第22話 魔術師は押し倒される
「じゃあ、呑みましょうか!」
つまみも完成したところで、お互いにテーブルに着いた。
スピカが買って来た果実酒のコルクを抜いて、向かいに座る彼女のグラスに注ぐ。
俺のグラスにも、と瓶を傾けたところでスピカが手を出す。自分にやらせて欲しいらしい。
「かんぱーい!」
「乾杯」
カンとグラスを鳴らして、ひと口。
……うん、美味い。
給料をいくら貰ったのか知らないが、一日働いて何本も買えるレベルの酒じゃないだろ。さては酒屋のオヤジ、スピカ可愛さにオマケしたな。
「ほほぉー! こ、これがお酒……! 大人の味がします……!」
チビチビ、ゴクリ。
グビグビ、ゴクゴク。
グラスの中身を呑み干して、プハーッと酒気を帯びた息をつく。
「初めての酒なんだから、あんま飛ばして呑むなよ」
「大丈夫ですって。私、神ですし!」
んっ、とグラスをこちらに寄越す。
次のを入れてくれ、という意味だろう。
小さく嘆息して、二杯目を注ぐ。
彼女は嬉しそうにグラスを受け取って、それを片手につまみへ手を伸ばす。
「おつまみも美味しいです! 流石はヴァイス様、ですね!」
「おだてたって何にも出ないぞ」
「私が買って来たお酒、どうですか? お口に合いますか?」
「まあ、そこそこな」
「じゃあ、今度は一緒に買いに行きましょう。ヴァイス様のおすすめのお酒、教えてください!」
「……おう」
流石の俺でも、他人と同じ卓で酒を呑んだことくらいはある。
だが、そんな時は絶対に気を抜かないし、万が一にでも酔うことがないよう徹底してきた。俺以外のやつなんか、信用できないから。
……でも、スピカの前だとそんな気は起きない。
身体をアルコールが巡り感覚が麻痺していっても、危機感が湧いてこない。
ただただ純粋に、楽しい。
「ヴァイス様ぁ」
「ん?」
「ヴァイス様ーっ」
「だから何だよ」
「呼んだだけですぅー」
「……もう酔ってきたのか?」
二杯目を呑み干し、自分で三杯目を注いでいた。
それをチビチビと呑みつつ、身体を右へ左へ揺らす。
俺を映す蒼い瞳はどこか危なっかしく、ロウソクの火のようなとろみを帯びている。
「んしょっ、んしょっ」
「ちょ、おい、スピカ……っ」
「へっへへー、お邪魔しまーす!」
椅子を持って俺の隣に来て、ニマニマと唇をたゆませるスピカ。
犬のように頭を俺の肩に擦り付けて、ジッと見上げて白い歯を覗かせる。
……だ、ダメだろ、この可愛さは。
犯罪だって言われても、俺は納得するぞ……。
「何かふわふわしてぇ、気持ちよくてぇ……でも、ちょっと寂しくて。ヴァイス様のお隣で、一緒に呑んでもいいですか?」
「あ、あぁ……か、勝手にしろよ」
「ありがとうございます! ……ヴァイス様も私が来て、実は嬉しいでしょう?」
「はぁ? いや、俺は別に……っ」
「……嬉しくないのですか?」
沈んだ声で言って、眉を八の字にした。
わかりやすい演技。
酔っ払い特有のダル絡み。
そんなことはわかっているが……俺はどうしようもなく、罪悪感を覚えてしまう。
「嬉しい……う、嬉しいから、そんな顔するなよ。頼むから」
「うんうん! 素直になれて偉いですよ、ヴァイス様!」
「あ、頭を撫でるな! やめろっ!」
「えぇー? 嬉しいくせにぃ〜〜〜!!」
「嬉しくなっ……い、からっ……うぅ……」
なでなで。なでなで。
拒絶したいのに、嫌なはずなのに、身体から力が抜けてゆく。
ずっとこのままでいいやと、魂が和む。
「……んーっ」
「ん?」
ピタリと手を止めたかと思ったら、その手で俺の腕に触れた。
もの欲しそうな声をあげ、軽く掴みつつ何かを訴える。
……あぁ、はいはい。
わかったよ。仕方ないな。
「自分もして欲しいなら、口でそう言えよ」
「だって、ちゃんと言わずに伝わった方が、何か夫婦って感じするじゃないですか……!」
何のことはない。自分も撫でてくれと、それだけの話だ。
ここまで露骨にアピールしておいて、ちゃんと言わずに伝わった方が、ってのはおかしくないか?
