第14話 魔術師は眺めていた

 スピカと一緒に家具を選び、すぐさま自宅へ配送。

 その後は生活用品を選びに行き、夕食をとってから帰宅した。


「ふぅー……」


 大きく息をつきながら、ベッドに腰を下ろした。


 静かだ。

 ずっと宿を転々としていたため、俺とスピカ以外の雑音がしないことに少し違和感がある。


 ……これからしばらくは、少なくともスピカが今の生活に嫌気が差すまでは、この家で暮らすのか。


 どこかひと所に根を下ろすのは初めてだが、何だか悪い気はしない。


「お、お隣、失礼しまーす……」


 とふっ、すすすっ。

 シャワーを浴びて寝室にやって来たスピカが、おもむろに隣に座り距離を詰めて来た。


「……おい」

「は、はい?」

「近くないか……?」

「き、気のせいでは?」

「んなわけねえだろ」


 俺の左半身に、スピカはぴったりとくっついていた。


 家に帰ってから、ずっとこの調子。

 ソファに座ると隣に来て、トイレに行くとついて来て、挙句風呂にまで一緒に入ろうとして……。


 ベッドも意味不明な理屈で一台になったし、まったく何が何だか。

 スピカなりに、テンションが上がってるのか? にしては、色々と奇妙だけど。


「もういいから寝るぞ。くっついて来るなよ、気が散るから」


 明かりを落として、ベッドに身体を滑り込ませた。

 スピカに背を向けて、まぶたを閉じ意識を眠りへ傾ける。


 ……もぞもぞ。

 もぞ、もぞもぞ……。


 ゆっくりと、少しずつ。

 たっぷり時間をかけて、スピカが近づいて来た。


 俺に悟られないようにしているのかもしれないが、これがわからないほど鈍感ではない。


「……なぁ……」

「き、気のせいです! 気のせいですから!」

「その発言が自白みたいなもんだろ。……それよりスピカ、もしかしてあんた、具合でも悪いのか?」

「へっ?」


 何度注意しても、この執拗な甘えっぷり。

 その原因を考えた時、まず出たのがこれだった。


「やけに甘えてくるから、具合が悪くて心細いとか、そういうことかと思って。実際、どうなんだ? 正直に言ってくれ」

「……あ、いえ、体調不良とかそういうのでは……」

「じゃあ、何なんだ?」

「え、えっと……その……ご心配おかけして、すみません……」


 沈んだ声を漏らして、俺から距離をとった。

 

 はぁー、やれやれ。

 これで快適に寝られるぜ。


 ――と、なってくれればよかったのだが。

 彼女を悲しませてしまったことに胸がざわつく。罪悪感がフツフツと湧いてきて、呼吸をするのが辛くなる。


「あぁもう、わかったよ……!」


 スピカの方へ身体を向けて、早く来いと目配せした。

 彼女はパーッと目を輝かせ、のそのそと近づいて来る。


 ……メチャクチャ可愛い。

 何だこの生き物……。

 

