第139話 気持ちの出所
「私は、あの海洋都市でアリシアに想いを伝えたつもりでいました」
「想い、ですか?」
やはり、というか、アリシアはピンと来ていないようだった。
「私が……アリシアを好きだと。私が言ったその”好き”には、すごくたくさんの想いを込めて言ったつもりだったんです。だけど、そんなたった二文字の言葉で伝わるわけなかったんですよね」
「じゃあ、その、すき、には……どんな想いを込めたんですか?」
うるさい心臓の音も、雨音に洗い流されていく。やっぱり私は雨が好きだ。
「その……私は伝えるのが上手じゃないかもしれないけど……生まれてから、今までの間に知った言葉で、なんとか伝えようと、頑張るから」
「はい。私も、全部ちゃんと聞いて、受け止めます」
「私の好き、は、アリシアに惹きつけられて、抱きしめたくなって。熱心に修行して、私の声なんて聞こえなくなっているときも、ご飯を食べて幸せそうにしているところも、月の光が差し込む寝顔も、ふとした寂しそうな表情も、全部の動きが可愛く思えて……知れば知るほど、もっとアリシアのことを知りたくなって、それから……」
頭の中は整理なんてできていない。だから、アリシアが来てからのことを思い出しながら、浮かんだ言葉を、本当にそのまま口にするしかなかった。
「アリシアと二人で抱きしめ合った時でも、温かくて一番近くにいて、幸せを感じているはずなのに……これ以上近づけないのが寂しくて。ひとつになれないのが悲しくて切なく感じて……嬉しいのに辛くてたまらないんです」
「はい……」
アリシアでさえも、私の言葉を聞きながら赤面して俯いてしまっていた。私は迷わず口にしていた。だってそうでもしないと、全部終わってしまうかもしれないから。
「私はそういうもどかしい感情に、好きって言葉を使ってるだけなんです。それを、他の人に感じることなんて無いんです。アリシアにしか思わないことなんです」
こうして二人の距離が離れて、ろくに話さない日々が続けば続くほど、私はそんな愛おしさを何度も頭の中で反芻していた。
普段ずっと考えていたことだから、今こんなに軽々と、口から言葉が出てくるのだろう。
「だから、私は元に戻りたいなんて思いません。弟子じゃなくて……恋人に、関係を進めたいんです」
「お姉さま……」
「で、でも……関係を進めると……私はアリシアに……自分のことを知ってもらうのは……本当の私は……」
お互いの過去は、掘り返さない。それが私たちの約束だった。
でも今や私はアリシアの過去のことを知ってしまっていて、アリシアだけが私が本来どんな人間かを知らない。
私は二度目の人生で、以前はまるきり違う人間だったというのに。そのことを隠して、今までアリシアと接してきたことを、アリシアが知れば、裏切られたと思うかもしれない。
「私は……」
ほとんど、感情通りに言葉を発してきたせいで、言いたくない事実が現れると途端に口が動かなくなった。
「言えない、やっぱり知られたくない……だって本当の私は……」
「お姉さま、もういいです」
「でも……! 待って!」
ここまできて話せないなんて、もううんざりだ、とアリシアが止めたのかと思い、私はなんとか続きを言おうとしたが、アリシアが言いたかったことは少し違うようだった。
「お姉さまは勘違いしています。私はもう、本当のお姉さまを知っています」
「え?」
嘘だ。私の口から言ったことは無い。知ってるはずない。
心臓を揺さぶられたように胸が苦しくて、顔からさっと血の気が引いていく。
思わず自分の口に手を当てて、勝手に何かが出てこないように強く抑えつけた。
「全く別の世界から来た、転生者。元の性別も、今とは違ったとか。転生者だから、あらゆる属性の魔法を使いこなす能力と、強い魔力を持っている……そうですよね? ごめんなさい。今まで黙ってて……」
「な、んで、それを……」
口の中は緊張のせいか急にからからに乾いて、まともに喋ることもできなかった。
「リサ……!」
リサ、あの、性悪女。
何度もそんな言葉を口にしてきたけど、今ほど本気でそう思ったことは無かった。
リサだけが、私の過去を知っている。
リサは、「私は私のやり方で行く」と、そう言った。そしてあの、指輪を渡した日以来、様子がおかしかった。まさか、勝手にアリシアに真実を打ち明けているなんて。
「リサ、どうして……!」
「お姉さま、落ち着いてください。リサさんは悪くないんです」
「どうして、なんでアリシアがリサを庇うの……?」
私とアリシアの仲を引き裂くために、私の過去をばらした、としか考えられなかった。他にどんな理由があるだろうか。全く思いつきもしなかった。
「許せない。こんなことだけは、絶対に……」
