第128話 いつも通り


 リュアネの小屋で侵入者を知ってから、私は急いで小屋に戻った。


 侵入者の存在を知らせ、地図を広げてメイたちとそれを囲んだ。


 その地図には、迷宮の形状がリアルタイムで反映されて、侵入者たちが今どこにいるのかがわかるようになっている。


 わかるのは迷宮がどうやって作られているかだけなので、最も先へ進んでいる者がどこにいるのかだけが分かるようになっている。


 今はどうやらスライムたちと戦っているようだ。そこに何人がいるかわからないが、すこし進みは遅くなっているようだ。


「もう侵入者だなんて。大丈夫でしょうか? お姉さま」


「大丈夫ですよ、アリシア。みんなで作り上げたダンジョンですから……」


 しかし、迷宮はスライムの巣からハウンドの生息地に向けてだんだんと形作られていく。


 早い。魔法を使える者がいなかったから、素通りしたのだろうか?


 不安を隠しながら、メイの方を見ると、メイも何が起きているのか思案しているようだった。


「問題ございません。ハウンドの先に進むようなら、私が一度敵の意思を確かめに参りますので」


「はい、お願いしますね」


 しかし私たちの希望にもかかわらず、しばらくしても侵入者が足を止めることは無かった。


「こんなに早く……? ハウンドたちは全滅したのでしょうか?」


 戦って、この一瞬でハウンドたちを全員倒したとすれば相当な手練れだ。


「あるいは……気配を消して撒いたか。私ならばそう致しますので」


「では……敵は暗殺者なのでしょうか」


「その可能性は高いです。いずれにしても……私が出ます」


「お願いします、メイ。気を付けて」


「身体はここにあるのですから、ご心配なさらず」


 メイはソファに横たわり、魔石の組み込まれた十字架状の機器を胸の上に置き、両手で持つ。そして目を閉じた。


「お願いします、お嬢様」


「はい、では……始めますよ」


 目を閉じ、横たわったメイの手に持った機器に魔力を注ぎ込む。メイの呼吸は落ち着いていき、睡眠しているかのようにも見える。


「お姉さま、メイは何をしているんですか?」


「ええと……」


「これは幻影魔法よ」


 シャルロッテが自分の出番とばかりに、解説を始めた。


「あらかじめ魔法陣を設置した場所に、魔力で作った自分の分身を召喚するの。本体は意識をそちらに飛ばしているから眠っているようになるだけ。メイは無事よ」


「じゃあ、メイは今、敵と会って戦っているということ?」


「そうよ。分身の身体能力は本物のメイより落ちるでしょうけど……それでもそこらの訓練された兵士よりもよっぽど強いはずよ」


「はい……敵の意志を確かめ、どこまでやるべき相手か見定めてもらうのが目的です。もちろん可能なら、その場で敵を倒してもらいます」


 メイ程の力があれば、分身だけで敵を倒すことも現実的な話だ。正直言えば、それに期待している自分もいる。




「っ……!」


 しかし、ほんの数分で、メイは意識を取り戻した。


 素早く上体を起こし、焦った表情を浮かべている。


 敵を倒して戻って来たわけではないのは明白だった。


「メイ……! 大丈夫ですか?」


「お嬢様……」


 メイは私の方を見てそれだけ言って、首を横に振った。


「今からでも間に合います。ここを捨てて、遠くへ逃げましょう」


「な、何を……この小屋を離れるっていうんですか?」


「ええ。アリシア様、シャルロッテ様。みんなでここを離れましょう。ここにこだわる必要はありません。そうすべきです、直ぐに」


「メイ、落ち着いて」


 明らかに狼狽しているメイに近づき、私は背中を撫でて宥める。いつも冷静なメイのこんな姿は初めて見た。


「時間がありません。迷宮の先は長いですが、彼女はすぐにここに到達するでしょう。私を置いていっても構いません。飛んで逃げれば、追い付けません。さぁすぐに!」


「メイ! お、落ち着いてください。そんなに強い敵なのですか?」


「最低最悪です。考え得る限り、最も厄介な敵です。逃げましょう、それが最善です」


 心に迷いが生まれる。メイの言う通りかもしれない。飛んで逃げてしまえば、敵はすぐには追っては来られないだろう。


「敵の目的は?」


「相手は暗殺者です。分かりますか、お嬢様」


「とこしえの氷片が目当てではないということですね……?」


 メイは静かに頷く。


 私は不安げな顔をしたアリシアとシャルロッテを見る。


 敵は暗殺者。つまり、誰かの命を狙って来た。


 どこからか、アリシアの情報を掴んだのか。それを今考えても仕方ない。今考えるべきは、これからどうするか。


「ここを逃げても、行く先なんてありません。安全な場所を用意しているわけじゃないんですから……そっちの方が危険ですよ」


 焦って逃げ出した先で、私はアリシアを守れるだろうか。私は外のことをほとんど知らないというのに。


 それくらいなら、ここで迎え撃ったほうがいい。ダンジョンの続きを進んでこれば消耗するだろうし、奥の手もある。


「しかし、ここに居ては……」


「メイ、大丈夫ですよ。私はアリシア達を守る為なら、なんだってします」


 そう、奥の奥の手も、ある。


 メイがここまで焦っているのだから、ことの深刻さを測るのはそれだけで十分だ。覚悟を決める必要がある。あるいは……相当前から既に覚悟など決めていたのかもしれない。


 だから……相手が最低最悪だというのなら、私もそいつにとっては、最低最悪の邪魔者かもしれない。


「何だって、です。メイ。私は覚悟を決めます。だからあなたも決めてください」


「お嬢様……でもっ……!」


 メイは何か言おうと口をパクパクさせて、アリシアと、シャルロッテを見て、また再び私の方を見た。


 多分、私の気持ちはその時、メイに通じたと思う。


 そして一瞬俯いて、微かに笑うと、顔を上げた時にはいつも通りの冷静な表情に戻っていた。


「失礼……少々取り乱しました。冷静に考えれば……お嬢様が負けるはずないというのに」


「いいんですよ、メイ。私は少し……準備をしてきます」


「ええ。ここはお任せを。出来るだけ早く、お戻り下さい」


 小屋を出ようと歩き、立てかけてあった箒を掴む。


「お姉さま!」


「落ち着いてください、アリシア様。お嬢様は戦いに出るわけではありません」


 メイがアリシアを宥め、落ち着かせてくれた。私は振り返って、少し離れたところでメイに抑えられているアリシアをじっと見る。


「すぐ戻ります。アリシア。アリシア……愛していますよ」


 私は今、その言葉をアリシアに伝える必要があった。


 同じ目線で言葉を伝えられるのは、これが最後かもしれないから。


「お姉さま? ほら、戦いに行こうと……?」


「いえ、違います。もしそうだったのなら、後から私をどうにでもして構いませんから!」


 メイが必死にアリシアを引き留める。


 時間を無駄にしている余裕はない。そう分かっているからだろう。


 メイに心の中で感謝をしながら、私は小屋を後にした。




 そして準備を終えると、数分もしないうちに、私は約束通り、小屋に戻ってきた。


 何も変わってなんていない。これ以上無いほどに、いつも通りの姿で。

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