第5話 邪神と一緒に歩き出した

「……」

「……」

「……おい」

「はい?」

「なに、やってるんだ……?」


 翌朝。

 目を覚ますと、スピカが俺の顔を覗き込んでいた。


「寝顔を眺めておりました」

「……は?」

「意外とあどけなくて可愛いなぁと」

「うるさい」


 口の端の涎を袖で拭いつつ、身体を起こす。

 昨日会ったばかりのやつの前で熟睡とか、何を考えてるんだ俺は。


 そのせいか、見るし……。


 …………あれ、どんな夢だっけ?

 ダメだ、上手く思い出せない……。


「……っ」


 不意に、ズキッと頭が痛む。


 後頭部を掻いて息をつき、窓の外へ目をやった。

 窓ガラスを叩く雨粒。

 酷い天気だ。昨日は晴れてたのに。


「――――様、ヴァイス様」

「あっ。お、おう。どうした?」

「お茶を淹れたので飲みますかと、もう三回も聞きましたよ。まだお眠さんですか?」

「いや、ちょっと考え事を……ありがとう、お茶もらうよ」

「ありがとうって、ちゃんと言えるのですね。偉いです」

「俺を何だと思ってるんだ」


 嘲笑するわけでもなく、慈しみをもって俺の頭を撫でるスピカ。

 ふざけるなと払い除けたい気持ちと同時に、悪くないと思う自分もいる。……昨日から調子を狂わされてばかりだな。


「ところで、ヴァイス様はこれからどうするおつもりで?」


 テーブルに着いて、向かい合ってお茶を飲む。

 喉を潤し眠気を覚ましたところで、カップからスピカに視線を移す。


「どうするって、何がだ?」

「昨夜、私にこれからどうしたいのかとおっしゃっていましたが、ヴァイス様はどういったご予定なのかなと。私はヴァイス様に同行するので、先に確認しておきたいです」


 予定とか言われてもなぁ……。


 俺が邪神の召喚に手を出してまで力を求めたのは、世界を滅ぼすにあたって最大の障害となるあの三人――俺以外の〝神話級魔術師プラチナ〟に対処するためだ。


 敵対したところでまず負けないとは思うが、連戦になれば当然勝率は下がる。

 まして、二人同時、三人同時となれば苦戦を強いられるし、そこにアーサーのような〝上級魔術師ゴールド〟が加われば絶望的。各国の軍との衝突も避けられないし、その上で魔族の連中も相手取らなければいけない。


 だから、どうしても力が必要だった。

 他を圧倒する、絶対的な力が。


 必要だったのに――。


「はぁー……」


 左手の薬指。

 綺麗に輝く、スピカの髪とよく似た金色のリングを見て、俺は深々と嘆息する。


「……予定なんかない。逆にスピカは、どっか行きたいとことか、やりたいことはないのか?」


 邪神の力以上に頼れそうなものが現状存在しない以上、計画は一時中断。

 何より、この女がくっついていては色々とやりにくい。


 ……まあ、昨日はあれこれと浮ついたことを言っていたが、どうせすぐ愛想を尽かして天界に帰るだろう。


「行きたいところ……やりたいこと……」


 うーんと唸りながら、視線を右へ左へ。


「無理に捻り出さなくたって、無いならないでいいんだぞ」

「いえ、たくさんありすぎて困っちゃって……! 街を歩いてみたいし、買い物もしてみたいです! あとは猫を膝に乗せて、お花を育てて、お料理もして――」

「ちょっと待て。買い物に猫って……そ、その程度か? そんなのでいいのか?」

「どれも天界では経験できないものです! 何百年間も上から見てて、ずーっと羨ましいなと……!」


 フンフンと鼻息を荒げるスピカは、その高貴な見た目からは想像もできないほど幼い可愛さを帯びており、何かもう語彙力が吹き飛ぶほどにすごかった。


 見惚れていると目が合い、彼女は不思議そうに首を傾げた。

 俺はバッと視線を外し、唇を噛み締める。


 ……くそ。いくら自制しようとしても、軟弱な思考が止まらない。


 何だってこいつは、こんなに可愛いんだ……!!


