第3話 邪神は仲良くしたいと思った

「僕は魔術協会に連絡して来るから、二人はここで大人しくしてるんだぞ!」

「……へいへい」


 スピカを召喚した遺跡から程近い、小さな村。

 村唯一の酒場で、俺とスピカは向かい合って座っていた。


 店主からの奇異の目。

 店の外から俺たちを覗く村人たち。


 「怖い……」「化け物だ」と、皆が俺を見ながら囁く。

 人間と魔族の混血に対して、ごく自然のリアクション。いつも通りすぎて、今更気にもならない。


「はぁー……」


 大きなため息を落として、酒をかっくらう。


 召喚一回につき、願いは一つまでしか叶えられない。

 再召喚してもう一度願うにしても、魔導書の再使用には百年以上かかるという。


 つまり、俺の目的――世界を滅ぼす力はもう手に入らない。

 スピカの可愛さに理性を犯され、結婚などという訳のわからない願いを叶えたばかりに。


 こんなの飲まずにやってられっかよ。


「あの、ヴァイス様……一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「……結婚のことだろ? それはまあ、何というか……一時の気の迷いだ。俺も何であんなことを言ったのか、自分でもよくわからん」

「は、はあ……」

「俺にあんたをどうこうする気はない。今後については、落ち着いてから考えよう。……だから今は、一緒に飲もうぜ。どうせアーサーの奢りだし」


 スピカのグラスに酒を注ぐが、彼女は一向に手を付けない。

 ただ苦笑いをして、縮こまっている。


「どうした? いらないのか?」

「そういうわけではないのですが……ちょっと手が痛くて、グラスを持てるかどうか……」


 そう言って、眉を寄せながら俯いた。

 俺はやや強引に彼女の腕を取り、手のひらを確認する。


「……何だ、これ……」


 先ほどまで何ともなかった手のひらが、火で焼かれたように醜く爛れていた。

 俺の目を治した時は、何ともなかったはずなのに。


「天界からの罰、でしょうね……」

「罰って、何か悪いことしたのか? 俺の目を治したのが、天界の連中は気に入らなかったとか……?」

「まあ、その……私たち神は、それぞれ厳格に役割が決められておりまして。治すことは、破壊と殺戮を司る邪神の役割ではありませんから。私は前の仕事でも役割を逸脱して色々とやってしまったので、いい加減に学習しろ、というお達しでしょう」


 「ポンコツ女神なのです」とおどけて見せて、力なく笑うスピカ。

 痛ましいその笑顔に、俺はなぜだか激しい苛立ちを覚える。


「……そっちの手も見せろ」

「えっ?」

「いいから。ほら、早く」


 案の定、もう片方も酷い有様だった。


 彼女自身、役割を逸脱すれば何かしらの罰が下ることはわかっていたはず。

 それなのに、自ら目を抉った俺を助けてくれた。

 

 その事実に、気持ちの悪い感情が胸を締め付ける。


「――――【治癒ヒール】」


 呪文と共に魔術が発動。

 スピカの両手を、淡い光が包む。

 

 どうやら魔術は神にも有効らしく、手の爛れはかなりマシになった。


「この手の魔術は得意じゃないんだ。完璧に綺麗じゃないからって、文句は言うなよ」


 壊すために、殺すために、誰にも負けないために。

 ただそれだけのために、魔術を磨いてきた。


 誰かを治したのはこれが初めてだが……まあ、初めてにしては上手い方だろう。


 スピカは自分の両の掌を見つめて、ピタリと固まる。

 まばたきすらしないため、俺は首を傾げる。


「どうした、まだ痛むのか?」

「あぁ、いえ……」

「だったら何だよ。俺みたいなのに治してもらいたくなかったってか?」

「ち、違います……!!」


 ジロリと睨むと、スピカは慌てたように手を振り乱した。

 そして視線を泳がせ、きゅーっと頬を赤らめ、唇をたゆませる。


「誰かに優しくされたのは、これが初めてで……! えへ、へへっ……あ、ありがとうございます!」


 先ほどの痛ましい笑顔とはまったく違う、花が咲いたような可憐な表情。


 うがぁああああ……!! 可愛い!!

 可愛すぎるぅうううううううう!!!!


 やっべぇな、これ。

 もう俺、治癒系の魔術のエキスパートになっちゃおーかな。


 そしたらまた、こんな風に笑ってくれるかも――って、違う違う!!


 お、落ち着け俺……!!

 ついさっき理性をぶっ壊されて、訳のわからない願いを口走ったばかりだろ!!


 もう俺は絶対に、こいつを可愛いと思ったりしない。

 可愛くない……全然、まったく、可愛くなんかないんだからな!!


