第132話 過ち
「依頼主を、暗殺……?」
アリシアの暗殺を依頼した王子を、アカネは逆に暗殺すると提案した。
一体アカネがどうしてそんなことを言い出したのか、私にはさっぱりわからない。
「耳を貸す必要はありません、お嬢様」
メイはそれ以上話す必要すらないと言いたげだが、アカネは無視して言葉を続けた。
「まぁ聞いてよ。私は失敗知らずの暗殺者。いままで一度も仕事をしくじったことなんてない」
メイは否定しない。恐らく事実だろう。
「そんな私が……もし貴女の暗殺に失敗して王都に戻ったらと考えてごらん? 仕事をしくじった暗殺者の末路なんて想像つくでしょ? おめおめと失敗しましたなんて報告に戻れないのよ、私は」
仕事に失敗した時……目的は達成されないまま、暗殺しようとしたという事実だけが残り、依頼主にとっては最悪の状況だろう。はいそうですかと許されるはずもない。
アカネ自身、命に危険が及ぶ可能性もある。
「メイとの決戦も叶わず、ここで私の命を終わらせることもできない。それならいっそ、第二王子の暗殺なんて馬鹿げた賭けをすれば……私の死に場所も見つかるかもしれないわ。悪い話じゃないでしょう?」
もしアカネの提案が本気で、それに乗ったなら……上手くいけばアリシアの命を狙う輩は始末される。そしてアカネが失敗しても、二度とアカネがアリシアを狙いに来ることはない。
「お嬢様。馬鹿げた提案です。そもそもこの女は、未だに仕事をしくじったなんて思っていないのです」
もちろん、メイの言う通りだ。アカネの提案は全部嘘で、単純に代償もなく開放されたいだけだという可能性が高い。信頼できる要素なんて一つも無く、長く共に過ごしたメイがそう言うのなら、それを信じるのが賢明だろう。
「じゃあどうするのよ? やっぱりここで私が餓死するのを待つしかないんじゃない? それでも別にいいわよ。想像していたよりちょっぴり、退屈な死に方だけど。負けは負け。悪くは無いわ」
アカネのその言葉もまた、本心かどうか私には読めなかった。
「どうすべきでしょうか……」
アリシアの安全が第一。そして次に、アカネを処刑したり餓死させたりもしたくないし、メイにもそうさせたくない。
「わかりました」
「お嬢様⁉ 冷静になってください! 一度ここを出て、話し合いましょう⁉」
はじめから決まっていたようなものだ。私がアカネを殺さないと決めていた時点で。
「アカネさん、あなたが第二王子をどうするかは、私の知ったことではありません。でも処刑も餓死も無しです。あなたが……再びこの森に入ろうとすれば、それは直ちに分かります。感知できるようになっています」
地図を見ても、誰がどう侵入しているかはわからない。でもリュアネは、森で起こるほとんどのことを感知できる。アカネが侵入したら、それがわかるはずだ。だからハッタリではない。
「それは素晴らしいことね」
「ええ。次からは野放しになんてせずに、侵入されたらすぐにアリシアを隠し、あなたを倒しに駆け付けられる。だから再びここに来ても、無駄な事です」
「来ないわよ。頼まれたってこんなジメジメしたところ、二度と」
「だからあなたを……森の外へと追い出します。それで終わりです。また侵入すれば、今度は容赦しません。ここを出た後どうするかは、私の知ったことではありません」
「お嬢様! 解放した瞬間、襲い掛かってくるのは明白です! なぜそれがわからないんですか!」
「落ち着いてよ、メイ。私たちにはこうするしかないんです」
「異存はないわ、白魔女。決まりね。あなたは牢屋を開けて、私はゆっくりと両手を挙げてそっちに歩く。そして仲直りの握手をして、後ろを向いて縛られるのを待つ。それから私は森の外に連れていかれて、二度とここに近づかない。それって……いい関係性よね、私達って」
「そうは思いません。その場で両手を上げて、後ろを向いて」
「つれないわね。握手は無しなの? 私はこれでも、あなたを気に入ってるのよ」
「お嬢様!」
アカネは指示通りにその場で両手を上げて、後ろを向いた。
私は杖を構えて、牢屋の鍵へと突き付けた。
