第108話 下手な嘘


「あの……リサ……?」


「わかってるでしょ? 本気よ。アンタだって薄々気づいていたはずよ。それなのに気づかないフリしてきた。そうでしょ?」


「だってリサは、すぐそうやってからかうから……」


「からかってなんか無いわ。気づいてたんでしょう? 普通わかるわよね。住むところを用意して、衣服や生活用具、魔法道具まで調達して、仕事まで与えて、こうやって匿って……好きでもない人間に、慈善家でもない私が、どうしてそこまでしてやったと思ってるの?」


 それは……事実だ。時に怖くなるほどに、リサは私のために全てを整えてくれたのだ。


「そ、それは感謝してますが……あの、本当、耳、近くて……」


 全部の言葉が、吐息と共に吹きかかってくる。言いたいことはわかるが、平常心で話などできない。


「ダーメ、離さない。ねぇ……私、鳥かごに入れたつもりだったのよ、アンタのこと」


「鳥かご……?」


「アンタは休息を必要としてた。だから、誰にも知られないところで私が匿って、少し人と関われるようになったらその時……アンタは私の隣に戻って来るはずだった。それで、魔法店を一緒に営むのもいいわね」


「リサ……本当にそんなことを……っ!」


 リサはそんな空想の世界にいざなうように耳に息を吹きかける。リサにしてはあまりに、夢見じみた話だ。


「お店のカウンターにアンタが座ってて、私が後ろから声を掛けると、アンタが笑顔で振り向いてくれる……頭を撫でたら少し照れながらも嬉しそうにして、軽く抱き合って頬にキスする。そこで店番を交代して……アンタは私のために料理を作るの。ねぇ……そうでしょ? 私は……どこで間違ってしまったの?」


 妙に具体的なその想像が、切なくかすれるような声で囁かれる。それが何より、リサが実際に普段からそんな暮らしを想像していたことの証左だった。耳から吹き込まれると、私の脳内にも思わず光景が思い浮かんでしまう。


 そしてそれは……あまり悪くない、あり得た未来だったのかもしれない。


「ねぇ、マリー。正直に答えて」


「何……?」


「そんな未来も、あり得たはずよね? そうでしょ? 私たち、付き合っていてもおかしくなかったわよね……?」


 リサには感謝している。そんな未来も、あり得たかもしれない。


 もし……アリシアが私の前に現れなかったのなら。


 でも実際にはアリシアが私の傍にいて、私はアリシアの笑顔が頭をよぎるとそれを絶対に裏切れない。


 だから……リサには……私を嫌ってもらわなきゃいけない。


 私は……嘘を吐いた。


「あ、あり得ません。そんなの。私は……リサのことなんて、そ、そんなに好きじゃないです。感謝はしてるし、いつか恩返しします。でも、でもリサのことなんて……その……あ、あんまり、好きじゃないです」


 耳にかかっていた吐息が、止まった気がした。


「……もう一度、聞くわ」


「え? な、なんですか?」


「ねぇマリー。『私たちが付き合っていた……そんな未来も、あったのかしら』ね? どう思う?」


 どうして二回も言わせるんだろう。言ってる方も結構辛いのに。


 お腹に溜まった豪華な食事を、無理やり吐き出すみたいに、私はもう一度、苦しみながら否定した。


「そんな未来……は……………ありえませ……ん……」


 たったほんの一言発するだけで、息切れしそうになる。


 リサを嫌いなわけじゃない。だから傷つけたくなんてない。


 やっと何とか、それでもどうにか、私にしては頑張って、言い放った。


 なのに返ってきた反応は、予想していたものと全然違った。


「……ふ」


「リサ……?」


「ふっ……ふふふっ……あはははは!」


 リサは口を耳から離して、お腹を抱えて笑った。


 その反応は異常だった。私は寒気を感じる。何かがおかしい。


「ねぇマリー……私、アンタのこと許さない」


 私の知らない何かを、リサは知っているかのような。


「あ、謝ります。失礼なことを言ってるのはわかってるし、感謝してるから……」


「いいえ、違うわ。マリー。私がアンタに怒ってるのは、私の厚意をアンタが裏切ったからじゃない。たった今、絶対に吐いちゃいけない場面で、私に嘘を吐いたからよ」


「う、嘘だなんて、そんな」


「ねぇマリー……こっちを……向いて」


 思わず横を向くと、リサは……


 泣きそうな顔で私の方を見た。


 見たことない表情に、思わず息が止まった。


「あ、私……」


 リサは弱みを見せたがらない。だからこんな表情、滅多にしない。


 例えば……私以外の人の前では、絶対にしない。


「覚えてないかもしれないけど、アンタ昨日は……昨日はね……?」


「私……あのっ……!」


 記憶はない、でも、もしかして。


 ぞわっと鳥肌が立つ。


 酔った私は何かすごく余計なことを、リサに言ったのかもしれない。


「もういいわ、マリー。もういい」


 リサはそう言うと、ベッドから出て、その表情とは裏腹にてきぱきとドレスを着る。


「待って、リサ、違うんです。話を聞いて。私はただ……知らなくて」


「十分よ、マリー。私はもう、十分傷ついたわ。だからもう、今日は、やめにしましょう」


 リサは着替え終わると、すたすたと寝室の扉へと歩く。


 私は一糸まとわぬ姿だというのに、迷わずベッドから飛び出し、リサを止めようと追いかけた。


 思わず手を取って、リサを引き留める。


「リサ、このまま行かないで下さい。ちゃんと話そう?」


 するとリサは、掴んだ手を逆に掴み返して引っ張って、私に乱暴に口づけをした。


 驚いたけど……今は、どうしても、抵抗できなかった。


 頬に両手を添えられて、逃げないようにと、深く口づけされる。


「ん…………んぅっ!」


 ハッと我に返って、何とか抵抗する。


「ぷは……」


「私はアリシアちゃんにはなれない。だから……私なりのやり方で行くわ」


「な、何を……」


「アンタの身体は……拒否してないみたいよ、マリー」


「身体とか、何言って……わっ!」


 私は思わず下を見て、素早く胸と下半身を隠すようにしゃがみ込んだ。


「ふふっ……だから、これからも大人のやり方でいくわ。アリシアちゃんには絶対に出来ないような、ね?」


「リサ、駄目です。話し合いを……」


 リサは強がっている。私にはそう思えた。


 でもリサはそれ以上の会話を拒否して、部屋から出て行ってしまった。




 一人寝室に残されて、私は身震いした。


 朝の空気は、何も着ていない肌に直に触れるには、少し冷たすぎた。

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