第16話 魔術師は容赦しない


 千年前。

 かつてエンシェント・ドラゴンと戦った魔術師は、この地に数千メートルにおよぶ穴を掘り、そこへやつを落として氷で埋め封印に成功した。


 僕を筆頭とした迎撃部隊は、その巨大な穴の周辺で待機していた。

 激しい地響きを感じながら、怒りに満ちた咆哮に鼓膜を揺らしながら、ただジッと戦いの時に備える。


「あの……お、俺たち、勝てるんですか? 千年も前の魔族ですし、だ、大丈夫ですよね?」


 部隊の中で一番の若者が、怯えながらそう尋ねてきた。

 集中しろと一喝してやりたいところだが、こんな事態に巻き込まれては無理もないか。


「この場には、僕を含め〝上級魔術師ゴールド〟が十人。じきに援軍も到着する予定だし、心配はない……と言いたいところだが、どうだろうな」

「そんな……! あっ、会長! 魔術協会の会長って、〝神話級魔術師プラチナ〟なんですよね!? 今すぐ来てもらいましょうよ!」

「当然、協力は要請した……が、断られた」

「どうして!?」

「今日は蝶の蒐集に行くらしい。どこぞの南国で珍しい蝶が見つかったとかで」


 絶句する若者。


 僕だってそんな顔をしたいが、そもそもうちの会長は半ば無理やり今のポストにねじ込まれただけのお飾りで、普段からまともに仕事などしていない。あと、世界最高峰の魔術師にまともな人間性を求める方が間違っている。


「アーサーさんの師匠はどうですか! プラチナだった、聞いたことがありますよ!?」

「僕の師匠は、趣味の大会が近いから工房にこもっているよ。邪魔をしたら……まあ、運がよくて殺されるくらいで済むだろうな」

「じゃあ、極東のあの剣士は!?」

「もう何年も消息が掴めない。最後に目撃された時は食うに困って物乞いをしていたらしいが、今はどこで何をしていることやら……」

「だ、だったら、ヴァイスは!? アーサーさんの友達、ですし……!」

「……焦るのはわかるが、少し落ち着け。連絡したところで、どうせすぐには来られない。僕たちが頑張るしかないんだ」


 若者は唇を噛み、拳を強く握った。

 死にたくないというその気持ちは、痛いほどに理解できる。


 一つ安心なのは、僕たちがここで死んで事態が悪化すれば、プラチナたちも流石に動くということだ。そうなれば、僕や彼らの家族、そして友人にまで危害が及ぶことはないだろう。


 ……まあでも、こんな死ぬことが前提の話、口に出しちゃいけないよな。


「相手は伝説の化け物だ。倒せば、きっと僕たちの名前は歴史に残るぞ! 故郷にカッコいい銅像だって建つかもしれないし!」


 気分を上げようと極力おどけた口調で言って見せたが――次の瞬間。

 ここに来て一番の揺れが起こり、眼前の分厚い氷に亀裂が走った。そのヒビは瞬く間に広がり、黒い鱗で覆われた腕が現れる。


「今だ、やれぇええええ!!」


 数十人による、魔術の一斉攻撃。

 少しでも怯み、穴から出ることを躊躇ってくれたらいい……などと考えていたが、やつはまるで意に介さない。


「うっ……ぁあ……っ」


 封印を完全に破り、その姿を雪空の下に晒した。

 全長は数十……いや、百メートルはくだらない。夜の色をしたその姿は美しく、神々しく、あまりに恐ろしく、僕たちは一瞬言葉を失う。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」


 鼓膜が引き裂かれそうなほどの、けたたましい咆哮。

 それには魔力が含まれており、何らかの魔術を使用したのだと理解した。


 ほどなくして頭上から光が差し、僕たちはエンシェント・ドラゴンがいかにして地上の文明を破壊したのか思い知る。


「……嘘、だろ……!?」


 高位の魔族であれば、当然行使する魔術も強力なもの。


 だとしても、これはあまりにデタラメだ。

 こんなことをされたら、普通の生物は太刀打ちできない。


 何せあのドラゴンは、


 雲を蹴散らし地上に迫る、山ほどのサイズの燃え盛る岩。

 あんなものをどうこうする力は、この場の誰も持ち合わせていない。


 背を向け、逃げ出す仲間たち。

 一秒でも時間を稼げないかと、僕はドラゴンに向き合い頭を回す。


 何か方法は、手立ては。

 何か、何か、何でもいい……!!



「――――復活してるとか聞いてねえぞ。しっかり封印しとけよな」



 後ろから、雪を踏みしめる音。

 そして、激烈な熱波。


 赤色の濁流は隕石を飲み込み、あとには塵も残さない。

 ぽっかりと空いた雲の穴からは、清々しい青空が覗く。


「ヴァイス!? き、来てくれたのか……!?」

「おう、アーサーか。いや、俺はちょっと事情があって――」

「ありがとぉおお!! 本当に助かったよ!!」

「や、やめろ!! 抱き着くな、気持ち悪いっ!!」


 ヴァイスは僕を振り払って、悠々とした態度でエンシェント・ドラゴンと対峙した。

 最上位の魔族を睨みつけ、忌々しそうに舌打ちをする。


「俺は今、ものすごく急いでるんだ。早く用事を済ませて、家に帰らなくちゃいけないんだよ」


 あのドラゴンから見たら、ヴァイスなど虫ほどのサイズしかない小さな生き物。


 だが、発したその言葉に、気迫に、眼光に、明らかに気圧されている。

 喉を鳴らし、赤い瞳を丸くして、ジリリと後退る。


「――……邪魔するなら焼き殺すぞ、デカブツ」


 現代の頂点捕食者は、まるで臆することなく千年前の伝説に向かって歩き出した。

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