第2話 魔術師は結婚した
「可愛い……? お、おいヴァイス……今、何て言った……?」
「はっ!?」
アーサーの問いかけに、俺は我に返った。
「ち、違う!! 妙な聞き間違いをするな!! 俺はその、えっと……そう、渇き!! 身体が血を欲して渇いて仕方がないと、そう言ったんだ!!」
「そうだったのか……!? 何て恐ろしいことを……殺戮を目の前にして身震いしていたと、そういうことだな!!」
「……お、おう」
「はぁー、驚いた。この期に及んで、邪神の容貌に下心を剥き出しにしたのかと思ったぞ。ヴァイスともあろう男が、そんな思春期のバカな子どもみたいなこと、言うわけがないよな!!」
「……」
口の内側を噛み締めながら、小さく頷いた。
……どうにか誤魔化せたが、さて、これは一体どういうことか。
あの邪神を見ていると身体が熱くなって、胸がキューッと痛む。
なのに不快感はなくて、むしろ心地よくて、ずっと見ていたい気持ちにかられる。
あぁあーー!! くそぉーー!!
可゛愛゛い゛ぃいいいいいいいい!!!!
どうしようもないほどに、あの邪神が可愛い!!!!
……まさか、これが恋!?
こんな状況なのに、俺は奴に一目惚れしたってのか!?
他でもない、この俺が!?
「あ、あのー……」
「――――っ!?」
声まで可愛いぃいいいいいいいい!!??
しゅごいよぉおおおおおおおおおおおお!!!!
「お話し中のところ申し訳ないのですが、お二人が私を召喚されたのでしょうか……?」
自信なさげに眉尻を下げながら、おずおずと尋ねた邪神。
ダメだこれ、何だこれ、どうすればいいんだこれ!?
何たる美声……!! み、耳がおかしくなる……!!
鼓膜が嬉しくなって踊り出しちゃうぅうううううう!!!!
「いや、召喚したのはこの男、ヴァイスだ。……だが、悪いが君はもう帰ってくれ!! こいつの願いを叶えてもらっちゃ困るんだ!!」
「そ、そう言われましても、召喚されたからには何か一つ願いを叶えなければ帰れない仕組みになっていまして……」
「だったら、何せもせずに帰ることが願いだ!! ほら、さっさと叶えてもらおうか!!」
「召喚した本人からしか、願いは受け付けられないのです。ややこしくて申し訳ないです……」
「なぬっ、そうなのか? まあ、ルールであれば仕方がない。こちらこそ、高圧的に迫ってすまなかった!!」
「あ……は、はい。それでヴァイス様……願いは、どうされますか?」
「…………ほへぇ?」
今までに見た何よりも綺麗な瞳に見つめられ。
不意に名前を呼ばれて。
俺の口から、信じられないほど間の抜けた声が漏れた。
「ヴァイス……? い、今の声は……」
「ち、違う!! 体調が……そう、腹が痛くて……!!」
「なにぃ!? だ、大丈夫なのか!? お腹は大切だから、今夜は暖かくしてゆっくり寝るんだぞ!!」
「あぁ……わ、わかった……――じゃなくて!!」
いつの間にか普段通りに接して来ていたアーサーを振り払い、二歩、三歩と邪神から距離をとった。
「お前が邪神だと!? 嘘を言うな!! 俺は文献で読んだんだ、邪神は見るもおぞましい姿だって!! なのにお前は――」
いつの間にか、すぐそばまで近づいて来ていた邪神。
暴力的なまでに可憐な相貌。
甘く爽やかな匂い。
その視線は躊躇いと緊張に濡れたまま、ジッと俺を見上げている。
「……近くないか?」
「す、すみません! 今回が邪神としての初仕事なので、召喚者の顔を覚えておきたいなと思いまして……」
「初……仕事……?」
聞き返すと、彼女はコクリと頷いた。
「最近邪神になりました、スピカと申します。前任者が心を病み休職しまして、昨日から新しい邪神に就任しました」
「心を病みって……じゃ、邪神がか?」
「どうしたって人々から嫌われ、怖がられてしまう立場ですから。そういうのは、
申し訳なさそうに言って視線を伏す邪神――スピカ。
「この仕事のことはまだよくわかっていないのですが、精一杯頑張りたいと思います。さぁ、願いをどうぞ……!」
彼女は力み気味に鼻息を漏らし、胸の前で小さく拳を握る。
その健気な姿はあまりに可愛らしく、もうとんでもないくらいに可愛くて、超絶ウルトラ可愛すぎた。
可愛い、可愛い、可愛い……!!
