第13話 邪神は漏らす自信しかない

「ソファとテーブル、あとベッドが二台と……他には、何が必要なのでしょう? うーん、難しいです……」


 呟きつつ、私は一人街を歩く。


 あんたは先に家具を選んでてくれと言われ、ヴァイス様とは今さっきそこで分かれた。玄関の扉の鍵を新しいものにするため、別のお店へ行くらしい。


「スピカさん、こんにちはー!」

「ん? あ、ナーシャ様、こんにちは」


 真っ赤な髪を一つ括りにした少女。

 王立魔術学校の初等部に通う子で、ヴァイス様を師事している。


 今日は学校がお休みなのか、後ろにはお友達が二人。

 微笑ましい光景に、自然と口元が緩む。


「今日はどうされました? お友達と遊びに行くのですか?」

「ううん、皆で魔術の特訓するの! この前の授業で師匠が教えてくれたこと、皆で復習しようって話になって!」


 遠足での一件から、ヴァイス様はたまに学校に呼ばれ授業を行っている。

 最高峰の魔術師が直々に指導してくれるということで、中等部や高等部の生徒も集まってきて教室はいつもパンク寸前らしい。


 授業を終えて帰ってくるたび、「あいつらうるさいからもう行かない」とぼやいているが、何だかんだ呼ばれたら顔を出してしまうのだから可愛いひとだ。


「スピカさんは、今からどこ行くの?」

「家具屋さんに行こうかなと。いましたが、ヴァイス様のおかげでマイホームが手に入ったもので……!」

「へえ、いいじゃん! じゃあスピカさん、赤ちゃんができたんだ!」

「ふぇ!? あ、赤ちゃんって、なぜそんな話に!?」

「え、違うの? うちのパパとママ、あたしができたから家建てたって言ってたし、スピカさんもそうなのかなって」

「違いますよー! 大体私とヴァイス様、一緒のお布団で寝たことすらないのに……!」

「そうなの!? そんな感じなのに夫婦なんだ……ほ、本当に夫婦……?」

「私たちは、ゆっくりと、少しずつ、仲を深めていくつもりです。そういう夫婦の形もあるのですよ」


 この一ヵ月、私とヴァイス様の関係は何ら変わっていない。


 最初は正直、彼に襲われたり、何かしら悪戯をされるのではと思っていた。

 ベッドは別だが部屋は同じなわけだし、そういうことも覚悟しなくちゃなと。


 しかし、彼は今日まで一度たりとも、何の理由もなく私に触れたことがない。

 それが嬉しくもあり……少し、悔しくもある。


 まあだからといって、いきなり触られたら恥ずかしくて心臓が耐えられないけど。


「そっかー。んで、スピカさんたちのお家ってどこにあるの? 今度遊びに行ってもいい?」

「いいですよ! えーっと、お家はですね――」


 来た道を指差しつつ、家の特徴を細かに伝えた。

 するとなぜか、ナーシャ様とそのお友達の顔色がどんどん青くなってゆく。


「よ、よりにもよってそこ!? あの家に住むの!?」

「……え? 何かいけないことでも?」

「だってあの家、出るって超有名なんだよ!?」

「出る……?」

「幽霊っ!!」

「――――こひゅっ」


 体温がみるみる下がっていき、喉の奥から今まで聞いたことのない声が出た。


 そしてナーシャ様の口から語られる、噂話の数々。

 夜に誰もいない家の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえたとか。窓のカーテンが勝手に揺れたとか。何かの影を見たとか。……その一つ一つに、私はひたすら凍りつく。


「も、もし幽霊が出ちゃって、師匠も怖くて漏らしたりしちゃったら、すぐにあたしのこと呼んで! 弟子として、が、頑張って幽霊と戦うから! すごく怖いけど……い、いっぱい頑張るから!」

「…………」

「じゃあ、あたしたち行くね! ばいばーい!」


 足早に去って行った三人と入れ違いで、ヴァイス様が戻って来た。「ナーシャに捕まってたのか?」と声をかけられ、ハッと我に返る。


「は、はい! あの、ヴァイス様! あのお家についてですが――」


 幽霊が怖いから別の家にして欲しい、と言いかけて。

 私は舌の上まで出かかったその言葉を、唾と一緒に飲み込む。


 お、落ち着け……!

