第118話 魔女は命を弄ぶ
ソファに仰向けに横たわるメイの、お腹の上に私は馬乗りになった。
「お嬢様、これは……いけません」
メイは珍しく、照れたように顔を背ける。私はぐいっとメイの顎に指をあてて、こちらを向かせた。
「何が駄目なんですか?」
「お腹に、お嬢様の体温が……」
「ふ~ん」
メイはどうでもいいことばかり気にしていて、自分がどれだけ不利な体勢になっているのか、いまいちわかっていないようだ。
私は杖を取り出して、メイの首元へと向ける。
一瞬、メイは身体を強張らせる。
杖先を相手に向けるということ……それは本来であれば、明確な攻撃のサインに他ならない。以前の世界で言うならば、銃口を向けている映画のワンシーンのようなものだろう。
メイがもし今まで誰かにそうされたのなら、すぐに相手を無力化すべく反射的に身体を動かしたに違いない。しかし、今は動こうとする身体を逆に抑えつけるように、自制して身体を硬直させている。
その動きを見て、私は少し満足する。
「ふふ……いい子ですね」
「お嬢様のすることであれば、何でも受け入れます」
「今の言葉、後悔することになりますよ、メイ」
にっこりと笑うと、私は杖をメイの首へ振る。
するとひとりでに赤い首輪が外れて、転がって床へと落ちていった。
「あっ……私の首輪が……」
目でそれを追っているメイは、大切なものを奪われたかのように、手を伸ばそうとしている。
私はそんなメイの手を、自分の脚の下へと敷き、自由を奪う。
「緊張感が無い。私が何をしようとしているか……まだわかっていないようですね」
私は懐に杖をしまう。
そして、そっと、両手を伸ばして、前かがみになって、メイのその白い首へと、手を添えた。
「お嬢様、まさか……!」
「ようやく、理解したようですね。事の重大さを」
「薬は……改良されているんですよね……?」
「さぁ、どうなんでしょう? どう思いますか?」
不安げなメイの表情。ぞくぞくする。
「前回は……解毒剤を隠し持っていましたが……私は今、何も持っていません」
「お嬢様、もしかしてもう理性を失って……っ⁉」
軽く、本当に軽く……メイの首を掴んだ手に力を込める。
「ねぇ、メイ? ……あなたの全てを、私に預けてくれますか? 私を……信じてくれますか?」
私は……本当に理性を失ってしまったのだろうか?
「っ……はいっ……お嬢様……私のすべては……あなたのものですわ……」
少し、息苦しそうに、メイは言葉を繋いだ。
顔は赤く染まっているが、それは照れているからではない。
「ふふっ……その言葉……忘れないように」
私は今までで一番強い背徳感と、そして興奮を覚えながら、無抵抗なメイの首を掴む手に、さらに力を込める。
蛇口から出る水の量を調節するみたいに、少しずつ、少しずつ力を加える。
「っ……ぐっ……」
苦しそうなうめき声。
「かっ……はっ……」
血液の供給と、呼吸が制限されていく。
でもまだ、呼吸はできている。
メイは身体をびくびくと動かしながらも、私を攻撃したりはしない。
一度少し、手を緩める。
「苦しそうな声、出ちゃってますよ、メイ」
「はぁっ……はぁ……お嬢様ぁ……」
軽く涙目になりながら、呼吸を整えるメイ。
「まだ終わりませんよ?」
「お許しを……」
「もう、やめて欲しいのですか?」
「……いえ。もっと……」
メイのその表情は……私の嗜虐心を煽る。
「っ……ほんと、最低。はしたない子ですね」
「申し、訳っ……ぅぐっ……」
きつく、でも軽く、奇妙な力加減で、私はメイの首を絞める。
メイはのけ反り、目だけで私の方を縋るように見る。
「かはっ……」
メイは身体をびくつかせ、反射的に暴れようとする自身の身体を、必死で抑え込んでいる。
手を動かさないように、ソファを強く掴み、脚を強く内股にして時折上げて浮かせて、じたばたさせている。
私は強く、弱くを繰り返し、決してメイの生命に危機が及ばないようにしながら、軽く締めることを何度も続けた。
「わかりますか? メイ。生殺与奪の権を握られている感覚……それを握っている、私だけが、今はメイの世界の全てなんですよね?」