一挙手一投足、頭の先からつま先、呼吸からまばたきに至るまで!! 全てが可愛いで構成されていて、可愛くて可愛くて可愛すぎる!!
……あぁ、ダメだ。頭の中が変になる。
背筋から力が抜けて、このまま何もかも忘れて、溶けてしまいたくなる……!!
「うぉおおおおおおおおおおおおおお――――ッ!!!!」
身体の底から声を絞り出しながら、両の親指で自らの眼球を抉った。
光を失い、その喪失を埋めるように痛みがなだれ込み、スピカ一色だった頭の中をクリアにする。
ふははっ。これで全て解決。
何が恋だ、バカバカしい。
きっと世界の滅亡を目の前にして、妙なテンションになってしまったのだろう。
視覚さえ潰してしまえば、ひとまずは甘い夢に酔うこともない。
思い出せ、屈辱の日々を。
虫けら以下にしか扱われなかった、あの毎日を。
俺が何をした。
ただ生きていただけの俺が、一体誰に迷惑をかけた。
ふつふつと、ハラワタが熱をもつ。
憎しみという憎しみに、全身の血液が沸騰する。
「――……大丈夫、ですか?」
頬を包む、優しい温もり。
やわらかな感触。
心地のいい声と共に痛みが引き、両の眼球は瑞々しさを取り戻し、再び網膜に光が差した。
「よかった。邪神になっても、治癒の力は使えるようですね」
「……」
「ちゃんと見えてますか? もう、痛くないですか?」
「……」
「ダメですよ、自分で自分を傷つけちゃ」
そう言って、スピカは笑った。
心の底から、安心したように。
異性に淀みない本物の笑みを向けられたのは、これが初めてだった。
異性に何の企みもなく触れられたのも、初めてだった。
――可愛い。
眼球と共に潰したはずの感情が、再び胸に灯る。
――可愛い、可愛い、可愛い。
さっきとは比べものにならないほど、強く。
身体中を焼くほどに、熱く。
「さぁヴァイス様、願いをどうぞ」
そっと、俺の頬を包む彼女の手に触れた。
「願い……」
その手を掴み、両手でとって、呟いた。
「俺の願いは……」
ぱちりと、スピカの蒼い瞳が瞬いた。
その顔は、やっぱり可愛くて。
どうしようもなく、可愛くて。
何もかもがどうでもよくなってしまうほどに、可愛かった。
「――――……俺と、結婚してください」
「へっ?」
「なぁっ!?」
激しい光が迸り、それは鳥のように宙を駆け巡った。
光は最終的に俺とスピカの左手の薬指に収まり、黄金色のリングを形作る。
すげぇ。これで俺、スピカと夫婦になったのか。
へへっ、マジか。夫婦……うへへ、マジかぁ。
邪神を召喚するまでかなり苦労したけど、今まで頑張ってきてよかったー。
「………………。…………。……ん?」
ひと通り満足感に浸って、二度三度呼吸して、ふと我に返った。
目の前には、ほんのりと頬を赤らめるスピカ。
そして、あんぐりと口を開けたまま固まるアーサー。
俺は、再度自分の薬指に視線を落とした。
そのリングの輝きを見た瞬間、全身からかつてない量の汗が噴き出す。
「う……うっ、うわぁああああああああああ!? 何やってるんだ俺はぁああああああああああああ!?」
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