 落ち着くのよ、スピカ!


 あのお家は、ヴァイス様がわざわざ手間をかけて用意してくださったもの。

 他でもない、私のために!


 それを幽霊が怖いからいらないなんて言ったら、確実に傷つけてしまう。

 もう二度と、自分でクリーンな仕事を探さなくなってしまう。


 耐えろぉおおおお……!!

 ここは耐え時だぞ私ぃいいいい!!


「家がどうした? 何か不満でもあるのか?」

「……い、いえ、何も……」

「そうか。んじゃ、家具買いに行くぞ。えーっと、何が必要なんだっけ。ソファとテーブル、あとベッドは二台――」

「一台です」

「……は?」


 幽霊が出るかもしれないのに、一人で寝るなんて絶対に無理だ。

 ちょっとした物音とか、隙間風とか、部屋の隅の暗いところとか、色々気にして寝られる気がしない。


 漏らす……絶対に漏らす! 漏らし散らかす自信しかない!

 

 そうなったら私は、邪神に堕ちただけでなく最低限の尊厳すら失う……!

 きっと、ヴァイス様にも嫌われてしまう!!


「わ、私たちは夫婦です! そろそろ、一緒のベッドで寝る頃かなと!」

「いきなり過ぎるだろ!? 大体あんた、さっき自分で寝室は分けるとか言ってなかったか!?」

「お忘れかもですが、私は邪なる神ですよ! 破壊と殺戮を司る存在! う、嘘くらいつきますとも!」

「意味わかんねえよ! 同じ部屋ってだけでも落ち着かないのに、一緒のベッドとか絶対にごめんだ! 俺は一人で寝るからな!」


 赤面しながら吐き捨てるように言って、私の手を払いのけた。


 ダメだ、取り付く島もない……!

 どうしよう、どうする、どうすればいい!?


 頭の中がぐるぐると回る。

 絶対に漏らしたくない、嫌われたくない――その思いだけが駆け巡り、段々と熱をもって、自然と身体が動く。


「う……うるせえ、ですっ」

「…………えっ?」


 ヴァイス様の素っ頓狂な声。

 私はジッと彼を見つめ、その胸ぐらに手をかける。



「ぐだぐだ言ってないで私と寝ろ……ですっ!!!!」



 そのままヴァイス様を持ち上げて、魂の底から声を張り上げた。

 彼はぶらんと吊られたまま目を丸くし、「は、はい……っ」と力なく漏らす。


 ……ふぅー、やれやれ。

 これでひとまず、お漏らし問題は解決した。








「……おい、知ってるか? スピカさん、道のど真ん中でヴァイスに抱かせろって迫ったらしいぜ」

「あの見た目で、実はすげー肉食系なんだな……」

「何て羨ましい!!」


 誰かが噂をし、


「私が聞いた話じゃ、夫婦喧嘩だったらしいわよ。ヴァイスの胸ぐら掴んで持ち上げてたとか」

「怪力なのもすごいが、あの男にそんなことできるってマジやべぇ……」

「ヴァイスも許してくれって泣いてお願いしてたらしいな」


 その噂が別の噂を呼び、


「なぁ聞いたか? あのヴァイスを片手でぶちのめした女がいるらしいぜ」

「すげー! そんな化け物には、一度でいいからお目にかかってみてぇよ!」

「……その女を倒したら、オレが世界最強ってことになるのかな……」


 尾ひれはひれが付き、原型を失い、【〝神話級魔術師プラチナ〟ヴァイスがステゴロで女に負けた】というニュースとなって、世界中へ広まっていった。


 それがちょっとした騒動に発展するのは、もう少しあとのお話。

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