第125話 罠


「平気そうですか~?」


 少しだけ声を張り上げ、私は後ろから私に抱きついているメイに問いかける。


「ええ。むしろ夢心地でございます」


「じゃあいいんだけど……」


 メイは高所恐怖症のため、箒に乗ることができない。しかし、バイクのように地面すれすれを低空飛行する分には、どうやら平気のようだった。


 だから私はメイを箒の後ろに乗せて、ダンジョンの中を進んでいた。空を飛ぶときにはそれほど感じなかったが、実際すぐそばを景色が通り過ぎていくと、結構なスピードが出ていて爽快だった。


 それからメイに言われた地点で停止しては、私たちはダンジョン内にトラップを仕掛けてまわった。


 ほとんどは魔石が組み込まれた機構で、煙幕をばら撒いたり、あるいは幻影を見せたり、縄で敵を吊るし上げるなどの致命的ではないトラップだ。


「それにしても……仕掛けるべき場所がよくそんなにすぐ決まりますね?」


 メイは初めから決めていたかのように、トラップを仕掛けるべき場所を見定め、てきぱきとそれを設置していった。私なら、一体どこに置くべきかと考えて迷ってしまうだろう。


「コツがあるのです。私も侵入者側としての経験がありますので」


 メイはかつて暗殺者として、ダンジョンじゃないにしろ、標的がいる場所への侵入などは沢山してきたのだろう。


「コツですか……例えば?」


「ふむ……そうですね。例えば、”今まさに、欲しているものに”とかでしょうか。川を渡りたい時、橋が架かっていれば人は嬉々としてそれに飛びつきますね?」


「ええ。流されたり……濡れたくもないですから」


「ならば、その橋にこそ、罠を仕掛けるべきなのです。梯子があれば梯子に罠を。喉の渇きに泉があれば、泉のそばに罠を。宝箱があれば、その中に爆弾を仕掛けるべきなのです」


「うわぁ。それって、ひどいですね」


「まあ、甘い考えのお嬢様には酷な仕事でしょう。性格の悪い私にこの仕事を任せたのは正解と言えます」


「甘い考えかもしれませんけど……メイは性格悪くなんて無いです。私だってそうやって考えることくらいできますし……」


「ふむ……では私に意地悪してみてください。性格反転薬を使わずに」


「えぇ……?」


「私ならすぐにできますよ。ほら、これを見てください」


 メイは突然、懐から白い布を取り出し、ひらひらと振って見せた。


「あっ! どうしてそれを!」


「ふっふっふ。掃除、洗濯、あらゆる家事をこなしているこの私が、お嬢様の下着を盗み出せないとでも?」


「なっ、何で盗んでいるんですか! 返してください!」


 私が不届き物からショーツを取り返そうと手を伸ばすと、メイは素早く数歩後退して、私から距離を取った。


 運動能力で叶うはずはない。私はすぐに杖を取り出そうとした。


「おっと、それをされたら叶いません。ほら、どうぞ」


 メイは遠くから、下着をこちらへ向かって投げた。


 布の割に奇妙に素早く落下してくるそれを、私はなんとか手で受け止める。


「お嬢様……”今まさに、欲しているものに”ですよ」


「はっ……⁉」


 ぼふん、と下着から突然粉のようなものが広がり、私は顔をのけ反らせて避けた。


 これは……魔石を使った罠だ。毒薬が仕込まれていたに違いない。


 しかし咄嗟のことで、それを吸い込んでしまった。


「げほっ……!」


「痺れ粉です。おっと、危ないですよ」


 手足の先から徐々に力が抜け、腰に到達して立っていられなくなる。


 メイは素早く駆けよって、私の身体を支えた。


「ね? 簡単でしょう?」


「もう……わかった、から……」


 かろうじて喋れるが、脱力してしまって大きな声は出せない。


「罠に絡めとられた獲物は……無防備になってされるがまま。綺麗な蝶だって毒蜘蛛の餌食です。そうでしょう、お嬢様?」


 メイは私にぐいと顔を近づける。吐息がかかる距離で、うっとりと私の目を覗き込む。


 これはまずいやつかもしれない。身体に力が入らない。


 相手に悪意があったら、それこそ私の人生はここで終わる。


 罠とはそういう恐ろしいものなのだろう。


「はい……反省、しました……から」


「駄目です。まだ足りません」


 メイは耳元に口を近づけそう言うと、かぷっと耳たぶを甘噛みした。


「あっ……」


 心だけが必死に焦り、しかし身体と脳はぼーっとしたままで、それがより一層私の心を焦らせた。


 叫びたいほど焦っているのに、ふと何かに気づいた程度の声しか口から出てこなかった。


「ちょっとした遊びのつもりでしたが……困りました。私、興奮を禁じ得ません……」


「メ、イ……?」


「だらりと脱力した無防備な体に、虚ろな表情。小さな声。この世で最も手に入れたいお方を、私だけの人形にしてしまったかのようです」


「やめ……て……」


 寝起きよりも力の入らない手でメイを押しのけようとするが、少しもメイを遠ざけられない。


「毎朝のハグだけでは、私も少し物足りないです。もう少し、近く。誰にも近づけさせないところまで、お嬢様を知りたい……」


 メイは私に頷かせようとでもするかのように、首筋に指を這わせる。


「う……」


「ここで全てを奪ったら、お嬢様は私を追い出すでしょうか? だとしても、天秤にかけるに値すると思ってしまっている自分が恐ろしいのです」


「メイ、駄目です……」


 メイは私に顔を近づける。


 キスをしようとしているようだ。


「メイ……」


 体に少しずつ力が戻ってきている。


 抵抗するなら魔法で……メイを突き飛ばすことができるだろう。


「わかっておりますよ、お嬢様」


 しかし私はそうしなかった。


 何となく……メイの表情に悪意を感じ無かったからだ。


 メイはそっと私の前髪をどかすと、子供にするようにおでこにキスをした。


「ん……」


 おでこに柔らかい感触。


 少し驚いたけど、嫌な気持ちはしなかった。


 メイは私の身体を支えたまま、私の身体に力が戻るのを待った。


 しばらくすると自分で立てるほどに力が戻ってきたので、私はメイから離れて自分の脚で立った。


「はぁ……まだ少しフラフラします」


「申し訳ございません。お遊びが過ぎました」


「ほ、本当ですよ、もう」


 こういう時は怒らなければ。正式に雇っているわけではないにしても、従者を名乗るからには、節度を守ってもらわないと。


「だ、駄目ですよ、もうこういうことをしては」


「はい、申し訳ございませんでした。ところで先ほどおっしゃっていた、森の奥の洞窟の件ですが……最後のトラップに使おうと思います。如何でしょうか」


「え? は、はい。いいんじゃないでしょうか」


 うん……反省しているみたいだし。


 もう大丈夫だろう。しっかり叱れたようだ。


 その証拠に、仕事にも意欲的に取り組んでくれている。


 決して都合が悪くなったから話を逸らしているわけじゃないだろう。


 ……多分。

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