「鍵を開けます。メイはアカネを縛ってください」
「最悪です。お約束ですが、守れるか自信がありません。いざとなればアカネを殺します」
そう言いながらも、メイは鉄格子へと近づく。
私は杖を振り、鍵を開ける。
鍵の開いた鉄格子の扉を開き、メイが慎重に、アカネに近づく。
「メイ、貴女の過ちを教えてあげる」
「何……?」
アカネは無防備な姿勢のまま、振り返らずに言葉を続けた。
「新しいご主人を……ぶん殴ってでも、止めなかったことよ」
「貴様……!」
アカネは素早く前方に駆け出し、メイから距離を取る。
そして懐から魔石を取り出して地面に叩きつけた。
煙が爆発的に広がり、辺りを包む。
魔石を使った煙幕だ。
「扉を閉めて!」
煙の中、姿の見えないメイが叫ぶ。
しかしその声を聞いた瞬間には、既にアカネは私の目の前に迫っていた。
メイの横をすり抜け、扉を通って、一瞬で私の側へ。煙の中、近づいたアカネの姿だけが見えた。
全て計算ずく、はじめからこうするつもりだったのだろう。
「このっ……」
杖を向けようとしたときには、既に杖ごと手を掴まれている。
その手を引かれ、抱き寄せるように近くまで、引き寄せられる。
「はい、握手。ハグもね。さっきのは嘘じゃない。貴女を気に入ったのは本当」
「何……を」
アカネが耳元で囁く。
次の瞬間、左の脇腹に猛烈な痛みと熱さを感じる。
あまりの痛みに、全身から冷や汗が吹き出した。
「アカネ、貴様!」
メイが何も見えない煙の中、それでもこちらに近づき、アカネに襲い掛かった。
「あはは! 全部私の望み通り!」
アカネは嬉々として応戦する。
ナイフ同士がぶつかるような音が、煙の中、響く。
脇腹を押さえた手に、嫌な生ぬるい感触がある。
そこから生命力が吸われているかのように力が入らなくなり、私は地面に膝をついた。
「致死性の毒! わかってるでしょ、メイ! 私たちのやり方は」
「許さない! 許さない! お前!」
「さぁもっと怒って! どちらかが死ぬまでやるのよ!」
煙が晴れていく。二人は死闘を繰り広げている。
妙に寒い。音が遠い。
リサに味わわされたあの暗闇が、近づいてくるような気分だ。
ご丁寧に、ナイフに毒まで塗ってあったらしい。でもそんなものなくても、こんなに深く刺されれば普通なら死んでしまうだろう。
「お姉さま⁉ お姉さまどうして……!」
「アリ……シア……?」
悲痛な叫び声と共に、ここにいるはずのないアリシアが私の元に駆け寄ってきた。
痛みがひどすぎて幻覚でも見えたのかと思ったが、本物だった。
こっそりついて来ていたようだ。メイが妙に後ろを気にしていた理由がようやくわかった。
「こんな……こんなのってひどい……どうしよう……どうすればいいの⁉」
アリシアは倒れた私の上体を支える。
顔を見上げると、可愛い顔をくしゃっと歪めて、ぽろぽろと涙を流していた。
「嫌ぁ……死なないで! お姉さま! どうしよう……どうしよう!」
「アリシア……」
汚れていない右手を伸ばして、アリシアの頬にそっと触れた。
「本当に、悪い子ですね……」
脅してまで部屋に閉じ込めたというのに。
「喋っちゃ駄目です!」
「アリシア様! お嬢様を連れて外へ!」
メイはアリシアがいることに驚いていない。やはり、ついて来ていたのを知っていたようだ。
「動かせないわ! 酷い怪我なんです!」
「アリシア、ごめんなさい。私、謝らないと……」
「喋らないでって言ってるでしょう⁉」
「私……あなたに黙って……」
そう。こんな状況でも、全部想定通り。
ただちょっとだけ、想像よりも死ぬほど痛かっただけ。
「傷が……?」
開いた傷が、勝手に狭まり閉じていく。
流れ出た血が体内に戻るわけではないが、ある地点の身体の状態に巻き戻るかのように、私の身体は正常に戻っていった。
「何? これ、魔法……?」
「呪い、かも」
ついには痛みが嘘のように消え、元通りになった私は、少し苦笑いしながらアリシアに言った。
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