「じゃあ、寝るぞ。これ以上、余計なことするなよ」

「はい、おやすみなさい!」

「……おう」

「…………」

「…………」

「…………あ、あの」


 ようやく静かになった矢先、性懲りもなくスピカが声をあげた。

 渋々まぶたを上げると、彼女は不安そうな面持ちで俺を見ている。


「私って……く、臭くないですか……?」

「はぁ?」

「だ、だって、誰かに添い寝してもらうとか初めてですし! 不安になって当然じゃないですか!?」

「別に臭くないから、早く寝ろよ」

「そんな投げやりに言わず、ちゃんと嗅いで確かめてください!」


 め、面倒くせえ……。


 このままでは一向に寝られないので、仕方なく少しだけ顔を寄せてスンスンと鼻を鳴らす。……我ながら、バカみたいだな。


「……うん、普通だ」

「普通って、どんな匂いです?」

「い、いや、それはその……甘くて、爽やかというか、いい匂いというか……」

「……何か、変態っぽいです」

「あんたが言わせたんだろ!?」

「や、やばいです! 急に恥ずかしくなってきました!」

「知るかそんなもん!!」


 怒鳴った瞬間、スピカはハッと何かを思いついたような顔をして、俺の胸に飛び込んできた。


「お、おい……!」

「せっかくなので、ヴァイス様の匂いも確かめておきましょう。……そして、私が味わった恥ずかしさを、ヴァイス様も知るべきです」


 金色の塊が、胸の中でもぞもぞと動く。

 心では引き剥がしたいのに、彼女の温もりが心地よくて手放せない。


 その状態が、十数秒ほど続き。

 ようやく顔を上げたスピカは、ぽーっと酒に酔ったような表情をしていた。


「……安心する匂いがします。何か、ず、ずるいですよ……!」

「体臭にずるいもクソもないだろ」

「…………」

「いつまでくっついてる気だ……?」

「……もう少し、このままがいいです」


 甘ったるい声を鳴らして、再び俺の胸で顔を隠す。じゃれつく犬のように鼻を押し付け身動ぎして、時折、嬉しそうな鼻息を漏らす。


 ……可愛い。

 もうこれ、可愛いって概念の擬人化だろ。いい加減にしろよ。


「みゃっ」


 無意識のうちに、スピカの頭を撫でていた。

 彼女は驚いた声を漏らし、まずいとすぐさま手を離す。


「ヴァイス様……?」

「あっ、いや、悪い。つい、出来心でっ」

「…………も、もっと……」


 小さな声が鼓膜を揺らす。


 求めに応じようとするも、ふと、不安になった。

 ……俺の血にまみれた汚い手で、これ以上触ってもいいのだろうかと。


 こんなことを気にするとか、本当に俺はどうかしている。

 そう自覚しつつも、怖くて動けない。


「――――っ!?」


 しゅるりと布団を鳴らしながら、スピカは俺の腰に腕を回した。

 指先が背骨に触れて、若干の躊躇いを帯びながらも力を込めて身を寄せる。


 むず痒い……だけど、嬉しい。

 許されているような、認められているような、受け入れられているような感覚に、声が漏れそうになる。


 泥のようにへばりついていた不安がほどけ、自然と手のひらが動いて彼女に触れる。


「天界にいた頃は、誰かとこんな風に触れ合う日がくるなんて想像もしませんでした。向こうは地上と違って、とても静かで寂しいところなので……」

「……想像もしてないは嘘だろ。少なくとも親からは、めちゃくちゃ愛されてたんじゃないのか?」

「私たち神に、親という概念はありません。そこにポンと生み出されて、ただ働くだけです。なので地上を眺めていて、ずっと羨ましいと思っていました」

「そ、そっか……」

「ヴァイス様のご両親は、どういう方ですか?」

「…………俺が知りたいよ」


 無意識に、トゲのある声音になっていたのだろう。

 スピカは慌てたように、「す、すみません」と声を張る。


「別に謝らなくても……でも、まあ、同じだな」

「同じ?」

「……俺も、子どもの頃はずっと眺めてた。家族とか、友達とか、そういう楽しそうなことしてる連中を、ずっと……」


 こんなことを誰かに漏らしたのは初めて。

 若干の後悔が頭痛を誘うが、スピカにいっそう強く抱き締められ、何だかどうでもよくなった。弱味を見せても拒絶されないことが堪らなく嬉しくて、俺もまた彼女を抱き締める。


