第15話 邪神、寝込む


「えーっと、ここは……あれ、何だっけ……悪い、ちょっと思い出す……」


 王立魔法学校の大教室は、今日も今日とて超満員。


 席が圧倒的に足りないため、宙に浮いたり天井に張り付いたりと、ありとあらゆる手を尽くして師匠の授業を聞くためひとが集まっていた。


 普段はどれだけひとがいてもまるで臆さず淡々と授業を行う師匠だが、今日は何だか様子がおかしい。時折ぼーっとしたり、話す内容が飛んだりと、明らかに集中力に欠ける。


「あぁ、そうそう。ここはだな――」


 それでもどうにか授業をこなし、危うい足取りで教室の外へ。

 大勢の生徒がそのあとを追って、定番の質問責め。いつも師匠は何だかんだ回答してくれるが、今日は全て無視してスタスタと歩いてゆく。


「師匠、今日はどうしたんですか?」

「…………」

「師匠?」

「…………」

「師匠ー! 師匠ってばー!」

「うわっ!? ……ナーシャか、いきなり話し掛けるなよ……」

「びょ、病院に行きましょう、師匠!!」

「何だよ、失礼なやつだな」

「いやだって、あたし何度も話し掛けましたよ!? ってか、他にも大勢のひとが声掛けてましたよ!? き、気づかなかったんですか!?」

「え……? あ、そうなのか……?」


 鬱陶しいから無視していた、というわけではないようだ。


 ……これ、本当に重症なやつじゃない?


「別に体調が悪いとかじゃない。ただ……ちょっと今日は、考え事してて……」

「考え事って?」

「ナーシャに話したって仕方ないだろ。さっさと授業行け」

「いやいや、聞かせてくださいよ! 一番弟子として、もしかしたらできることがあるかもですし!」

「……お前みたいなガキに、何を期待すりゃいいんだよ……」


 特大のため息をついて、少し考え込み。

 再びあたしを見て、「実はな……」と重々しく口を開いた。




 ◆




 一軒家に住み始めてから、数日が経った。


「……んっ、うぅ……もう朝か……」


 ベッドから起きて、うんっと身体を伸ばした。


 スピカと二人で眠るようになって、最近は随分と目覚めがいい。彼女のおかげか、まったく気を張らずに休むことができる。


「…………ん?」


 ふと隣に目をやり、俺は眉をひそめた。


 寝息を立てるスピカ。眠っていてもその顔はため息が出そうなほどに可愛い……のだが、今日は少し様子がおかしい。


「スピカ? おいスピカ、大丈夫か……?」

「ぅう……んぅう……っ」


 俺の呼びかけに、苦しそうに呻いて返事をした。

 その顔は真っ赤に焼けており、汗が浮かび呼吸も荒い。


 心配になり、額に手を置く。

 ……お、おいおい。やばいだろ、これ。熱過ぎないか?


「ヴァイス様……? お、おはようございます……」

「お、起きなくていいから、ジッとしてろ! すごい熱だぞ!?」

「え……? あぁー……ぼーっとすると思ったら、どおりで……」


 辛そうに息を切らすスピカ。

 両の瞳に涙が浮かび、眉間にはシワが寄る。


 他人のことなのに、自分のこと以上に心が痛む。

 彼女で頭がいっぱいで、呼吸をする余裕もない。


「ま、待ってろ! すぐに治すから……!」


 スピカの手に触れ、魔術を用いての治癒を行う。


 だが、元々俺は他人を癒すのは不得意。

 発熱の原因がわからず、治しようがない。


 最大限できることはしたが、はたして意味はあったのか。

 俺は今まで何を学んできたのかと、後悔が重くのしかかる。


「……ありがとうございます、ヴァイス様……」


 いつもの明るさがまるでない声で紡いで、そっと俺の手を握った。


「ヴァイス様と結婚してから、本当に楽しいことばかりで……きっと、疲れが出たのでしょう。なので、心配には及びません……」

「心配するに決まってるだろ!! 俺に何か、できることはないか!? 何でもいい、何でもするから……っ!」

「……ふ、ふふっ」

「な、何がおかしいんだ?」

「ヴァイス様、必死だなーって。それがちょっと、面白くて」


 俺自身、どうしてここまで必死なのかわからない。

 スピカは形だけの嫁で、ひとまずの同居人で、それ以上でもそれ以下でもないのに。そんなことはわかっているのに、何とかしなくてはと、濁流のような使命感に襲われる。


「……今日は学校でお仕事の日、ですよね?」

「あ、あぁ。わかった、そっちは休んでそばにいるっ」

「そうではなく……いつも通り、皆様に良い授業を届けてください。街で誰かに頼られたら、手を貸してあげてください……」

「こんな状況で他人のこととか、あんたどうかしてるだろ!?」


 濡れた双眸がぱちりと瞬いて、やわらかな笑みを浮かべた。


「私は……ヴァイス様が誰かに褒められていると、嬉しくなります。褒められて……照れ臭そうにしているヴァイス様を見るのが、とても好きです」


 そう言いながら、俺の手をいっそう強く握る。


「私のことが心配なら……今日一日、いつもより沢山のひとを幸せにしてあげてください。そして、ヴァイス様自身も幸せになってください。……それが私にとって、一番の薬なので」




