第4話 魔術師は古い夢を見る

「――――損壊した建物の弁償。それが君が今回起こした事件に対する、魔術協会が下した処分だ」


 その日の夜。

 ヴァイスが村人たちに恩を売ったおかげか、随分と綺麗な家を宿として用意してもらった。


 夕食を食べつつ僕の話を聞いていたヴァイスは、これといったリアクションもなく「そうか」といつもの仏頂面で返す。


「弁償? じ、事件? ……あの、アーサー様。ヴァイス様は、一体何を……?」

「君を召喚するための魔導書を、魔術協会の禁書庫から盗んだんだ。その過程で禁書庫は半壊、協会の本部も三分の一の機能を失った。まったく、やってくれたよ」

「そ、そんな酷いことを!? ダメじゃないですか!」

「痛っ! いや、俺は抵抗されたから――」

「盗みに入られて、抵抗しないひとがいるわけないでしょ!」


 隣に座るヴァイスを、ポカポカと殴るスピカさん。


 ……このド正論を吐く美女が、他でもない破壊と殺戮の女神なのだから妙な話だ。

 ヴァイスもヴァイスで、やり返さず殴られたままだし。


 夫婦っていいものだなー。


「しかし、そこまでのことをして処分が弁償だけって……」

「あぁ、そうか。君はまだ、ヴァイスについて何も知らないんだったな」


 通常、許可なく禁書庫に踏み入った時点で死罪に相当する。

 ヴァイスの場合、そこにプラスして多くの被害を出し、実際に邪神の召喚にも成功した。


 これだけのことをしたのだから、彼女が疑問に思うのも無理はない。


「魔術協会は世界中の魔術師たちを、〝見習い魔術師ビギナー〟〝初級魔術師ブロンズ〟〝中級魔術師シルバー〟〝上級魔術師ゴールド〟の四つに分類している。ちなみに僕はゴールドで、同じ等級の魔術師は世界に百人もいないんだ」

「では、ヴァイス様は?」

「彼はその上――例外中の例外、世界にたった四人だけの〝神話級魔術師プラチナ〟さ」


 たった四人という言葉に感心したのか、「ほほぉー」とスピカさんはヴァイスの顔を覗き込む。彼は鬱陶しそうに、それでいて照れ臭そうに、そっぽを向いて酒を飲む。


「この等級は、偉大な発見をしたり、世の中に貢献した場合も上がる。だから単純な強さ順ってわけじゃないんだが……ヴァイスの場合、その戦闘力だけを評価されて最上位についた。だから魔術協会は、おいそれとこいつを罰せられないんだ」

「な、なるほど……」

「それに協会は、これまでヴァイスにたくさんの黒い仕事を任せてきた。主に協会にとって邪魔な個人、団体の排除……どれもこれも表に出たらまずいネタさ。そういうわけで、どうしたって彼とは敵対したくないのさ」


 僕はスープを一口すすり、「何よりも」と言い加える。


「当の邪神の召喚が、平和的な形で終わったところが大きい。その上、これで向こう百年はどうしたって再召喚はされず、誰も願いを叶えられないわけだし」

「……俺がどんな願いを言ったのかも、報告したのか?」

「いや、そこは適当に誤魔化したよ。あのヴァイスが邪神にプロポーズしましたとか誰も信じないだろうし、壮大な裏を勘繰られるのがオチだからね」


 バツが悪そうに奥歯を噛み、苛立ちたっぷりに鼻を鳴らすヴァイス。

 僕はスープを飲み干して席を立つ。 


「じゃあ、僕は行くよ」

「今からですか? もう夜ですよ?」

「この魔導書を、一刻も早く禁書庫に戻さないと。スピカさん、ヴァイスをよろしく頼む。ヴァイスも、彼女の言うことをしっかりと聞くんだぞ!」

「お前は俺の親かっ!?」

「あと野菜もしっかりと食べて、下着もちゃんと取り換えて、寝る時はお腹を冷やさないように――」

「もうわかったから行けよ!! 本当にうるさいなお前は!!」


 そう言ってヴァイスは、僕を強引に家から追い出す。

 乱暴に閉められた扉を一瞥して、やれやれと肩をすくめた。


 ……そんなにデカい声出して、よほど早くスピカさんと二人きりになりたかったんだな? ははっ、お盛んなやつめ。




 ◆




「……で、あんたはどうしたいんだ?」


 うるさいアーサーを追い出して、夕食を再開。

 俺の問いに、隣に座るスピカはパンを咀嚼しながら固まった。


「どうと言われましても、ヴァイス様と一緒にいますよ。ヴァイス様、私がいなくなったらすぐ悪いことしそうですし」

「何だよ、それ。俺の親面するのは、アーサーだけで十分だ」

「別に親面したいわけでは……ただ私は、ヴァイス様の力をただ悪行に費やすのはもったいないなと。今日村のひとたちにされたように、もっと有意義な使い方があると思います」


 どうして俺の力の使い道を他人に指図されなくちゃいけないんだ、と。

 そう内心唾を吐いた矢先、「それに……」とスピカは頬を染めた。


「……ヴァイス様は、私の傷を治してくださいました。初めてだったんです、誰かに優しくされたの。だから、その……もっとそばにいたいなと……」


 モジモジと視線を逸らす様は可愛くて、心臓が爆発して肉体ごと塵になるかと思った。何だよこの女、控えめに言って可愛いの代名詞だろ――って、いやいや! 軟弱なことを考えるな俺っ!!