 ――と、その時。


「ひぃっ!?」


 ガンガンと、何かが寝室の窓ガラスを叩く。

 明らかに風の仕業ではないその音に、スピカは甲高い悲鳴をあげた。


「あばばばばばっ!! ヴァイス様、ヴァイス様っ、ヴァイス様ぁー!!」

「お、おい! あんまり強く抱き着くなって……!」

「でまでまっ、出ました!! ゆ、幽霊です!! 出ましたよぉーーー!!」

「痛い痛い!! 骨が折れる……し、死ぬ……!!」

「いやぁああああああ!!!! 来ないでぇええええええ!!」


 馬鹿力でホールドされ、口から内臓が飛び出しそうだ。

 このままだと、こっちが幽霊になりかねない。


「お、落ち着けっ、俺が確認するから……!!」


 スピカの身体を叩いて、解放するように促す。


 どうにか抜け出してカーテンを開くと、彼女は枕を抱いたまま絶叫しベッドから転落。その間抜けな姿を尻目に、俺は窓を開けて音の主を部屋に招く。


「にゃーお」

「んにゃああああ!! 幽霊が喋ったぁああああ!!」

「にゃぉーん」

「うわぁああああああ!! …………ん? え、あれ?」


 何てことはない。

 窓を叩いていたのは、真っ黒な野良猫だった。


「この家、こいつが住処にしてたんだろうな。あちこち穴空いてて、入り放題だったし」

「じゃあ……ゆ、幽霊は?」

「んなもんいるかよ」

「で、ですが! 誰もいない家から赤ちゃんの泣き声を聞いたと、ナーシャ様がおっしゃっていましたよ!」

「猫が喧嘩してる時の声って、赤ん坊の泣き声にそっくりなんだぞ」

「じゃあ、ひとりでにカーテンが揺れたのは……!?」

「こいつが窓枠を歩いてたんじゃないか?」

「何かの影を見たという話も……!!」

「これだけ黒ければ、影にも見えるよな」


 俺の説明に納得したのか、スピカは枕を手放してへなへなと床に寝転がった。


 自分が幽霊扱いされていたことなど露ほども知らない黒猫は、呑気に彼女の頬を舐めている。……早速懐かれてるな。本当に邪神にしておくのが勿体ない。


「にゃーぅ、うにゃー」

「も、もぉ、くすぐったいですよーっ」

「にゃおー」

「ちょ、痛い痛いっ、ふふっ……あの、ヴァイス様。この子、どうしますか?」

「スピカ、猫を膝に乗せたいとか言ってただろ。こいつもあんたに懐いてるみたいだし、家に来たら入れてやればいいんじゃないか」


 黒猫は寝室の扉の方へ歩み寄り、開けろと爪で引っ掻いた。

 廊下に出してやると、堂々と真ん中を歩いて闇の中へ消えてゆく。


 その姿を二人で見送って、扉を閉め息をつく。


「ってか、何かおかしいと思ってたら、ナーシャに余計なこと吹き込まれたから一緒に寝ようとか言い出したのか。それでも邪神かよ……」

「し、仕方ないじゃないですか! 雷と一緒です! 怖いものは怖いんですー!」


 情けない叫び声を聞きつつ、俺はベッドに腰を下ろした。


「幽霊問題も解決したし、明日にでも追加でベッド買いに行くか。当初の予定通り、寝室は分けるってことでいいよな?」


 その問いに、スピカはふっと閉口した。


 おずおずと隣に座って、少しだけ距離を詰めて、頬を朱色に染めて。

 俺の膝の上に手を乗せ、「あ、あの……」と上目遣いで唇を開く。


「今後も、一緒に寝ちゃダメですか……? ヴァイス様に撫でられたり、ギュッてされたりするの……好き、みたいで。すごく安心しますし……」

「えっ……い、いや……」

「それに、私もいっぱいなでなでします……! ギュッてしますし……匂いだって、か、嗅いでもいいですよ……!」

「嗅がねえよ! 俺は犬か!?」


 一緒に寝るなんて落ち着かない。

 そう言いたいのに、スピカの何もかもが可愛くて舌が上手く回らない。


 熱っぽいその視線に、全てが溶かされてゆく。


「……ま、まあ、金もあんまりないしな。せっかくデカいベッド買ったし、これで寝た方が効率的か」

「っ! はい、効率的です!」

「じゃあ、今度こそ寝るぞ」


 二人でベッドに入って、目をつむる。


 もう怖くないはずなのに、なぜかスピカが近寄って来た。


 俺は小さくため息をつくも、不思議と文句はまったく湧いてこず……。

 彼女の方へ身体を向けて、一瞬視線を交わしてわけもなく笑い合い、ゆるく抱き締め合う。


 温もりと安心感に浸りながら、意識を睡魔に預けた。


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