「勘違いするなよ。別に優しくしたわけじゃない。俺はただ、目を治してもらった借りを返しただけ――」

「あ、あっ、あの……っ」


 恐る恐るといった足取りで近づいて来た、五歳ほどの子ども。

 少女は怯えつつも、ボロボロの人形を俺に見せる。


「この子も……なおして、あげられる?」


 こいつの母親と思しき女が、血相を変えて飛んできた。

 だが、俺と目があった瞬間にグッと唇を噛んで後ずさる。


「……失せろ、ガキ。こっちは忙しんだよ」


 シッシと払うと、子どもは暗い面持ちで俯いた。


 バカバカしい。

 何だって俺が、そんなことをしなくちゃいけないんだ。


「私に貸してください。綺麗にできると思うので」

「はぁ!?」


 ニッコリと笑って、人形を受け取るスピカ。


 さっき役割を逸脱したせいで手があんな風になったのに、それでも他人を気にかけるとかバカなのか。ポンコツ女神だって自分で言ってたし、きっと度し難いバカなのだろう。……本当に、本当に、バカ過ぎて頭痛がする。


 俺は今日何度目になるかわからないため息をついて、乱暴に頭を掻く。

 そしてスピカに向き直り、「んっ」と手を出す。


「そいつを寄越せ。俺が直すから」

「えっ? ですが、ヴァイス様――」

「あんたが余計なことしたら、また何か罰が下るんだろ。それでまた、俺が傷を治すことになる。だったら、最初から俺がやった方が効率的だ」

「……私が傷ついたら、また治していただけるのですね……」

「目の届くとこで、うじうじ痛がられてても鬱陶しいからな。それ以上でもそれ以下でもない」


 それに、生物を治すより物を直す方がずっと魔力消費が少ない。

 俺も多用する魔術だからわりと得意だし――……っと、できた。新品同然だな。


「ほら、これで満足か。さっさとあっち行け」

「わぁー! ありがとう!」

「礼なんかいいから――」

「ママの髪留めもなおせる!? わたしが今朝、こわしちゃったの!」

「んなもん知るか!!」


 と、声を張り上げて……。


 不意に前へ視線をやると、スピカが何かを訴えるような目で俺を見ていた。

 澄んだ海を思わす双眸は俺だけを映し、小刻みに震えている。


 うぐぐぐぐっ……!!

 あぁー、もう! 調子狂うなぁ!


「……おい、母親ってあんたか」

「えっ? あ……はい……」

「直して欲しけりゃ、その髪留め、すぐに持ってこい。もう面倒だから、他のやつらのも直してやるよ。怪我とか病気のやつも言え、多少はマシにしてやるから」


 村人たちは顔を見合わせ、しばしの沈黙。

 誰か一人が走り出したのをきっかけに一斉に散らばり、各々家から壊れた物だの傷病人だのを連れて再集結する。


 髪留めを直せば、次は俺も、私もと寄って来るのは目に見えていた。

 俺が断れば、スピカがお節介をするのもわかっていた。


 だったら、最初からこう言っておく方が効率がいい。


「あ、ありがとうございます!」

「ありがとうございます……本当に、助かりました……!」

「あの……さっきは化け物とか、酷いこと言ってごめんなさい……」


 ちょっと魔術を使っただけで、どいつもこいつも現金なやつらだ。

 浅ましいってのは、こういう連中のためにある言葉だろう。


 不愉快この上ない。

 反吐が出る。


「…………」

「……ん?」


 椅子を直していた俺を、スピカが黙って見つめていた。


「何だよ。言いたいことがあるなら言え」

「あぁ、その……面白い表情をされるなと、思いまして」

「面白い? 俺が?」

「仏頂面なのに、少し嬉しそうです」

「嬉しいわけないだろ。こんな雑用係みたいなマネして」


 勝手な思い込みを突き返すが、スピカは何を勘違いしたのか、慈しむような笑みを俺に向けた。


 それはやっぱり可愛くて……――っと、危ねぇ。

 もうその手には引っかからないからな。


「おにーちゃん、次、このお人形さんきれいにして!」

「誰がお兄ちゃんだ! 順番だから、ちゃんと列に並べ!」

「はーい、おにーちゃん!」

「次その呼び方したら、絶対に直してやらねぇからな!」

「わかった、おにーちゃん!」


 さっきの子どもが抱き着いてきて、言いたいことを言って去って行った。


 ……くそ、気分が悪い。

 訳のわからない感情のせいで、胸がやけに騒がしい。

 周りのやつらも明るく笑ってて、居心地が悪くて仕方がない。


 大体、何でだよ。

 何でニヤついてるんだ、俺は。


「私、ヴァイス様となら仲良くなれそうな気がします」

「あ? 何だよ、いきなり」


 スピカはその問いに答えることなく、ただニコニコと笑みを咲かせていた。








「今戻ったぞー……って、うぇええええ!? あ、あのヴァイスがひと助けぇ!? 君、ついに更生したのか! 僕はっ……うぅ、僕は!! 嬉しい!!」

「うわっ、抱き着くなアーサー! あと泣くな、気持ち悪い!」

「邪神と結婚とか頭がどうかなったのかと思ったが……身を固めて、まともに生きようという決意だったんだな!! 友人として、素直に祝福するよ!! おめでとう!!」

「あぁもう、本当に鬱陶しいな! 何でもいいから、お前も手伝えよ!」

「ヴァイス様、楽しそうですね」

「楽しくないっ!!」

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