第109話 いつも通りの朝食


 頬杖をついている。朝の光がテーブルに反射しているのを、ぼーっと見ている。


「お嬢様……お嬢様?」


「あぇ? あぁ、メイ、どうしたの?」


「あまり好みの味付けではありませんでしたでしょうか?」


「ううん! そんなことありません。とてもおいしいですよ、メイ」


「さようでございますか。それならいいのですが……」


 パン一つでもいいというのに、とろとろの卵料理と控え目なサラダ。


 メイが来てからというもの、美味しくない料理を口にする日など一度もなかった。そんなおいしい朝食の最中、途中で物思いに耽るなど失礼というものだ。


「……本当です。いつも美味しい料理をありがとうございます。メイは、王城でも料理を?」


「勿体ないお言葉。あちらでは専属の料理人がおりましたので。ここに来るまでアリシア様にすら、料理を振舞う機会は多くありませんでした」


「それにしては美味しすぎますね」


「っ……もう、天然たらしが発動しすぎですわ、お嬢様……何か悩んでおいでで?」


「ど、どうしたの? 藪から棒に」


「みんな気づいておりますよ。魔女様同士の集会の日から心ここにあらずで。何かに奪われたかのようです」


「奪われた……へ、変な事言いますね」


「お子ちゃまたちはまだ起きてきません。ご相談なら、今受け付けておりますよ」


 そう言って、メイは正面の椅子に腰かけた。


 かしこまったメイがそんな風に振舞うのは、あえてのことだろう。私がラフに話をしやすいようにと、わざとそうして雑に振舞ってくれているのかもしれない。


 おそらく、もうちょっと後にシャルロッテが起きてくる。そしてもっとずっと後に、ねぼすけのアリシア姫がご起床なさる。


 それまでの間は私とメイの二人きりであり、朝食の間ぼんやりしてしまうこともあるほどに、私はリラックスしている。


「集会の日の記憶が無くて……失礼なことをしませんでしたか?」


「失礼だなんてとんでもない。あの日お嬢様は全員の心を一つずつ奪っていきました。だというのにご自身がそんな風に空虚な表情を浮かべているのが不思議でなりません」


「はぁ……聞くのが恐ろしい……」


 記憶があるのは、ダンジョンを作ろうなんて心踊る話をしていた頃までだろうか。本来その計画を、みんなの手を借りながら進めたかったのだが、まるで身が入らない。


 その後何かをしでかしたことだけはよくよくわかる。だって全員の私と接するときの態度が、あまりにぎくしゃくしているから。


 そもそもアリシアとはあの朝のこともあるし。私の方が恥ずかしくて気まずい。


 風呂でもないのに素っ裸を見られて、綺麗とか、可愛いとか……年下のアリシアに言われて……


「うぎゃぁぁぁ」


 思い出すだけで悶える。


「奇声もお美しいですわ、お嬢様」


「何言ってるんですか、ほんと……」


 とにかく普段通りなのはメイくらいだ。だからこそ相談はしやすい。


「私は……メイにも何か?」


「私は普段通り、椅子としての使命を全うしたまでですわ」


「あっそう……その話はあまり深く聞かなくて良さそうで安心しました」


 いや、みんなの前でメイに座ったのなら、それ自体なかなかの話なのだが。


「私の心情であれば、開け広げに披露して差し上げるのですが。お嬢様の柔らかく、それでいてどこか張りのあるような可愛らしい臀部でんぶが、私の背骨をしならせるかのように心地いい負荷を与えた瞬間、私めは思わずのけ反るようにして……」


