第120話 大きな樹の精
私はアリシアと一緒に、黒森の上空を飛び回り、幾つかの大樹に魔法陣を埋め込んで回った。
「次で最後です、お姉さま。黒森のほとんど中央にそびえ立つ、一番樹齢が長そうな大きな樹です」
箒の上で器用に地図を広げたアリシアが、私に進捗状況を伝えた。
「終わりですか。あとは地図で見るまでもありませんね!」
黒森の中央にあるその大木は、他の高い木よりもさらに目だって背が高い。その上に立てば黒森全体どころか、白森や、その先の街まで見渡せることだろう。
そのため地図など見なくても、簡単にたどり着けるのだ。
私たちは箒を飛ばし、その大樹に近づく。今日は風も少なく、飛びやすい。いい天気だ。
仕事中だというのに、ふと立ち止まって、空から見る壮大な森の景色に見とれては、軽い笑みがこぼれた。
「お姉さま、お姉さま?」
アリシアが少し戻ってきて、心配そうに聞いた。
「あ、ご、ごめんなさい。何でもないです。どうしました?」
「どのあたりに刻みましょうか?」
「上の方がいいですね。対空結界を張るし……高いところまでは私たち以外たどり着けないでしょう?」
「はーい、じゃあ私が一番乗り、です!」
アリシアは、ぎゅん、とスピードを上げると、一気に高度を上げて、大樹の上の方へと飛んで行ってしまった。
「あ、ちょっと。まったく……落ちないでよ?」
私も少し慌てて、その後を追いかける。
そうして大樹の上の方へ近づいた時、アリシアの悲鳴が聞こえた。
「きゃっ……!」
「アリシア⁉」
私が加速して一気にその悲鳴の元へ近づくと……
家があった。
「ん……⁉」
大樹の上に、木でできた小綺麗な小屋があった。
周りの幹や葉に覆われて、外からは見つけづらいようになっていたが、近づいてみればそれは確かにあった。
そしてその小屋の側の太い木の枝に、アリシアがツタで縛りつけられていた。
「アリシア⁉ どうしてそんなことに!」
「お姉さま、近づいては駄目です!」
私は素早く杖を構えて、周囲を警戒する。
「あらあら、どうしましょう。魔女さんは一人じゃなかったのね。カップの用意が足りないわ」
どこから襲い掛かってくるかという私の警戒心など露知らず……アリシアを縛り付けたらしいその女性は、平然と小屋の扉を開けて、バルコニーのような足場へと進み出てきた。
その緑色の長い髪をした女性は、白いシンプルなロングワンピースのような装束を身にまとっており、本当に困ったというようにおどおどしている。
頭には月桂冠のように、青い葉の冠がちょこんと乗っていて、どこか女神のように神秘的な姿だ。
見た目上の年齢は、私と同じくらいには見えるが……実際はどうかわからない。
何故なら彼女は人間ではないからだ。
「ドリアード……?」
自信はなかったが、恐らくそうだろうと、私はその魔物の名前を口に出した。
「はい、そうなんです。私、ドリアードのリュアネと申します。こんにちは」
どこかおっとりとした口調で、そのドリアードは丁寧に自己紹介した。少したれ目な青い目でにっこりと微笑む様子は、まるで人間そのものだ。
「こ、こんにちは……私はマリーです」
思わず返事をしてしまったが、挨拶などしている場合だろうか。
ドリアードというのは、この世界においては樹齢を重ねた樹に宿る魔物の一種であり、樹々を傷つけない限り比較的人類に友好的とされている。
しかし若い男を襲う例などもあって、やはり魔物ということには違いない。
「こっちの子はだぁれ?」
リュアネと名乗ったドリアードは、ツタを操り、幹に縛り付けられたアリシアを、小屋の方へと引き寄せた。
私は咄嗟にリュアネに杖を向ける。
「アリシアを離してください!」
「アリシアちゃんね。だって、私悪くないんですよ。他の樹にしたみたいに、この子が私にも何かを刻もうとしていると思ったから……」
「それは……私がしたことです。アリシアは関係ありません」
他の大樹に魔法陣を刻んだことを、既に把握している。かなり力の強い魔物のようだ。
「そんなのって、ひどいじゃない。だって、私がこの子に焼き印を押したら、あなただって悲しい気持ちになるでしょう?」
「そのことは謝ります。だけど……もし本当にそういうことを考えているのなら……代償は高くつきますよ」
もしアリシアに危害を加えたのなら……残念だけどリュアネの源になっているこの大樹には消し炭になってもらう。
「あらまあ、野蛮なこと言わないで下さい。たとえ話じゃないですか。これだから人間って怖いわ。男の人だけじゃなくて、女の人も。ほら、中へどうぞ」
リュアネはアリシアに絡みついたツタを解くと、ツタはシュルシュルと大樹に飲み込まれていった。
自由になったアリシアは、小屋の前で呆然として困ったように私の方を見ている。
「どうしましょう……?」
「えっと……とりあえず悪いことをしてしまったのは私たちの方みたいですし……話し合いをしてきます。アリシアは小屋に戻って……」
「嫌です!」
「えぇ……ほら、危険ですし、メイたちにも知らせた方が」
「絶対絶対嫌です! 私も一緒に行きます! お姉さまに何かあったら私……」
泣きそうな顔で、アリシアは断固譲らないと主張する。
「……仕方ありませんね、まったくもう」
とか言いつつ、まんざらでもないというか。思わず頬が緩む。こうなったらてこでも動かないだろう。私はアリシアも一緒に連れて行くことにした。
私達はリュアネの後に続いて、小屋の中に入った。
小屋の中は見た目通り狭かったが、人間が過ごしているような生活感が漂っていた。
窓際に机が置いてあり、樹の幹側にはキッチンがある。中は狭いのでそれしかなく、ベッドやシャワールームなどは無さそうだった。
どうやって寝ているかなどは全くの謎だ。
「どうぞおかけになって」
手慣れた様子でリュアネは私たちを椅子に座らせて、カップにお茶を注いで出した。
そして正面の椅子に座るその所作は、人間としか思えないほどだった。
「困りました……人間と話すのは久しぶりなんです」
今までで一番の困り顔を浮かべて、リュアネは言う。杖を向けられている時には少しの緊張感も無かったのというのに。
「以前にも人間とお話したことが?」
「昔は毎日お茶していたんですよ。おばあちゃんでしたけど、私よりは年下の子で、魔女だったんです。魔女くらいしか、ここには来られませんから」
「魔女……黒森の小屋に棲んでいた?」
「はい、そうなんです。今あなたが棲んでいる小屋に棲んでいたんですよ」
「……なるほど。リサのお師匠ですか」
私の住んでいる小屋の以前の住人……リサの師匠は、どうやらこのリュアネと顔なじみだったようだ。
おばあちゃんといいつつ、リュアネはリサの師匠よりも年上らしい。この大樹の樹齢を考えれば当然だろうか。
それよりも、このドリアード。私があの小屋に住んでいることすら把握済みだなんて。情報戦では完敗のようだ。
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