第138話 謝罪と想い


「……さま! お姉さま! 目を覚まして!」


 アリシアの切羽詰まった声を、意識が捕まえたと同時に、私は強く咳き込んだ。


 同時に身体に打ち付ける雨と、腕についたうっとうしい泥の感触を覚える。


「っ……げほっ……!」


「お姉さま! よかった……」


 身体をくの字に曲げて古い空気を咳とともに勢いよく吐き出すと、ようやく自分の身に何が起きたか考えられるようになってきた。


「私……墜ちた……?」


「何考えているんですか! 雷魔法の練習しているって、シャルロッテから聞かなかったんですか? もう!」


 上体を起こした私の側について、アリシアは私の背中を支えてくれていた。もちろん雨の中、ふたりともびしょ濡れだ。


 私の服はところどころ焼け焦げ破れ、泥だらけになっている。


 周りを見回せば、白い遺跡のいくつかは黒く焦げ、バラバラに破砕されていた。まるでここを狙っていくつもの雷が落ちてきたかのようだ。


「雷魔法……なるほど」


 アリシアは加護付きのネックレスをしていて雷魔法への防壁を常に持っている状態だ。


 いつ雷を発してもおかしくない積乱雲はアリシアにとっては、身体の外にある自然のエネルギー源として武器の一つになっていたようだ。


 アリシアがいくつも雷を落とす修行の場に、私が高い高度で侵入してしまったせいで雷が私の方へと誘導されてしまったらしい。


 つまり、私は飛んでいるところに雷の直撃を受け、墜落したということだ。


「良く生きてましたね、私……あ、そうか」


 死ぬような思いをしていない限りはつい忘れがちになるところだが、私は死なないのだった。


 ただ服は所々が黒く焦げ、箒も柄が真っ二つに折れ、穂は燃え焦げてしまっていた。


「本当に心配したんですから!」


 アリシアは涙目で、怒ったように私にそう言った。


「大丈夫ですよ、アリシア。私は死なないんですから」


「だからって……目の前で死ぬようなことばかりされたら、私はそんなの……嫌です!」


「でも……」


「逆だったらどう思うか、考えてみてください……」


 アリシアが不死になったとして、死なないからといって、命を落とすような場面を何度も見せつけられたらどうだろうか?


 想像してみると、確かに例え死なないとしたって、一度だってそんな場面は見たくないと思った。


「ごめんなさい。想像力が足りていませんでしたね……」


「いっつもそうです」


「はい……私、そのことを謝りに来て……」


 そこで、アリシアの金髪が水にぬれて顔や服に張り付いてしまっているのを見て、ふと、私は綺麗だなと思った。


「どうしたんですか……?」


「い、いえ。少し、移動しましょうか」


 私たちはアリシアが砕ききっていなかった、遺跡の一部……ちょうど二人だけがはみ出さずにぎりぎり雨宿りできそうな、傾いた屋根の下に移動して、その下に座り込んだ。


 手を差し出せば雨に濡れるような、そんな狭い場所で、私たちは雨宿りしながら、少し話をすることにした。


「アリシア、私、ずっと謝りたくて……」


「お話は……聞いて差し上げます。シャルロッテからも説得されましたので。しかし、意に沿うご回答ができるかはわかりかねますわ」


「アリシア……」


 アリシアは今まで聞いたことの無いような冷たい口調でそう言い、つんとそっぽを向いた。王宮では普段、こんな話し方をしていたのだろうか。


 アリシアには、まだまだ私の知らない一面があるのだろう。ある意味威嚇のようなそんな仕草に、怯むわけにはいかない。


「私は……ここ数日間、なんと謝ればいいか、ずっと考えていました。どうすれば許してもらえるか」


「ええ、そのようですね」


「でも、私がしたことは、許されることじゃない……私たちは元に戻ることはもうできないのかもしれない。一度はそう考えて……その後の、アリシアと距離が離れたままの世界を、そのまま過ごす一生を、想像した時……私はやっぱり、諦めることはできないと思ったんです」