「き、聞いてませんから!」


「それは残念。何でもお聞きください」


「リサのことなんだけど。私、何か話をしていたの聞いていない?」


「ふむ。リサさんですか。意外にも、お酒を飲まれてからは、お二人はあまり長くお話をしていませんでした。だからこそ印象に残っています」


「私、何か変なことを?」


「いえ……お嬢様はリサ様に、お二人が付き合っていたかどうか尋ねました。すると、リサさんはそれを否定しました」


「ああ、やっぱりそういう話をしていたんですね」


「その後、リサさんは『そんな未来もあったのだろうか』というようなことを呟き……」


「うわ、嫌な予感」


「……お嬢様はそれに頷きました。なかなかに……残酷なご返答だったかと」


「うわあぁ……最低だあぁ……」


 思わず頭を抱えた。


 そうしてようやく理解した。リサに寝室で吐いた嘘は、完全に正解を知られた上で、嘘をつくかどうか試されていたのだと。


 その上で、私はどうやら最悪の返事を選んでしまったらしい。


 そんな未来もあったかもしれないと思ったうえで、そんなこと絶対ありえない、お前なんか好きじゃない、と無理してリサに嘘を吐いたのだから。


「そういうことかぁぁ……」


「私と他に……アリシアお嬢様は聞いておいでだったかと。ラピスさんは自分の世界に入っていて、シャルロッテ様はお嬢様に心の奥深くまで入り込まれた影響で、自室に戻っていらっしゃいました」


「いや……待って、私シャルロッテに何したの……」


 シャルロッテの様子も、あからさまにおかしい。それとなく避けられているし、ほとんど口をきいてくれない気がする。


「それは……」


 メイが答えようとした時、”集合住宅”の扉が、がちゃっと開いた。


 噂をすれば影が差す……シャルロッテが起きてきたようだった。目をこすりながら、無防備な下着姿で居間に出てきた。


「ふわぁ~……はよ」


「おはようございます、シャルロッテ」


「わ、何よアンタたち。変な話してたんでしょ」


「ま、まさかそんな」


 メイと私が向かい合って話をしているなんて、珍しい光景だったのだろう。シャルロッテは少し離れた椅子に腰かけながら、怪訝な顔でこちらを見る。


「フッ……朝食を用意いたします。まあ、のがよろしいかと」


 メイはそう言って席を立ちながら、私に軽くウインクした。


 今の言葉は、シャルロッテに言っているようで、私への返答でもあるのだろう。シャルロッテに何をしてしまったのか聞きたければ、直接聞けばいい、と。


 メイは炊事場へと向かう。私たちは同じ屋根の下に住んでいるが、独立した個別の部屋を持っている絶妙な距離感だ。家族程は近くなくて、友人よりはあまりに近い。


 朝食はバラバラに取るし、昼食や夕食はほとんどの場合、一緒に食べる。 


「あの、シャルロッテ」


「なっ、何? 何よ? 何なのよ⁉」


「えっ⁉ いえ、別にそんな、大したことじゃないのですが」


 声を掛けただけでこの反応。ごく自然に会話しようとしたはずなんだけど、思わずこっちまでどぎまぎしてしまう。


「そ、そうなの? な、何よ。ど、どうせ大したことじゃないんでしょうけど!」


「は、はい。大したことじゃないんです」


「は、早く言いなさいよ! なんなのよ!」


「ご、ごめんなさい……」


「怒ってないわよ、別に。怒ってなんかないんだから。私……」


 どう見ても怒ってるんですけど……いやいや、落ち着け、私。


 ここで話すよりは、二人きりで話せる場所があった方がいいかもしれない。メイもいるし、アリシアもいつ起きて来るかはわからない。


 それなら、少し外にでも出るとしよう。


「えーと、ご飯が済んだら、一緒に散歩でもしませんか?」


「私と? アンタが? 二人で?」


「え、はい。駄目ですか?」


「やっ、駄目じゃ、ないけど、ふ、二人っきり? で?」


 割と嫌そうに見えるんだけど……でもその原因を聞かなくてはどうにもならない。ここで引き下がるわけにはいかない。


「ええ、二人で話したいことがあるんです」


「そ、そうなの⁉ じ、じゃあ、い、行くわ。行きましょう⁉」


「あ、あのっ! ご飯食べてからでいいですよ⁉」


 ガタッ、と席を立ったシャルロッテにそう言うと、シャルロッテは顔を真っ赤にして目を背け、ゆっくり椅子に腰かけた。


 そのまま、気まずい沈黙……気が重くなってきた。


 シャルロッテが朝食を食べ終わるまで、私はどう話すべきか考えながら、静かに待っていた。

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