第112話 全然わかってないから


「やだっ……やめてよ!」


 想像の何倍もうろたえたシャルロッテが、絶望したような顔で私を見て、必死で私の手から首輪を奪い返そうとする。


「返して! 私のよ、返してよ!」


「ちょっ、落ち着いて、話を聞いてください!」


「やだぁっ! 返してよぉ!」


 気づけばシャルロッテは私を押し倒すように抱き着いて、足がもつれた私は倒れ、シャルロッテも一緒にその上からのしかかってくる。


「痛っ! ちょっ、危ないですから!」


 片手に首輪、片手に杖を持っている私は、何とか尻もちをついて頭を打たないように倒れこんだ。地面が柔らかい芝で助かった。しかし両手を使えない私は、シャルロッテにいいようにされてしまう。


 何とか膝で防ぐようにシャルロッテがそれ以上近づけないようにするが、シャルロッテは体重をかけて手に持った首輪を奪おうとする。まるでそれしか見えていないかのようだ。


「返してって言ってるじゃない!」


「話を聞いてってば!」


 私が両手を上げて首輪をシャルロッテから遠ざけていると、シャルロッテはそれに届かず、一瞬手を止める。


「このっ……!」


「あぁっ⁉」


 シャルロッテは私の脇に手を当てて、強くくすぐりはじめた。策士だ……そうすれば私はほとんど反射的に私は脇を締めて、手を下ろしてしまう。


「んひゃっ! ……やめっ、やめなさいシャルロッテ!」


「このっ、このこのっ、返して、返しなさいマリー!」


「あはははは! やめっ、くすぐったいから!」


「このぉっ!」


 やっぱり抵抗できずに、私は手を下ろしてしまう。するとシャルロッテは首輪をひったくって、ようやくくすぐりをやめて起き上がった。


 私は身体を縮こませるようにしながら、しばしその場に転がってビクビクと悶絶していた。


「ひーっ……」


 メイからこの攻撃を教わったのだろうか。以前に一度この攻撃をされたことがある気がする。なんて教育に悪いメイドだ。実際結構拷問に近いので、この方法はあまり人に使うべきじゃない。


「フンっ。ア、アンタが悪いのよ。私の……大事な物を奪おうとするから」


「ちょっと外しただけじゃないですか……」


「アンタ全然わかってないのね。私のこと」


「……わかってますよ」


 私は芝の上で、呼吸を整えながら大の字になってそう答えた。


 この小さな白い花は何て言う名前なのだろうか。多分、大事にもされない雑草だろうが、朝日に輝いて妙に神秘的に見える。


 シャルロッテは私の隣に座った。手に持った首輪をじっと見つめている。


「わかってたらこんなことしないわよ」


「私は……シャルロッテに選んでここにいて欲しいんですよ。奴隷とかそういうことじゃなくて、自由なシャルロッテが、自分で決めてここにいて欲しいんです」


「嫌よ」


「何で、嫌なんですか?」


「アリシアが……出てったらアンタ止めるでしょ。それは……自由とかじゃないじゃない。ここにいて欲しいって、アンタはアリシアに、そう言うじゃない」


 それは、事実だ。私は……正直縋りついてでもアリシアを止めてしまうかもしれない。


「でもアンタは……私には自由だって言う。私は……どこへ行っても構いやしないのよ。ねぇ、私はついでなのよ、結局。アリシアのために、マリーは私を助けた。ただそれだけで、ここにいる意味も理由も、私にはないじゃない。私には……何も残ってないじゃない」


 思えば、シャルロッテのことを何も知らないまま、私はシャルロッテを助け出した。その時、私が考えていたのは確かにアリシアのことだけだ。


 だってシャルロッテがどういう人間なのか、少しも知らなかったのだから。今思えば無謀なことをしたものだ。そしてそれゆえに、シャルロッテの気持ちなんて全く考えていなかったのも事実だ。


 助ける前も、助け出したその後も。


 そう考えれば、勝手に助けておいてその後、あなたは自由だ、なんて言ってしまうことは……結構無責任で残酷なことなのかもしれない。


「ここにいて欲しいって言ってよ……出て行かないでって……大事だからここに居て欲しいって……そう言ってよ。私は必要とされたいの。自由だけどここにいるなら守ってあげるだなんて、そんなの、そんなの悲しいよ」


「シャルロッテ、あなたは今までそんな風に……私の言葉を受け取っていたんですね」


 私がずっと言ってきた守るという言葉でさえ、シャルロッテの中では少し、引っかかる言葉だったのかもしれない。


 居場所、とは何なのだろうか。


 自分が居たいと思える場所のことだと思っていた。しかし、もしかすると、誰かがここにいて欲しいって言ってくれる場所が……その人の居場所になるのだろうか。


 私はシャルロッテにも、そばにいて欲しいと思っている。だって、もう他人じゃないから。


「ちょっと待っていてください」


 私は立ち上がって、その茎の長い小さな白い花をいくつも摘んだ。


 そうして座り込んで、作業を始める。とても簡単で単調な作業だ。そんなことをしていると、頭がクリアになって、思った通りに言葉が出てくる気がする。

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