第122話 悠久の時を


「ふー……実はですね、黒森に侵入する人たちを撃退するために、ダンジョンを作りたいんです」


「ダンジョンですか。まあ! 楽しそうなお趣味ですね!」


 リュアネは両手を合わせて、にっこり微笑んでいる。相変わらず少しずれた感想が返ってきた。


「いえ、趣味ではないのですが。そのダンジョンを作る上で、敵を惑わす迷路を作るために、樹々の力を借りようと思ったんです。いつも魔法でそうするみたいに……」


「そういった了見だったのですね。私、正直感動しました」


「感動って?」


「かの”神の落とし物”を探すため、かつてこの黒森には侵入者が絶えませんでした。先代の魔女様が森を守るようになってから、恐ろしい噂が広がり、その数は減りましたが……今でもその遺物を探しに遠方から訪ねてくる悪しき者は後を絶ちません」


「神の……何ですって? 一体なんの話を……?」


「え? ”とこしえの氷片”を守るために、ダンジョンを作るのではないのですか?」


「とこしえの氷片……! 本当にあったんですか?」


「ええ。先日も、探しに来た竜騎士を、撃退してくださったじゃないですか」


「え、ええ。もちろん。ネーナのことですね」


 ネーナから尋問をしておいてよかった。どうやら、本当にネーナが言っていたものはこの黒森にあって、単にネーナが探し出せなかっただけらしい。


「お姉さま、とこしえの……なんとかって、何ですか?」


「貴重な遺物みたいで、ネーナはそれを探しに来ていたんですよ」


 アリシアにはそんなものがあると伝えていなかったが、リュアネの口からその言葉が出てしまったので私は最低限の説明をした。


「でも……違います。私はアリシアを守るためにダンジョンを作ろうと思ったんです」


「アリシアちゃんを? とこしえの氷片じゃなくて?」


「はい。この子を守るためです」


「このちっこい子を? 守るためだけにですか?」


「ちっこくありません! さっきから失礼な人ですね!」


「アリシア……落ち着いてください」


 なんどもちっこい子扱いされて、アリシアは頬を膨らませていた。リュアネにも、悪気があるわけではないようだけど。


「おかしな話ですよ、それって。だって、みんな喉から手が出るほど、とこしえの氷片が欲しいのに。マリーちゃんは、それを独り占めしたくないんですか?」


「いえ……特には。私が独占したいのはこの子だけというか……何というか……」


 つい反射的に答えておきながら、私は少し恥ずかしくなりしどろもどろになる。


「もう、お姉さまったら……」


 アリシアも珍しく照れて、その場に沈黙が流れる。


「なるほど、わかりました。マリーちゃんは変わり者なんですね」


「い、いたって普通の人間の考えだと思います……」


「ふぅーん。でも普通だと思っているのは、自分だけかもしれませんよ? じゃあそのために、私に印を刻みたかったのですね」


「ええ。でも嫌なら無理にとは……少し別の方法を考えようと思います」


「そうですか……うーん」


 リュアネは再び、何か考えているような、あるいは全く何も考えていないような顔で、窓の外を眺めた。


 私はそれを邪魔せずに、再びお茶を少し飲んだ。あれから少し経ち、特に何も悪いものが入っていないと確信したので、私はアリシアにも頷いて飲んでいいと許可を出した。


 不思議と……沈黙を埋めなければならないという焦りみたいなものは生まれず、私は小屋の中を見回して、このドリアードがどんな生活をしているのかと思いを巡らせた。


 調理用具も一式揃っていて、キッチンや雑貨の類は人間が使うものと何ら変わりはない。


「いいですよ。私にも、刻んでください。あなたが守りたいのがアリシアちゃんだとしたって、ダンジョンを作ることはとこしえの氷片を守ることにも繋がると思いますから。だけど一つ、条件があります」