 ◆




「……ちょ、ちょっと待ってください師匠。それ、死亡フラグってやつじゃないですか!? え、スピカさん死んじゃうんですか!?」

「そうなんだよ!! あいつ、綺麗な顔で優しいことばっかり言いやがって……!! こんなの余計心配になって、授業に集中できるわけないだろ!?」


 事情を語り終えた師匠は、子どものような身振り手振りで焦りを表現した。

 師匠みたいなひとでも、ここまで動揺することってあるんだな……。


「実際、どうなんです? スピカさん、大丈夫ですか……?」

「医者を呼んだが、何もわからない、だとさ。……あいつは訳ありだからな、普通の人間とはちょっと違うんだ」


 訳ありというのは、師匠同様、人間と魔族のハーフということだろうか。

 何にしても、師匠と結婚するようなひとだ。良くも悪くも、普通なわけがない。


「幸せにしろとか何とか言ってたけど、そんなことやってる余裕ねえよ。でも、今すぐ帰ったらスピカの言い分を無視したことになるし。……なあナーシャ、俺はどうすればいいと思う?」


 あ、あの師匠があたしを頼った!?

 世界最強の魔術師が、あたしみたいな〝見習い魔術師ビギナー〟にもなれてない子どもを……!?


 ……これは本当に重症だ。

 スピカさんもだが、師匠も心配になってきた……。


 ともあれ、弟子として何か案を出さないと。

 うーんっと、えーっと……あっ、そうだ!!


「世界樹の葉ですよ! あれを使えば、きっとスピカさんはよくなるはずです!」


 神様が地上を創った時に植えたという、最古の植物にして神秘の樹木。

 その葉を煎じて飲めば、どんな病もたちどころに治ってしまうというのは有名な話だ。


「確かにそれならスピカが良くなるかもしれないが……当の世界樹は、とっくの昔に燃えてなくなっただろ。存在しない木の葉を、どうやって手に入れるんだよ」

「皆が知る大きな世界樹はもうありませんが、その種から成長した稚樹を見たってひとがいるんです!」


 その言葉に、師匠は「詳しく話せ」と顔色を変えた。


「あたしの実家が農家だって話、覚えてます? うち、普通の野菜以外にも魔術師用に特殊な植物とかも育てて、曾祖父の代から色々な魔術師が家に来てたんです。それで一人の魔術師が、で世界樹の稚樹を見たって……!!」

「終末の丘……確か、が封印されてるところだよな」


 千年前に現れた、地上の文明全てを滅ぼしかけた最強の魔族――エンシェント・ドラゴン。


 当時の魔術師たちが総力をあげて戦い、しかし殺し切れずに封印。

 現在は、魔術協会がその任を引き継いでいる。


 ちなみに終末の丘という名前は、エンシェント・ドラゴンが目覚めれば今度こそ世界が終わるから、ということで名付けられたらしい。縁起が悪いにも程がある。


「ドラゴンに用はないわけですし、ちょっと行って稚樹を探すくらいだったら、魔術協会も許可してくれるんじゃ――って、師匠!?」


 爆炎をあげ、宙へ飛びあがった師匠。

 そのまま一筋の赤い閃光となって、空を駆けてゆく。


 い、行っちゃった……行動力ヤバ過ぎでしょ……。


 ……別に疑ってたわけじゃないけど、あのひとって本当にスピカさんのこと好きなんだなぁ。




 ◆




 ヴァイスが王都を発つ、少し前。


 大陸の北部。

 雪吹き荒ぶ、終末の丘。

 そこを管理するため建てられた魔術協会の支部内は、物々しい空気に満ちていた。


「今一度、状況を説明して欲しい」


 魔術協会の本部から派遣された銀髪の男――アーサー。

 彼の問いかけに、支部長は青い顔をしながら唇を開く。


「……報告にもあげた通り、ハッキリ言って最悪です。早朝になって突然、エンシェント・ドラゴンの活動が活発になり、おそらく数時間ともたず封印を突破するでしょう」


 瞬間、地鳴りのような叫び声が支部全体を揺らした。

 終末の丘の地下深くに封印された、伝説の化け物。その復活の兆しに、この場の誰もが息を飲む。


「千年間飲まず食わずなので当時よりは確実に弱くなっていると思いますが……ただ、再び食事をすれば一体どうなるか……」

「僕たちがここでやつを倒せなかったら、世界が終わるかもしれないってことか」

「……最悪の場合、そうなってしまうかと……」

「はぁ、やれやれ。ヴァイスの邪神騒動が終わったと思ったらこれとは、悪いことは重なるものだな……」


 大きなため息をつきながら、アーサーは額に手をやった。

 心の奥底で、ここで死ぬ覚悟を固めながら。






 ――――……この場へ超高速で向かう赤い飛翔体の存在を、彼らはまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る