第18話 魔術師とずっと一緒に

「うぅー……き、気持ち悪いです……」

「体調悪いのにあんなとこでうずくまって、しかもギャーギャー喚くからだ」


 ようやく落ち着いたスピカだが、特に体調が改善しているとかそういうことはまったくなく、むしろ今朝より熱が上がっていた。


 ぐったりとする彼女を抱えて寝室へ。

 ベッドに寝かせたところで、俺はドッとため息をつく。


「……んで、何がどうしてあんなとこにいたんだ? 捨てられたってどういうことだ?」


 呆れ果てながら尋ねると、「そ、それは……」とスピカは視線を逸らす。


「暗くなっても、どれだけ待っても、ヴァイス様が帰って来なくて……! きっと誰かのためにお仕事をしているのだと言い聞かせていたのですが、段々不安になってきて……!」


 ギュッと布団を握る。

 布の擦れる音が、どこか悲痛なものに感じる。


「私、ポンコツですし……奥さんらしいことも全然できてないですし、オマケに体調まで崩しちゃったので……だから、その……」


 モジモジと言いつつ、布団を口元まで引っ張った。俺を映すその双眸には、弱々しい涙の膜が張っている。


「……捨てられちゃったのかな、って……」


 何言ってんだこいつ、とは思ったが。

 具合が悪い時って、メンタルも病むしな。ましてスピカは天界から来たばかりで、頼れるやつは俺くらい。一人ぼっちの留守番は、さぞ心細かっただろう。


「悪かったよ。帰りが遅くなるって、先に言っとくべきだった」

「……私、捨てられてないですか?」

「もし捨てたなら、何で俺はここにいるんだ。ていうか、あんたを捨ててどんな得があるんだよ」

「それは……じ、自由、とか。私のお節介で……たくさん苦労、していると思いますし……本当に本当に、ご迷惑ばかり……っ」


 お節介って……こいつ、自覚あったのか。


 スピカと出会う前の俺は、確かに自由だった。

 俺のやることなすことに表立って文句を言うやつなんてアーサーくらいだし、それだって無視すれば済む話だった。


 それに比べて今は、悪いことをするなとか、真っ当に働けとか口うるさく言われて、財布の中身を気にして生活する毎日。学校の講師を始めとした面倒事ばかり押し付けられて、ため息の出ない日は一日もない。


 本当に迷惑だ。

 迷惑以外のなにものでもない。


 ――……だけど。


「迷惑はかかってるが……俺は本当に嫌だったらやらないし、本気で気分が乗らなきゃ動かない。自由に不自由している今の生活も……まあ、それなりに悪くないと思ってる」


 腹の内を明かすようなことを言うのに慣れていなくて、やけに顔が熱い。


「だから、自分の悪口はやめてくれ。俺は、その……あんたが悪く言われてるのを聞くのは……い、嫌だからっ」


 慣れない言葉を使って、喉の奥が痒くなってきた。

 今すぐうがいをしたいところだ。思い切り、ガラガラペッと。


「…………っ」


 ぱちりと蒼の瞳が瞬いて、布団の中からゆっくりと腕を出し、俺の服の裾を掴む。


 どうしたのだろう、とその手に触れる。

 彼女は、今度は俺の指を捕らえた。そのままゆるゆると引っ張って、最終的に頭の上へ行き着く。


「……撫でて欲しいのか?」


 コクリと、首を縦に振った。


 シルクのような手触りの髪。

 その滑らかな触り心地を味わいつつ、右へ左へと手を動かす。


 目を細めて、身動ぎして、淡く呼吸して。

 心地よさそうなその様子に、否応なく心臓が跳ねる。


 ……何だ、この可愛い生き物。


 こんなの控えめに言って可愛いの権化だろ。

 これで邪神とかいい加減にしろよ。


「それでヴァイス様は……今日は、どちらへ? どういった方の手助けをされたのですか?」

「手助けっていうか……俺もよくわからないが、世界を救ったらしい」

「…………はい?」

「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。見てくれ、世界樹の苗木をもらってきた。こいつの葉は万病に効くし、元々は天界の植物だからスピカにも有効だよな」

「は、はい。ありがとうござ――」


 ぐうーっと、スピカの胃袋が鳴いた。

 彼女は恥ずかしそうに頬を染めて、俺から視線を逸らす。

 

