第11話 邪神の勘

「なあ、スピカ」


 食事を終えて、買った服のお披露目会。

 それもひと通り見せ終え、そろそろ寝ようという話になり支度をしていると、ヴァイス様は難しい顔で声をかけてきた。


「あんた、寝る時に耳栓してるけど……もしかして俺、いびき煩い?」

「あっ! ち、違います! これは、そういうものではなくて……!」


 確かに、理由も話さずにこれは失礼だったかもしれない。

 すぐさま、着けかけた耳栓を外す。


「ひとの願いや祈りを聞くことは、神の最も大切な仕事です。ただそれが邪神となると、聞こえてくるのは怨嗟の声……。あいつを殺せとか、あいつは許せないとか、憎しみや悲しみが昼夜問わず際限なくこの耳に届きます」

「そ、そうなのか。前任の邪神が心を病んだとか言ってたが、そんな状況じゃ頭もおかしくなるよな……」

「……えぇ、まあ。普段は我慢していますが、就寝中は流石にちょっと。ですので、いびきとかではないですよ。就寝中のヴァイス様は、とても静かで愛らしいです」


 安心してくださいと微笑み、耳栓を再度装着しようとした。

 だが、それよりも先にヴァイス様が私の隣に腰を下ろす。


「ど、どうされました?」

「ジッとしてろ。すぐに終わるから」


 そう言って、私の耳に手を添えた。

 何のつもりだろうか。わけがわからないまま固まっていると、


「――――――」


 彼の唇が動いた。

 だが、何を喋っているのかまったく聞こえない。


 ただ耳を手で塞いだだけで、こうはならない。

 頭の中はいまだかつてないほど静かで、少し怖くなる。


「――――よし、これでどうだ?」


 と、急に鼓膜が音を拾った。


「えっ? あの、一体なにを……?」

「耳の中に魔術障壁を張った。ちょっと調節して、特定の音を弾くように設定してある。その願いや祈りってのが耳栓で防げるなら、これでもいけると思うんだが……どうだ?」


 そう尋ねられて、ようやく気づいた。


 ……ない。

 私の頭を駆け回っていた、あの冷たい声がどこにもない。


「俺が生きてる限りは作動しとくようにしてある。これでもう、余計なストレスは溜めなくて済むな」

「……と、とてもありがたいのですが、皆の声を聞くのは私の務めです。せめて就寝中だけにしていただかないと、また何か罰が下るかも……」

「あんたがそれで体調を崩したら、誰が世話をするんだ? 自分でやるってのか?」

「そ、それは……」

「ていうか俺たちは、その、何だ……一応は夫婦なわけ、だし。苦しんでる妻を夫が助けるってのは、世間一般じゃ当然のことじゃないのか」


 恥ずかしそうに後頭部を掻きつつも、その目は真っ直ぐに私を映していた。

 力強く、強固な意志を宿して。


「それで罰とかふざけるな。余計なことしたら天界でもどこでも行って暴れるぞって、あんたの上司に言っといてくれ」


 ぶっきらぼうに言い放ち、自分のベッドへ戻って行く。

 その背中を見つめ、眩しさに目を細める。

 

 ……苦しむ人々を見ていられなくて、たくさん助けてきた。

 それで自分が損をしても我慢すればいいと思っていたし、実際そうしてきた。


 だから……まさか私が誰かに助けられる日が来るなんて、想像もしていなかった。


 手を治してくれた時もそう。

 彼は何だかんだ言いつつも、そっと私に寄り添ってくれる。


 たぶんこれからも私の不幸に怒り、不都合を許さず、何か行動を起こしてくれる。


 そんな気がする。

 そんな安心感がある。


「どうしたんだ、ぼーっとして。寝ないのか?」

「あ、えっと……寄りかかってもいいひとがそばにいるのは、こんなにも心強いんだなぁと、嬉しくなっちゃいまして」


 声は返って来ない。

 しかしその頬は、薄闇の中で僅かに朱を帯びる。


「私、ヴァイス様のお嫁さんでよかったです。これからもよろしくお願いします」

「……っ! ど、どうせそのうち後悔するんだから、俺への期待は程々にしとけよ」


 むず痒そうに言ってベッドに入り、私に背を向けた。

 そんな素直じゃないところが、正直、気に入っている。


「安心してください、後悔なんかしませんよ」

「そんなのわからないだろ」

「わからないけど、わかるんです」

「何だそれ、神の力か?」

「うーん……女の勘、ですね」

「はぁ?」


 ヴァイス様は小さくため息をついて、布団を肩までかぶった。

 さて、私も寝るとしよう。


「おやすみなさい、ヴァイス様」


 数秒待っても返事はなく、仕方がないのでベッドに入った。

 そこでようやく、「……おやすみ」とやや投げやりな口調で挨拶が返って来て、私の鼓膜を揺らす。


 それが嬉しくて、ふふっと笑って、まぶたを閉じた。

 何の雑音もなく、彼の吐息の音だけが聞こえてくる。


 そんな心地のいい夜へと、眠気と共に旅立った。


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