第127話 侵入者たち


「あり得ない……」


 鬱蒼とした森の中、息を切らし、その茶髪の女性は呟いた。


 動きやすい軽装をして、両手にナイフを握っている。スカートの裾も、履き慣れたブーツも、今やボロボロだ。


「カリン、何をぐずぐずしているの。置いていくわよ」


「ま、待って下さい師匠……」


 唯一、カリンと行動を共にしている女性……師匠のアカネは、白く透き通るような髪をなびかせながら、遅れるカリンのことなど気にも留めずに先へ進んで行く。


 両脇、そして天井には格子状に張り巡らされた樹の幹があり、カリン達には進むか、戻るかの二択しかない。そしてカリンの師匠、アカネは、進むことを選択し続ける。


 カリンがついて来ようが、あるいは足を止めても、関係ないのだろう。


「三十人はいた。三十人は……」


 正確に数えてすらいなかった。


 カリン達は王国の兵士たちと共に、黒森に足を踏み入れた。


 彼らは西側の戦争に加わった経験もあり、全くの素人ではなかったが、師匠の元で研鑽を積んできたカリンからすれば、大したことのない連中だ。


 しかし……目的にたどり着く前に全員離脱してしまうほど軟弱な連中ではなかったはずだった。


「一体どこで間違ったんだ? どこで……」


 カリンは息を整えながら、自分の身に起きたことを思い起こした……




 想定通りの道を進んでいたはずだった。しかし突然、進んでいた道は塞がれ、こちらを進めとばかりに樹々はカリンたちを誘い始めた。


 木の幹は固く強く、カリンたちを覆い囲んだ。


 数人を残して、カリンたちは進んだ。樹々が誘うままに。


 そのうち、スライムが多く棲む場所にたどり着いた。


 魔法使いの出番だった。王国の兵士たちの中にいた数人の魔法使い達が、出番を悟って何も言われないうちに、スライムを排除しようとして杖を振るった。


 その瞬間、杖が爆発した。


「うわあぁあぁっ⁉」


 大の男たちが、目の前で慣れ親しんだ杖が暴発したことに驚き、悲鳴を上げる。


 罠だ。魔法を使うのが確実だと知っているからこそ、魔法を感知して発動する罠を仕掛けたのだろう。


 明らかに人為的なものだったし、罠の仕掛け方をよく知っている。


「師匠……これはきっと誰かが仕掛けたものです。魔法使いがやられましたが、どうしますか?」


 魔法使いたちは傷を負って、仲間に介抱されている。死んではいないが、先へ進むのは難しいだろう。


「関係ない。あいつらは依頼主が私たちに勝手につけた枷よ」


 アカネはその赤い瞳で、つまらなそうに兵士たちを一瞥すると、すぐに背を向けて先へ進み始めた。相手にしなければ、スライムを振り切ることは容易い。


 はじめから、ここの攻略法はスライムたちを無視することだったのだろう。何もしないことが正解だとは……仕掛けた奴は心底性格が悪いとカリンは思った。


 慌ててついて来た半数ほどの兵士たちと、カリンたちは先へ進んだ。


「追跡されているわね」


「はい……しかし、何者でしょうか?」


「獣か、獣のような奴らか。どちらか」


 そうアカネが言い終わるのとほとんど同時に、四方の樹々の格子の間から、大きな黒い犬型の魔物が襲い掛かってきた。


「ハウンド……!」


 正解は獣だった。死角からというのもあるが、そもそも樹々の格子から外に出られないという意識から、兵士たちは外から入ってくる者もないだろうと無意識に考えていた。


 しかし、樹々はハウンドたちに道を開けるように穴を作り、ハウンドたちが通ればすぐにその穴を埋めた。まるで意思疎通しているかのようだった。


「ぎゃああぁっ! 助けてくれ! 腕が……がっ」


 ハウンドは一体一体が、人間に覆いかぶされば下の人間が見えなくなるほどに大きい。俊敏に跳躍し、空中から、あるいは這うように地面から兵士たちに襲い掛かる。


 人間と戦うのとはまるで違う角度から攻められて、兵士たちは手も足も出ずに引きずり倒されていく。