「おはよー! すっごい雨だねー!」


 元気いっぱいな声と共に、昨日の子どもが家に入って来た。

 小さな外套はずぶ濡れ。どうにか雨風から守り抜いたバスケットから、温かい料理を取り出す。


「ママが朝ごはんにどうぞ、だって! 食べてたべてー!」

「ありがとうございます。いただきます。…………ほら、ヴァイス様もっ」

「は?」

「ありがとうございます、と。さあ、復唱してください」

「この家も飯も、俺が魔術を使った報酬代わりだろ。むしろ安過ぎるくらいだ」

「……さっき、私にはちゃんと言えましたよね?」


 顔は相変わらずの優しさなのに、サファイアのような双眸は厳しい眼光を放っていた。


 バカバカしい。

 何が面白くて、こんなガキに頭を下げなくちゃならないんだ。


 はぁー……ったく、やれやれ。


「ありがとうございます」

「よくできました!」


 ……はっ!?

 お、俺は何を!?


「おにーちゃんたち、いい夫婦だね!」


 その言葉に、俺とスピカは顔を見合わせた。

 彼女は「そうですか?」と頬を綻ばせ、俺は視線を逸らす。……そういう風に見られた事実に、やたらと胸が熱くなる。


「夫婦っていったらね、今日はおとなりさんの結婚式なんだよ!」

「おおー、それはおめでたいですね!」

「でも、こんな天気じゃさー……今日はもう晴れないのかなぁ……」


 と言って、チラリと俺を見た。

 おいおい、またかこのガキは……。


「他人の結婚式なんぞ知るか。家の中でジメジメやっとけ」

「むぅー……じゃあ、おねーちゃんは?」

「私も天候の操作は難しいです……ごめんなさい……」


 小さく頭を下げた瞬間、ピカリと窓の外が光った。

 それと同時に激しい雷鳴が響き、スピカは子猫のような悲鳴をあげて縮こまる。


「……雷が怖いのか? 神のくせに?」

「こ、怖いものに神もひとも関係ないで――うひゃぁああ!!」


 言っている最中にも近くに雷が落ち、情けなく絶叫した。


 可愛い……。

 可愛いのだが、涙目の彼女を見ていると、心が酷くに痛くなって息苦しくなる。


「……あぁもう、わかった。わかったから、ちょっと待ってろ」

「おにーちゃん、できるの!?」

「言っとくが、結婚式のためじゃないぞ。今日ここを発つのに、この雨だと不自由だからな」


 扉を開けて、雨風の下へ身体を晒す。


 肩を打つ雨粒。頬を刺す風。

 どこか既視感のある、最悪な天気。


 ……


「ヴァイス様――っ!!」


 背中をつついた、スピカの声。

 彼女は枕で頭を隠して小さく丸まりつつ、家の中から顔を出す。


「無理はしなくていいので、早くお家の中に! 風邪ひいちゃいますし……あと、雷神様はおへそが大好物です! と、とられちゃいますよ……!!」


 真剣な顔でコスコスと腹をさする様はあまりに間抜けで、俺はプハッと吹き出した。


 ……本当に変なやつだ。

 雷が怖いなら、俺なんかに構わず黙ってやらせとけばいいのに。


「心配するな。すぐに終わる」


 こんなに雨が冷たいのに、こんなに風が強いのに。

 やたらと口元が緩み、身体が軽い。


 そっと、右手を広げた。

 魔力を織り、編み、重ねて。


 一つの術と成す。


「――――【え散れ】」




 ◆




「あんちゃん、ありがとう! 魔術ってのはすげーもんだなぁ!」

「いやいや、これくらい何でもないさ。ただ僕もずっとここにはいられないから、これ以上雨が続くようなら橋は使わないように!」


 魔術協会の本部を目指して一晩中移動し、いつの間にか朝になっていた。

 この川を渡ったら少し休憩しよう。――そう思っていたが、雨のせいで川が増水し、橋は崩落寸前。どうにか僕の魔術で繋ぎ止め、困っていた人たちを向こう岸へと渡す。