それがメイが望む関わり方。前回、この子はそう言っていた。
「はいっ……お嬢様……ぅぐ」
メイは私の目から視線を逸らさない。その目に浮かぶのは、恍惚と、慈愛と、そしてスパイス程度の小さな恐怖。
苦しみ悶える身体。しかしそれは快楽を感じる時と、同じ反応にも思える。
メイの命という大切なガラス細工を、手のひらの上で弄んでいる。でもメイはそれを分かったうえで、拒絶しない。私が決してそれを落とすことまではしないと、信じているからだ。
すべてを奪わないと決めている私と、全て奪うつもりはないと私を信頼しているメイ。
その二人が瞳を通して理解し合って、無抵抗の人間の首を絞めることで通じ合う二人が完成する。
そんな二人の間には、お互い以外何も存在しない。言外の信頼だけが、世界……生きるということ、通じ合うことを完成させている。
「わかりますか? メイ。もっと感じてください。生を。私を」
少し強く。
滅多に表情を変えないメイの眉根が、苦悶に歪む。
「綺麗ですよ、メイ。とても綺麗です……」
「お……じょ……さっ……かはっ……」
絞り出すような声が愛おしい。バイオリンの音みたいに……本来不快なキーキー音になるはずのものが、心地いい音楽みたいに、心の底を撫でる。
「ふふふっ……!」
深い深い罪悪感が、こんなにも興奮を掻き立てるとは。
おぞましい笑みを浮かべているだろう自分の声を聞いて、悪魔でも憑りついているのかと思った。
そのことを意識すると、少しだけ、理性が戻った。
薬は正常に働いている。私はいつでも戻って来られるところにいる。
指にかかる力が緩む。
「……メイ?」
「けほっ……!」
メイは激しく咳き込んで、必死で呼吸を整える。
苦しそうに閉じた目の端から、涙がこぼれ、顔は耳まで赤く染まっている。
咳き込んで身体がくの字にまがり、上に乗っている私も揺れる。少し身体を浮かせて、メイが呼吸を整えやすいようにする。
「メイ? 大丈夫ですか? メイ!」
「はぁっ……はぁ……大丈夫っ…………です」
私は急いでメイを助け起こして、座らせた。
やばい、やり過ぎたかも?
薬の効果は少しずつ減ってきたようだ。
すると今まで興奮の燃料でしかなかった罪悪感が、ひしひしと正常な働きをして私の心を苦しめ始めた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、メイ。苦しかったですよね……? 私、なんてことを!」
未だ荒い呼吸を整えているメイの身体を、私は強く抱きしめた。
自分がやったというのに、苦しんでいるメイを見るのが耐えられなくて泣きそうになっている自分は、一体何を考えているのだろうか。
散々いたぶって、最後には優しく抱きしめるなんて。
この世で最も悪しき人間になってしまったかのようだ。
「お嬢様……これは私が望んだことです。苦しまないでください」
私を受け入れるように、メイも強く、私を抱きしめ返す。
「不思議な感覚です……今までの私なら、苦しんでいるときの方が、お嬢様を近くに感じていたはずです。でも……今はこうして抱き合っているこの時が、たまらなく愛おしく感じます」
「ごめんなさい……こんなことしたくなかったのに……」
「そんな寂しいこと言わないで下さい、お嬢様。私たちは確かに、繋がっていたじゃありませんか。そして今も、理解し合って、繋がっています」
「はい……こっちの方が、私はいいです……」
「ええ。今はこうして抱き合っているのが心地いいです。許されるのならば……これからも、こうして私を抱擁してくれますか? 私はそれだけで、愛を確かめられると知った気がします」
「これくらいなら、いくらでも。毎日だって!」
「はぁ……いい香り。ではこれから毎朝……二人っきりの挨拶で。私と抱擁してください、お嬢様。それが私の一日の、報酬になります」
「はい。これからもお願いしますね、メイ」
「もちろん、いい働きをした時は、今日のようにボーナスも、もらいますけど」
メイはそう言って、私の頬に軽くキスをした……
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