 腕や足に嚙みつかれ、引きずり倒されたら最後、首を狙って致命傷を与えようと噛みつく。


 噛みついたままぶんぶんと首を振って、四肢や首を引きちぎろうとするハウンドたち。おぞましい光景だった。


「くっ……舐めた真似しやがって!」


 カリンは格子の隙間を通り抜けて、飛びついてきたハウンドを察知すると、空中のハウンドを蹴り飛ばした。


 キャンッ、と苦しそうな悲鳴を上げるハウンドに、ナイフを投げて追撃したが、素早く下がったハウンドは格子の外へと逃げ帰った。


「鬱陶しい……! って、師匠⁉」


 気づけばアカネは飛びついてくるハウンドを軽々とナイフで引き裂きながらも、歩くのをやめずに進み続けていた。


 カリンは悲惨な兵士たちの状況を見ながらも、急いでアカネに駆け寄った。


「いいんですか? アイツらは……」


 兵士たちはお互いにかばい合いながら、なんとかハウンドを遠ざけつつ、致命傷を負った仲間の傷を回復薬で癒している。


 ハウンド達に襲われながらも、明らかに後退できるような態勢で連携し合っており、ついて来られそうにはなかった。


「足手まといよ。アイツらは逃げ帰っても名誉の帰還だけど、私たちは失敗したら依頼失敗で命を狙われるのよ。わかってるの? 甘えん坊さん」


「わかってますよ! でも、この森はヤバいですよ、師匠。この規模で罠を張り巡らせるなんて、絶対何かある!」


「何もなければわざわざこの私がこんなところに来ると思う? 笑える」


 笑える、とは言いながらも、アカネは笑み一つ浮かべない。


 カリンはアカネを師匠と慕いながらも、その冷たさに時折恐怖することも多かった。


 アカネは自分では到底触れられないほどの深い闇を抱えていて、カリンにアカネの考えは理解できない。人情の欠片もなく、カリンがどうなっても気にしない。


 二人でしばらく黒森を進んだが、ハウンドに追われていた時の覗かれているような感覚はずっと消えず、カリンは神経をすり減らした。


 その間にも仕掛けられた罠に、カリンは何度も足を取られ、傷を負っていった……




「きな臭い依頼を受けたこと自体が、間違いだったんだ……」


 カリンは頭を整理してそう結論付けると、嫌な過去を思い返すのをやめて、呼吸を整え、アカネの後を追いかけた。


 やがて、少しだけ開けた場所に出た。


 樹々の格子はドーム状に広がり、動きやすい空間を形作っていた。


「なんでしょう、ここ」


 明らかに怪しい、そう思ってアカネの方を見ると、アカネが見たことも無い邪悪な笑みを浮かべて、正面を見ていた。


「やっぱりお前ね……!」


「師匠……?」


 カリンは視線の先を追った。


 そこにはメイドが立っていた。


 目を疑ったが、明らかに、綺麗な佇まいのメイドが……姿勢を正してこの森の中に立っていた。


「え……」


 その一瞬の隙を突かれたかのようだった。


 気づけばメイドは人間離れした動きでカリンのすぐそばまで一瞬で距離を詰めて来て、ナイフで腹を一突きした。


「失礼。簡単そうな方から」


「がっ……」


 必死で防御態勢を取ろうとしたカリンは、首に蹴りを食らって刈り取られるように蹴り倒された。


 全てが瞬きするような間の出来事で、そのたった一瞬の油断でカリンは無力化されてしまった。


「メイィ!」


 アカネが叫び、ナイフを構える。


「あなたは……⁉」


 名前を呼ばれたメイドは少し、動揺し、距離を取った。


 アカネはカリンの事を気にもせず、メイドと対峙し、戦い始める。


 カリンはそれを見て、少し寂しくなった。


 最後にほんの一目だけでもアカネが自分を見てくれれば……


 もう少し報われた気分で逝けたかもしれなかったのに。

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