「条件ですか?」


「ええ。身体に印を刻むということは、特別な意味を持ちます。そうでしょう? あなたがしている指輪みたいに、あなたがしているネックレスみたいに、特別な印です」


「指輪……?」


 アリシアが不思議そうに私の方を見る。


「と、特別なんてものじゃないです!」


「私のネックレスは特別ですけど……」


「と、とにかく、条件とは何なんですか?」


 私は必死でリサの指輪のことを隠した。こんなところで暴露されるとは思わなかった。それにしても、一体私のことをどこまで知っているんだろうか、このドリアードは。


「私はかねてより、この黒森で悠久の時を過ごしてきました。時に賑やかなこともありましたが、それはすぐに過ぎ去り……また静かになる。その繰り返しです。天気が移り変わるかのようです」


 リュアネはどうやら、かなり長い時を生きて、黒森の遺物を守ってきたらしい。


「お二人が来て、私の人生は少し賑やかになり始めました。でも、その先に来る孤独を既に見据えて、今楽しいというのに……同時に寂しさを感じているのです」


「それは……辛いでしょうね」


 想像に過ぎないが……寿命が違う種族同士の交流というのは、少し切ない終わりを迎えるものだろう。


 楽しいのに寂しいような心地くらいは、私も何となくわかるつもりだ。友達と楽しく遊びながら、門限が近づくのが……すごく悲しいような。


「わかっていただけるんじゃないかと、思いました。何となく、私はマリーちゃんと似ていますよね?」


「そう言われれば、そうかもしれません」


「確かに……私も何となく、お姉さまとリュアネさんは似ていると思っていました」


 アリシアまでもが、そんな風に同意した。そこまでは似ていないと思うし、アリシアが私とリュアネが似ていると思われるのは何となくいい気分ではなかった。


 アリシアがリュアネを好意的に思いかねないということに、微かに嫉妬しているのかもしれない。


「だから、条件とはそういうことなのです。私があなた達と過ごして、あなた達に心を許すことが出来たその時……同じ悠久の時を共に生きて……この黒森を守ってくださいませんか?」


「悠久の、時を……? しかし、そんなこと可能なんですか?」


「ええ。とこしえの氷片を砕き、その一部を口にすれば……人間は不老不死になることができる。私と同じ時を歩むことができるようになるのです」


「本当にそんなことが……」


 ネーナも確かに、そう言っていた。それを探して王に献上するために、彼女はこの黒森を尋ねて来たのだ。


 本当であれば、そんな話をアリシアに聞かせたくは無かったのだが、もう手遅れだ。


「不老不死ですって? そんなことあるわけないじゃないですか。そうですよね、お姉さま?」


「え、ええ。もちろんです。ねえリュアネ、この話は……また別の機会にしませんか? 私も作業を終えてきたところなので、少し疲れてしまいましたから」


「もちろん構いません。これから何度だって来てください? ああ、印は刻んで頂いて構いませんよ」


「えっ? でも、まだ条件を飲むとは言っていませんよ?」


「あら、確かにそうですね。でもいいんです。私、今日はとてもいい気分なので。チャンスですよ」


「……では、お言葉に甘えて」


 リュアネは、条件を示しておきながら、そうしなくても魔法陣を刻んでもいいと言う。


 こちらとしては、それに越したことは無い。


 私達はまた尋ねると約束して、リュアネに別れを告げ、リュアネの依り代になっている大樹にも魔法陣を刻んで小屋へと箒を飛ばした。


「不思議な方でしたね、お姉さま」


「そうですね。変わった魔物さんでした」


「でも、不老不死だなんて、いいことじゃないですか。どうしてすぐに、うんって言わなかったんですか?」


「いいこと……いいことなんでしょうか。不老不死に近いリュアネは、寂しそうじゃありませんでしたか?」


「うーん、確かに? でも……よくわかりません。リュアネさんの気持ちがわかるだなんて、やっぱりお姉さまとリュアネさんは、似ていますね」


「……そうかもしれませんね」


 リュアネの申し出は、その場で答えられるようなものではない。


 私が今考えるべきことは、ダンジョンをちゃんと完成させることだ。


 アリシアを狙う敵だけじゃなくて、ネーナのようにとこしえの氷片を探しに来る相手を撃退するためにも。

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