……まあ、何でもいいけど。
スピカが嬉しそうにしてるし。
「なでなでされながらする晩酌……むふふ、これがオツというやつですか」
プハーッと、三杯目を呑み干した。
そのまま四杯目を注ぎ、完全に蕩け切った瞳で俺を見上げる。
「んーっ」
「今度は何だよ」
「んーっ、んーんーっ!」
「だから、何だって聞いてるだろ?」
「……ぎゅって、したいです」
俺は黙ってグラスの中身を空にして、小さく息をついた。
そのまま二杯目を口に運ぼうとした瞬間、「ねぇーっ!」とスピカが俺の腕を引く。
「ぎゅーうーっ! ぎゅってしてくださいよ! 寝るときみたいにーっ!」
「あ、あのなぁ……おふざけも程々にしとけよ。寝る時みたいって言っても、前に一回やったキリだろ」
幽霊が怖いとか何とか言っていた、あの夜。
あの時は成り行きでそういうことをしたが、以降は一度もない。
当然だ。
俺たちは形だけの夫婦で、別に愛し合っているわけじゃないんだから。
「……何でイジワル、言うんですか?」
「い、意地悪とかじゃ――」
「私のこと、きらいですか……?」
「好きとか嫌いとか、そういう話じゃないだろ!?」
「……じゃあ、すき?」
「は、はぁ!?」
「私のこと、すき……?」
一体何がどうしてそんな話になったのか。
抱き締めるとか抱き締めないとか、そういう話じゃなかったのか。
疑問という疑問が頭の中で膨れてゆくが、咳払いをして一旦落ち着く。
相手は酔っ払い。まともな思考回路を期待するだけ間違っている。
――――だとしたら。
ここのところ改めて勉強中の治癒魔術。
こいつでアルコールを分解し、酔いを醒ましてやればいい。
そう思ってスピカの身体に触れた、次の瞬間。
「…………えっ?」
魔術が発動しない。
何らかの力が加わり、掻き消されてしまった。
まさか、邪神の力か?
無意識のうちに、破壊の権能を使ったっていうのか?
「すきかきらいか、どっちなんですかぁー!!」
「ちょ、待てまてまてっ!! うわぁああああ!!」
スピカに押し倒され、ドタドタと床へ落下。
彼女は俺の上に跨ったまま、テーブルへ手を伸ばし酒瓶を取った。
そのままグビグビとラッパ飲みして、空になった瓶をすぐ脇へポイ。
完全に出来上がったじっとりとした瞳で見下ろし、ふぅーっと酔っ払い色の息を漏らす。
「お、落ち着けよスピカ。一旦冷静になろう……なっ?」
「わたしはぁ……――」
「どっ、どうした? 話聞くぞ?」
「ヴァイスさまと夫婦っぽいことぉ……もっとしたいですぅ……!!」
俺の顔のすぐ隣に手を着いて、前のめりになった。
重力によって、大きな胸が存在感をアピールする。
「何でわたしにさわってこないんですかぁ……! 夜もずっといっしょで、いつでもすきにできるのにぃ! 私にキョーミないんですか!?」
「いや、きょ、興味がないとかじゃ……!!」
「だったら、ぎゅってしてくださいよぉ!! ぎゅってして、すきって言って、なでてくださいよぉ~~~!!」
唾を飛ばし、頭を振り、髪を乱し、必死に叫ぶ。
こちらまで汗ばむような熱気を纏いながら、ふいーっと大きくひと息。そして顔を近づいてきて、鼻先同士が当たりそうな距離で俺を見つめる。
「わたしにいっぱいさわって、いっぱいすきって言って、いっぱい甘やかしてくれるまで……今夜は、ねかせませんからっ」
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