「腹減ったのか?」

「……食欲なくて、あと不安で、何も食べてなくて。ヴァイス様のお顔見たら、ちょっと元気が出てきたみたいです……」

「ヴァイス様の幸せが一番の薬とか言っといてそれかよ。大人ぶってないで、素直に俺に仕事休めって言えばよかっただろ」

「うぅ……面目ないです……」


 俺はため息を一つ落として、「ちょっと待ってろ」と一階のキッチンへ。

 手早く調理を済ませて、彼女のもとへ戻る。


「ほら、ミルクパン粥だ。さっさと食って薬飲んで寝ろ」

「……ヴァイス様、お料理できたんですね」

「多少はな。自分で食う分しか作ったことないから、味の保証はできないぞ」


 スピカはベッドから身体を起こし、俺から器を受け取った。

 スプーンでパン粥を掬って、吐息で熱を冷まして、ゆっくりと口へ運ぶ。


「……美味しいです。とっても、美味しいです……」

「お、お世辞はいいから、黙って食えよ」

「ヴァイス様の照れ顔……やっぱり私、すごく好きです」


 火照った顔で笑みを描いて、濡れた瞳に俺を映す。

 艶やかなその表情に、好きというその言葉に、俺の口元は勝手に緩む。


 どうしようもなく居心地が悪くなり、スピカを部屋に置いて薬を作りに再度一階へ降りた。早々に用意が終わり、寝室に戻って彼女の食事が済むのを待つ。


 ぺろりと平らげたスピカ。

 すぐに薬を飲ませて、少し休ませて、寝かせて。


 俺もベッドに入り、部屋の灯りを落とす。


「おやすみなさい」

「……おやすみ」


 挨拶を交わして、まぶたを閉じた。


 しかし、俺は眠らない。スピカの体調に何か変化があった時のため、一応気を配っておく。

 彼女はというと、ものの一分足らずで寝息を立て始めた。

 熱があるのにこんな時間まで起きていたのだから当然だろう。


 ……にしても、今日は大変だったな。

 まさか薬の入手のために、あんなデカいのと戦うハメになるとは……。


 今後何があるかわからないため、本格的に治癒魔術の修練に励んでもいいかもしれない。明日あたり、王立魔術学校の図書館からいくらか本を拝借して来よう。


「……ヴァイス、様……」

「ん?」


 と、返事をしながら視線を横へやった。


 ……何だ、寝言か。

 ったく、まぎらわしいな。


「ずっと……」


 小さな声が、寝室に染み込む。


「……ずっと、一緒にいて……ください……」


 ハッと息を飲み、反射的に悪態をつきそうになり、寝返りを打って彼女に背を向けた。


 俺はそんなことを言われていいようなやつじゃない。

 スピカも、俺くらいしかまともに知らないから、そういう風に思ってしまうだけだろう。……というか寝言なわけだから、本当に思ってるかどうかも微妙なところだし。


「んぅ……」

「――――っ」


 スピカも寝返りを打ち、俺の背中にピッタリと身体をくっつけた。


 呼吸の音。

 鼓動、体温。


 心地のいい温もりに心臓が駆け足になり、胸の内の冷たいモノが溶かされる。

 俺が俺じゃなくなるような感覚だが、不思議とまるで不快感がない。


「……一緒にいるよ……ずっと……」


 無意識に唇が動き、思ってもいないことを紡いでしまった。


 ……寝言に対して、何言ってるんだよ俺は。

 バカバカしい。自分の間抜け具合に、頭が痛くなってくる。


「ふぅう……んふぅー、ふふっ……」


 俺の背中に鼻先を押し付けて、もぞもぞと笑うスピカ。


 ……可愛い。すげぇ可愛い。


 まあ、何でもいいか。

 こいつが幸せそうなら、何でも……。






 翌朝。


「これ、普通に植えて育つのか……?」


 せっかく貰ったので、庭に世界樹の苗木を植えてみた。

 水をやって、ふっとひと息。


 そんな俺のもとへ、「ヴァイス様ーっ!」とすっかり元気になったスピカが駆け寄ってきた。


「見てくださいよ、この新聞! アーサー様が伝説のドラゴンを倒したと、すごいニュースになっていますよ!」

「へえー」

「『魔術協会はアーサー氏の〝神話級魔術師プラチナ〟への昇格を検討』……ってことは、五人目ってことですよね!? これはお祝いしなくちゃ、ですね!」

「そうだなー」

「おおーっ! アーサー様の故郷に、黄金の像が建つそうです! ヴァイス様も何か偉業を成し遂げて、こういう像、建ててもらいましょうよ……!」

「まあ、そのうちな」


 ……あいつ今、とんでもない腹痛に見舞われてるだろうな。

 流石にちょっと可哀想だし、今度会った時に飯でも奢ってやるか。

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