勝ってただろう。


 中身が終わってるお嬢様もゲロ猫も、蟲に驚く気配もなかった。リズも明らかに場数を踏んだ優秀な“戦術支援官”だったし……。


「……蟲の襲撃が珍しくないんですか?交戦記録は50年前を最後に止まっていたと記憶していますが」

「そうだ。この場所の戦果は記録されない。もちろんボーナスも昇級も勲章もない。ただ死ぬまで戦うだけの場所。“戦争欠乏症ウォーレス”……書類上は平和な土地だよ。私も事務仕事せずに済んで助かってる」

「記録されない?どうして?」

「罪人に報酬も勲章もくれてやる義理はないだろう?かといって蟲が来ることには違いはない。まだまだ動ける兵士をただ電気椅子に括り付けるのも損だろう?人員整理のための流刑地だよ、ここは」

「流刑地……?」


 ……左遷どころの話じゃなかったってのか?いや、つうか……。


「ボーナスも戦果もなし?」

「当然除隊もなしだ。死ぬまでここで戦い続ける」

「じゃあ俺はどうやって栄転すれば良いんスか?俺がこの先クソ程貰う予定の勲章はどうなるんスか」


 爺さんは何も言わない。ただ椅子に深く座り込んで、葉巻をふかしているだけだ。

 ……栄転する手段はないってことか?流刑?流刑だ?この俺を?


「……電気椅子に縛り付けられるほどデカいミス起こした記憶はないんスけど」

「どうしてここに送られたかについて私から言えることはない。脱走兵、反逆者。ある程度以上戦力として期待できるが制御しきれないと判断された兵士が、ここに送られてくる。そして私はそうした兵たちの余生を見守るだけの役割だ」

「俺はまだ余生なんて考えるほど老け込んでないんスけど」

「わざわざ言われなくても見たらわかる。そして、……今の君と似たような感想を抱いている兵が、この基地の中にいるらしい」

「ハァ?何言ってんスか?」


 眉を顰めた俺を前に、爺さんは引き出しからファイルを取り出し、俺の足元へと投げてくる。


 拾い上げ開いた俺の視界に映りこんだのは……死体だ。人間の死体。脳天ぶち抜かれた哀れな誰かの成れの果て、その写真。


 それを眺めた俺に、爺さんは言った。


「司令部の人間だよ。君たち受刑者を管理する側の、大いなる帝国の従順な信奉者。それが一月前に殺された。雪の深い夜で、発見された時はもうその有様だ。犯人はわかっていないが、おそらく受刑者の内の誰かだろう。熱心な職員でね。この基地内で反乱の兆しがあると訴え、調査していた」

「反乱……?クーデターっスか?」

「何者かがそれを目論んでいるのではないか。私はそう睨んでいる」


 言葉と共に、爺さんは俺へと手を差し出した。資料を返せと。

 それに素直に応じた俺を前に、爺さんはファイルを眺めて、言った。


「そして、私はこの一件をまだ上に報告していない」

「ハァ?」

「君は言ったな。この先貰う勲章はどうなるんだと。私も同意見なんだよ、伍長。老い先短いとしても、私がこの先上げる功績はどうなる?公式記録に乗らない受刑者の余生を見守るために、私は士官になった訳ではない」

「アンタも左遷されたんスか?」

「私の場合は配属された、だ。だが、いくら待っても転属の機会がなくてね。だから、これを好機に栄転に足る功績を得たい。歴史書に名が乗る戦地でも良い。“帝国軍参謀本部インペリアル・パレス”でも良い。……ただ白いだけの雪はもう見飽きたんだ」

「……話が見えないんスけど」

「クーデターを未然に防いで私は栄転する。良く働いた部下を連れて行っても良いと思う」

「……俺に殺人犯探せって言うんスか?軍警になった覚えはないんですけど」

「似たようなモノだろう?……ほんの1週間前まで皇族特務だったんだ。違うのかな?」


 ……チッ。まあ、元の所属位知ってっか、なんせ司令官様だからな。だが、


「俺がいたとこは蟲狩り専門っスよ?」

「だとしても、君は確実に、この基地のクーデターにはかかわっていない。私としては消去法だよ。ここは狼人間の村でね。君が優秀であることに期待する」


 クーデター企ててる奴の尻尾を掴め、か。


 要するに、こういう事だ。今日からこの基地に来た俺に、スパイをやれってこの爺さんは言ってるらしい。んなめんどくさいのはごめんなんだが……。


(幾ら蟲狩ってもここは抜け出せない)


 ボーナスはなしらしい。栄転も出世もなしだ。なんせ俺が今この基地で唯一お気に入りになりそうな優秀な“戦術支援官”がまだ一番下の二等兵だってんだからな。


 リズは降格の上流刑か何かか?“戦術支援官”は基本的に将来上級士官になる奴だしな。ここで幾ら能力見せても無駄ってのは、ない話じゃないかもしれない。


 だから、俺の人生設計的に、今目の前に垂れてる蜘蛛の糸が最後の救いの可能性がある。問題は、


「……クーデターたってこの基地だけの話っスよね?自分の椅子自分で守るだけで栄転できるんスか、中佐殿は」


 そう言った俺を前に、中佐殿はまた、引き出しから何かを取り出した。


 ロケットだ。大分古びた銀のロケット。開いたその中にあったのは、写真。

 なんか随分シュッとして偉そうな服着た若い男が映ってる写真。それを俺へと見せながら、爺さんは言う。


「エギル・フォーランズ。不運で有名な男だ。知っているかね」

「興味ないっス」

「皇族だよ。15年前、帝位が現皇帝に移る前に、その地位に付く最有力候補でありながら非業の死を遂げた男だ。都市伝説やら陰謀論に事欠かない面白いアイコンだよ。大衆雑誌は読まないのかね?」

「寒い夜に良く燃えました。スラムで」

「口が悪い訳だな。……15年前、皇位継承のごたごたの最中謀殺された。それは歴史的事実だ。そしてその際、メイドに連れられて隠し子が逃げ出したと言う噂がある。隠し子がいた事自体は事実だ。当時3歳とか、その位の年齢の女の子が屋敷にいたと生き残りが証言している。そしてその後行方が知れない。屋敷と共に焼け落ちたか、……あるいは、まだ生きているか」


 3歳の女の子?……15年前に3歳?今、……こいつは驚きだ。生き残ってたら俺と同じくらいの年になるらしい。


「そのロケットは?」

「殺された大いなる帝国の信奉者が持っていた。だから私はこのクーデターは、暴けば栄転できる将来への切符だと認識した。……わかるだろう、伍長」


 ただこの基地でクーデターが起こる、って話ではないらしい。


 この基地を奪い取った反乱者たちが、言い出す可能性があるってことだ。我々は正当な帝国の継承者だ、と。


 ……俺と同い年ぐらいの女を旗頭にして。


「誰っスか?そのロケットの元々の持ち主は」

「それがわかっていたらわざわざ君にこの話はしないよ。さて、最初の君の提案にまた答えようか、皇族特務ロイヤルナイツ


 そこで、中佐殿はロケットを引き出し――鍵付きのそこへと戻し、俺を見据えて、こう言った。


「……配置換えはなしだ。励みたまえ。より良き未来を共に掴み取るために」


 その言葉に、俺は……かかとを揃えて、敬礼を返した。


 なんの話してたか分かるか?めちゃめちゃわかりやすく言ってやろうか?


 見た目だけお嬢様か、ゲロ猫か、リズ。


 どれかが帝国のお姫様だ。そして同時に、そいつは……俺の栄転への片道切符だ。

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