第117話 退屈


 ごくり、と性格反転薬バージョンⅡを飲み干す。


 やはり喉をカッと熱くするような感覚があったが、以前飲んだ時よりは幾分かマイルドな味だった。


 胃までその液体が届いた感覚と同時に、軽い高揚感が脳を支配する。


「……で」


 脳に浮かんだ言葉が、気軽に口へと出てくる。煩わしい理性が働かないとてもクリアな状態だ。


「何をして欲しいんでしたっけ、メイ?」


「お嬢様、素敵でございます。私めはお嬢様に尽くして参りました。ご褒美を頂きたいのです」


 メイは私のうんざりしたような口調にも関わらず、うっとりとした表情を浮かべる。


「褒美、ですか。いいでしょう。で、何で二回も言わされているのかさっぱりなんですけど……」


 まるで子供でも叱りつけるみたいに、私はもう一度尋ねた。


「一体、何を、して、欲しいんですか?」


「は、はい……申し訳ございません。私は……お嬢様に虐げていただきたく……椅子になるのでも叩かれるのでも構いませんが、高いところだけはご勘弁を」


「ふぅん……そうですか。じゃあ、勝手に四つん這いにでもなんでも、なればいいじゃないですか」


「はい……」


 メイは夢心地のような表情で床の上に四つん這いになって、私がソファから移動するのを待っている。


「ハァ……私に座れっていうんですか? 気持ち悪い……」


「も、申し訳ございません」


「つまらない。メイの上に座って、私が何か楽しいとでも思ってるの? メイが楽しいだけじゃないですか。そんなの退屈です」


「お嬢様……」


 悲しそうな顔をして、メイは顔を上げる。その顔……そうそう。そうじゃなくっちゃ。


 ただ、して欲しいことを言われた通りにするのなんて、お互い全く楽しくなんてない。


 ふと、思い浮かんだ、とんでもない考え。そういえば、リサがこの間した、あの行動。普段だったらおぞましいと感じるが、今の私は何の躊躇も感じない。


 靴を脱いで、足を外気にさらすと、ドレスの裾をたくし上げ……私は軽く足を組む。


「おっ……お嬢様……まさか」


 その仕草を見て、メイは少し驚いた表情を浮かべ、そして頬を一層赤らめる。


「私は何も言ってませんけど。何か想像したんですか? メイ」


「い、いえ……」


「嘘はいけませんよ、メイ。どういう権利があって、私に嘘を吐くんですか? 何を想像したのか、言ってみなさい」


「お嬢様の脚を……く、口に……」


「ふぅーん……いいですよ、じゃあやってみてください。あぁ待って、ちょっと……ふふ……そう、急がないでください」


 許可を出すや否や立ち上がってこちらへ近づこうとするメイに、私は思わず笑ってしまった。


「こらえ性のない犬ですね。ハァ……」


 わざとらしくため息を吐く。もちろん、嫌な気持ちになっている訳じゃない。そうやってため息を吐いて、メイの反応を見るのが心地いい。


 メイは膝立ちになって、その場で待てを食らっている。


「普通に考えてみて欲しいんですけど……それってすっごく惨めなことだと思いませんか? 人が、他人の脚を舐めるなんて。人間が人間にすることじゃ、ないですよね?」


「は、はい、おっしゃる通りでございます」


「じゃあ、あなたは何なの? メイ。舐めるんだったら自分が何者なのか、先に教えてください。一体何者だから、メイは私の脚を舐めようとしているんですか?」


 メイははっとしたような顔をして、そして息を荒げながら、何を言うべきか考えている。


 どうでもいい質問なのに、どう回答するかはメイにとって重要なことのようだ。


「私は……お嬢様のペットです。奴隷以下の存在で、お嬢様の虜になって……人間性を投げうってでも、飼っていただいている存在です……どうかお慈悲を、ご褒美を下さいませ……」


「えぇ? メイ、あなたって、ペットだったんですか。それは驚きました」


 ぞくぞく、と腰の辺りから何とも言えない感覚が上がってくる。


「それじゃあ……しょうがないですね?」


 すす、と片足を軽く、メイの方へと向ける。


 メイはおずおずと、こちらを上目づかいで見る。


 言わなくても伝わってくる。聞こえてくる。


 もう、よろしいでしょうか? というメイの心の声が。


 いや……本当にいいのだろうか?


 良心の呵責が、ほんの少しだけ顔を覗かせる。若干、効果が下がった性格反転薬は、やり過ぎないように改良されたものだからだ。


 だけど……これはメイが嫌がっていることではない。だから、やめる必要なんてないはずだ。


 私は奇妙な汗をかきながら、震えを隠して、メイの目を見て頷いた。


 メイは私に近づき、再び膝立ちになると、床に手をついて……


 ああ、やばい、本当にいいのかな、こんなことして……


 ……いいに決まってるでしょ。これって凄くいい気分。


 ぞく、ぞく、する。本当に。


 メイはゆっくり私の足を手に取って……


 その足の甲へと、軽く……口づけを、した。


 そのありえない光景を生まれて初めて見て、私は未知の感覚に襲われる。


 恋人の唇にしか触れないはずの、柔らかい大切な感触が、普段だったら絶対触れない、足の甲へと触れてしまった。


 なんて倒錯的なんだろうか。頭がくらくらして、興奮するような、倒れそうになるような……呼吸が荒くなる。


「……待て」


「は、はい……」


 メイは私の足から手を離そうともせず、顔を真っ赤にしてこちらを見た。


「な、何してるか……わかってるの? 汚いでしょ?」


「いえ、お嬢様のお身体に、汚い部分などございません」


 メイは何のためらいもなく、はっきりとそう言って目を細める。


「っ……馬鹿じゃないんですか、メイ……」


「いいえ、何もおかしなことは言っておりません」


「おかしなことを言っています、メイ。私が……汚いと言ったのは……」


 ああ、歯止めが効かない。これって本当に、効果が前回より軽くなっているのだろうか?


「私の脚が汚れたって言っているんですよ、メイ。あなたの唾液でね。どうしてくれるの?」


「あぁっ……も、申し訳ございません」


 謝る気などないような、期待したような表情。私は罰を与えたいのに、メイが嬉しそうにするのは何だか癪だ。


「ねえメイ、私は怒っているんですけど。何を嬉しそうな顔をしているんですか?」


 できるだけ怒気を込めて、私はそう言う。


「こっちへ来なさい、ほら、横になって」


 私はソファから立ち上がると、メイをソファの上に仰向けに寝かせた。


「一体何を……?」


 本当に何をするのかわらないからか、メイは少し不安げだ。そうそう、それでいいんですよ。ちょっとは私を怖がってもらわないとね。

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