疑問だらけの頭の中は、どうにもならない悔しさに支配されて、その悔しさからリサへの憎しみまで生まれ始めていた。
もし、ちゃんと話す時が来たのなら、それは私の口からであってほしかった。
「お姉さま、ちゃんと聞いてください。私が聞きに行ったんです。リサさんに……」
「どういうこと……?」
「お姉さまは……いつもかぶっている白いつば付き帽子に、私の雷絶縁のネックレスみたいに、加護を付与していますよね」
「そんな! み、見てるだけじゃわからないはずなのに」
まさか、アリシアがもうそんなに成長しているなんて、私は思わなかった。
「最初はこう思ったんです。お姉さまは女の人を魅了するような加護でも付与しているんじゃないかって」
「本当に全部、知ってしまったんですね……」
「はい。お姉さまが帽子に付与している魔法は、”男性に自分が意識されないようにする魔法”、ですね」
「……ええ」
自分から関わらない限りにおいては、ほとんどの男性の意識に留まらないようにする、自己強化魔法の変種。
さりげない効果ということもあり、熟練の魔法使いですら、見破ろうと熱心に観察しないことには、その魔法を使っていることに気づきもしない。
身の上を話し、落ち込んでいるときに、リサが加護付きの白帽子を私にくれた。
(そう落ち込まないでよ。これで男に言い寄られることもないでしょ。似合ってるわよ、ほら、これに似合う服も仕立てようか)
呆れたように笑って、慰めるようにそう言うリサの顔を思い出した。
そんなリサをたった今、私は心の底から憎みそうになってしまっていた。
「リサさんは教えるのを躊躇ったけど、私が無理に聞き出したんです。最後には諦めて、教えてくれましたけど……『嫌われたくないのにね。なんで私とマリーは、いつもこうなっちゃうんだろうね』って、そう言っていました」
「リサ……」
私は心の中でとはいえ、リサを一瞬、強く恨んだことを後悔した。
「本当に最近のことです。アカネさんのことがあった後」
「じゃあ、アリシアは、そのせいで……ずっと?」
また思わず、私は自分の口を手で抑えた。さっきと違って、恐怖に近い感情を私は覚えていた。
事実を知ってしまったせいで、アリシアは私を避けていたのか。
今まで私が考えていたことが、あまりにも能天気に思えてきた。関係を進めるどころの話ではなかったのだ。
私の知らないところで、もう本当に全部、終わっていたのだ。
「お姉さま……?」
「ご、ごめんなさい。私、今までアリシアを騙していて……」
「い、いえ。違います。落ち着いてください」
「だってもう、終わりじゃないですか。そんな」
「聞いて。私が知ってる本当のお姉さまは、私が出会った時から、触れあって来たお姉さまだけです」
「へ……?」
「私はなにも、お姉さまの過去を掘り返したかったわけじゃないんです。ただ、自分の気持ちの出所が魔法じゃないかどうか、確かめたくてリサさんに聞きに行ったんです」
「自分の気持ちの、出所?」
「はい。お姉さまの白帽子に、何か魔法がかかっているのを知って、私はそれのせいで魅了されてしまっているんじゃないかと、そう思ったんです。でも違いました」
「そんなこと、しません……」
「ええ。でも、喧嘩していたから」
「で、でも、もう、終わり、なんですよね」
自分でも聞こえないくらい小さな声で、途切れ途切れに私はそう口に出した。
「私の知っている”本当のお姉さま”は……私が小屋を訪れた時から、今まで、私と過ごしてきたお姉さまはだけです」
「でも……」
「はじめは、リリアお姉さまに似ていたから。話に聞いていた魔女へのあこがれから。でも、そんなの、最初だけです。追われて全てを失った、何にもできない私に呆れず、親切に優しくしてくれたのが、私の知っている本当のお姉さま。それだけです」
「嫌いにならないの?」
「ええ。お姉さまから一番聞きたかったことは、さっき聞きました。だから、もう大丈夫です。お姉さまの"好き"の意味、ちゃんとわかりましたから。それは、私だけのものだから……ね?」
アリシアはそう言うと、立ち上がって、雨の降る屋根の外へと、一歩踏み出した。
「その魔法は……」
アリシアは懐から取り出した杖を、天に向けて差していた。それはアリシアの頭上に傘上の防壁を作り出し、雨はアリシアにかかっていなかった。
「弟子は卒業、かはわかりませんけど……今日から私たち、恋人、ですよね?」
アリシアはそう言い、かがんで私の方へ手を差し出した。
私は少し緊張しながら、それでも迷わずアリシアの手を取って立ち上がり、アリシアの魔法の傘の下に入った。
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