「はい……」


「だから、許されることではないのはわかっています。アリシアを好きだと言っておきながら、メイにあんなことをしたこと。どうか、許してください。もう二度としませんから。許してもらうためには、何だってします。いえ、何か悪いことをしていなくたって、私は……いつでもアリシアの為なら何だってします」


「何だって、ですか」


「はい。この先、一生の事でも構いません……何だってです」


 私にできる、最大限の謝罪は、なんていうことはなかった。これまでと同じ、アリシアの為ならなんだってする、ということにすぎない。


「……そうですか」


 アリシアは雨が振りつける濡れた地面を見たまま、こちらを見ようとはしなかった。


「私もここ数日間、色々なことを考えました」


「アリシアもですか?」


「私はあの場面を、何度も思い出してしまいました。そのたびに、もうお姉さまとなんて、二度と話したくないって思いました……」


「はい……」


「胸が引き裂かれそうになって、息ができなくなるんです。お姉さまと話そう、と思っても、もう息が吸い込めなくなって、そんな姿を見られたくなくて、何度も逃げました」


「そ、そんなことが……」


「全部わかってるんです。あの時、お姉さまとメイが私のために命を賭けてくれたこと。二人とも、私のことを大事にしてくれているのに、私は……」


 アリシアの声がだんだんと震えてくる。感情が昂ってるのが伝わり、私も思わず身を強張らせた。


「お姉さまは私を守るために、嫌がっていた不老不死にまでなった。メイは、王宮での暮らしを捨ててまで、私を探しに来て、守ってくれてる……二人とも、なんでそんなに、って思うくらい、私のために命を賭けてくれている……」


「それは、アリシアが気にすることではありません……ただ私たちが勝手にしていることで」


「全部わかってるんです! シャルロッテが私を守れなくて、もう抵抗できないほどに悔いて牢屋にいたことも……! リサさんが私のために魔法のヒントをくれたり、箒をプレゼントしてくれたことも。みんな、みんないい人だってこと!」


「アリシア、少し落ち着いて……」


「なのに私は……私は、お姉さまとみんなが仲良くしているのがすごく嫌! 嫌なんです! みんな大事な人で、いい人たちなのに! そうして、私は自己嫌悪してしまう。嫉妬してるんです。嫉妬なんて、醜い感情なのに」


「アリシア……」


 そんな考えには少し、驚いた。私からすれば、アリシアはみんなと仲良くやっているように見えたから。


「そんなことになるのなら、二人きりの方が良かった……私が小屋を尋ねて、お姉さまが温かい食事を分けてくれた、あの頃に戻りたい……私、そう思ってしまって、また自分がどんどん、嫌いになる……」


 アリシアは声を震わせて、消え入りそうな小ささで、そう続けた。


 確かに、あの時は幸せだった。みんながいる今が、不幸という訳ではないけど。


「お姉さま……いえ、リリアお姉さまなら、こんな風には思わなかったと思います。誰もかれも分け隔てなく愛して、嫉妬なんてしないんです……お姉さまもそうなんでしょう?」


「そ、そんなことは……」


 あまりに急にそんな質問をされて、よく考えたことも無かった私は何も言えなかった。


「私はどうすればいいんでしょう……どうすれば」


 アリシアのその言葉は、私に答えを求めるでもなく、アリシア自身からも答えが出るとも思っていないのか、どこか空虚に聞こえた。


 アリシアは、ちゃんとみんなのことを愛しているはずだ。それこそ、リリア王女のように。それをこんな風に、卑屈に考えてしまっているのは、ひとえに私の中途半端な態度のせいだろう。


「アリシア……私、間違っていました。ここに来るまで、アリシアと仲直りして、元通りに戻りたい、と、そう考えていました。でも……それじゃダメだったんですね」


「ど、どういうことですか? じゃあもう、もう、おしまいなんですか? 私たちのこと……」


 アリシアは、驚き悲しんだ瞳で私を見る。それだけで、勝手に喉が詰まる。


「いえ……少し……考えるから。上手く話せないかも。でも、聞いてくれますか?」


 私がそう言うと、アリシアは小さく頷いた。

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