「きゃ、客観的に見て、スピカは美人だ。あんたが困ってたら、世の中の男共は財産を売り払ってでも助けるだろうさ。だから、別に俺を特別視することはないだろ」


 柄にもないことをしたが、間違いなく俺じゃなくても同じことをしていた。

 にもかかわらず、さも素晴らしいことをされたと勘違いされるのはむず痒い。


 そばにいたいとか……俺は、そんな言葉をかけられるようなやつじゃない。


 酒を飲み干して息をつくと、俺の手の甲の上にスピカの手が重なった。

 目を治してもらった時に感じた、温かさとやわらかさ。心の奥にまで沁みるその感覚に、俺は言葉を忘れて彼女を見る。


「嬉しかったんです! 本当に、本当に、嬉しかったんです……! 他のひともそうするとか、そんなのは関係ありません! ヴァイス様は、私にとって特別なひとです……!!」


 夏の日差しのような声だった。

 力強くて、それでいて優しい、そんな眼差しだった。


 俺はスピカを見つめたまま固まり、十数秒。

 ようやく我に返り、「わ、わかったから離せよ」と彼女の手を振り払う。……鼓動が早足過ぎて、心臓がバカみたいに痛い。


「大体あんた、俺を助けて罰を受けたり、それでも村の連中を助けようとしたり、邪神としての適性無さ過ぎだろ。別のやつに代わってもらった方がいいんじゃないか」

「……で、ですね。私が邪神に任命されたのは懲罰的な側面が強いので、仕方がないです。役割を逸脱した行為はしょっちゅうな上に、一つ、かなりまずいことをしてしまったので……」

「まずいことって、具体的に何を?」

「――――死ぬはずだったひとを、助けてしまいました」


 気まずそうに、スピカは頬を掻いた。


「十年前だったか、二十年前だったか……地上を眺めていたら、子どもを見つけたんです。たくさん痛めつけられて、お腹が空いてて、おまけに雨も降っていて……その子は、その日、そこで死ぬ予定でした。たった一人で、泣きながら、凍えながら……」

「……で、助けたと」

「はい。業務以外で死の運命に干渉するのはご法度中のご法度なのですが……私、見ていられなくて……」


 苦々しく笑いつつも、そこ後悔の色は一切ない。

 その横顔に、俺はため息をつく。


「本当にバカだな。見ず知らずのボロ雑巾一匹助けて、そのせいで邪神とか笑い話にもならないぞ」

「あ、あはは……なので、ヴァイス様の願いを聞いた時は驚きました。いやまさか、結婚を申し込まれるとは」

「だからあれは、一時の気の迷いで――」

「――……私は」


 俺の声を遮り、スピカの凛とした声が鳴った。


「ヴァイス様に召喚されて、よかったと思っています。破壊や殺戮に加担せず済んだことへの安堵もありますが……ヴァイス様となら、素敵な夫婦になれそうですし」


 やわらかく、甘い。

 花の香りで編まれたような、そんな笑顔。


 出会ってまだ、一日も経っていない。

 この短い時間の中で、俺の何を見てどうしてそう思ったのか。


 ふざけるな、買いかぶるなと毒づきたいが……上手く、喉から出てこない。

 スピカが堪らなく可愛くて、その言葉が何よりも温かくて、純粋に嬉しいと感じてしまう。


「あっ! で、ですが、すぐに夫婦らしいことするとか無理ですよ!? 特にその……夜のお相手とか、む、無理です! 肉欲は別で発散してください!」

「俺を何だと思ってるんだ!? んなもん、あんたにぶつけるわけないだろ!!」

「そうもハッキリと言われてしまうのは、少し悔しい感じがしますね……」


 ムーッと難しそうに眉をひそめる姿は、やっぱり可愛くて。

 俺は自分の下半身に自制するようきつく言い聞かせ、静かに肉を頬張った。




 ◆




 その日の夜。


 夢を見ていた。

 古い記憶の中に、もう忘れ去った過去の中に、俺はいた。


 身体を刺す、冷たい雨風。


 殴られ蹴られズタボロで、もう何日も食べていなくて、動く気力も残っていなくて。自分はここで死ぬ――その覆しようのない事実を前に、ただ怯え、泣いていた。


 そんな時。


 すぐそばに、何かが落ちてきた。

 そこには麻袋があって、中にはたくさんの食べ物。


 周りには誰もいないし、見上げたところで分厚い雨雲が広がっているだけ。

 一体だれが、どういう目的でこれを置いたのか。

 俺を助けてくれるやつなんて、世界中探したってどこにもいないはずなのに。


 わからない。

 まるでわからないが……。


 俺は迷わず、それに手を伸ばした。

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