「うおっ、雷まで鳴り始めた。……なぁ、魔術で天気をこう、一気に晴れにできたりしないのか? この橋が落ちたら、ここらのやつら皆が困るんだが……」

「何とかしてあげたいが……申し訳ない、無理だ。こんな嵐を蹴散らせるのは、僕が知る限り――」


 その時だった。


 遥か遠く。

 山々の彼方。


 灰色の雲の中で、何かが爆ぜた。


「う、うぉお!? 何だぁああ!?」


 僕と話していた男が、空を見上げて腰を抜かす。


 四方八方へ炸裂する、真紅の閃光。

 それは頭上全てを覆い、どこまでも続く分厚い雲を一瞬で焼き払い、激しい熱波により濡れた外套が僅かに乾く。


 あとには澄み切った青い空が残り、鳥たちが鳴を奏で、気持ちのいい朝日が川を照らす。


「すんげぇ!! あんちゃんがやったのか!?」

「……いや、違う。僕の友人さ」

「んじゃ、そいつに礼言っといてくれ! これで橋ももつぞー!」


 走り去って行く男を見送り、あの村の方へ視線を移す。


 破壊のために、殺戮のために、誰にも負けないために。

 そのためだけに磨き、極限まで高められた、ヴァイスの炎。

 

 それがまさか、こんな形で使われる日が来るなんて……。


「……さぁて、僕も行くか」


 せっかくのいい天気だ。

 休憩は後回しにして、もう少し歩くとしよう。




 ◆




「わぁー!! すごいすごい!! おにーちゃん、ありがとぉー!!」


 子どもらしいキンキンとした声を上げながら、家を飛び出して行った。他の村人たちも出て来て、一様に空を仰ぐ。


「ヴァイス様、すごいです! これは神の技に匹敵しますよ!」

「そりゃいいが……な、何やってるんだ?」

「おへそは無事かなと。……うん、大丈夫そうですっ」


 枕を抱えたままやって来て、早々に俺の腹をまさぐるスピカ。

 彼女は俺を見上げ、安堵の笑みを咲かす。


「んじゃ、出発するか」

「村の皆さんに、挨拶はよろしいのですか?」

「これから結婚式なら、俺たちに構ってる暇なんかないだろ。それに、これ以上魔術をねだられても困る」

「何だかんだ、頼られたら助けちゃいますしね」

「…………」

 

 俺が歩き出すと、彼女は「否定しないんですねっ」と悪戯っぽく言いながら追って来た。


 頼られて助けるような、お人好しじゃない。

 それはまぎれもなく、本当のことだ。


 ただ、彼女が近くにいると、全部がおかしくなる。

 どうでもいい他人の結婚式が上手くいきそうなことを、ほんの僅かだが喜んでいる自分がいる。


「おにーちゃーん!! またねー!!」


 その声に振り返ると、あの子どもがブンブンと手を振っていた。

 他の村人たちも同じように手を振っていて、全員が笑っていて、とてつもなくむず痒い。


「ほら、こういう時は手を振り返さないと」

「ふざけるな。誰がそんなこと――」


 再び歩き出そうとした瞬間、スピカに手を絡め取られた。

 手首を掴まれ、そのまま天高く掲げる。そして彼女主導のもと、右へ左へ動かす。


 ……またね、か。

 あちこちの村や街に行ったが、そんなの生まれて初めて言われた。悪くないな、そういうのも……。


「ま……ま、また、な……っ」

「そのような小さな声では、向こうまで聞こえませんよ」

「い、いいんだよ、別に! 大体俺、何も言ってな――」

「皆様ー!! ヴァイス様が、またなとおっしゃっていますー!!」

「やめろ!! 頼むからっ、恥ずかしいからやめて……!!」


 余計なことしかしないスピカの腕を引き、俺たちは旅路についた。







 この時の俺は、まだ予想すらしていなかった。


 これから続く、長い長い時間。

 その生涯を、彼女と共に歩むことを。

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