第99話 相棒くん


「おぉ、相棒、元気だったか~!」


 ネーナは小屋の外でお座りしていたワイバーンに駆け寄った。鎧を装備し直して、元通りの出で立ちだ。


 メイの料理で腹ごしらえも済んで、後は帰ってもらうだけなので一応私だけ見送りに出ることにしたのだった。


 ワイバーンは目を覚ましていたが、ネーナが小屋にいることを理解していたのか静かにお座り……いや、伏せ? をして待っていた。


 相棒くんはネーナに下あごを撫でられて目を閉じて心地よさそうな表情を浮かべている。


「しかし……間近で見るとやはり大きいですね。私も触ってみても?」


「いいぞ、マリー姫。撫でてやってくれ」


「何なんですかその姫ってのは……」


 姫とかそういうワードは色々と避けたいところだったが、この人はこの世界版のドン・キホーテみたいなものなのだろうか。そんなのが王国軍で採用されているとは。今の王国は……大丈夫なのだろうか。


 そんなことを考えながら私が近づこうとすると、ワイバーンはさらに姿勢を低くして地面に張り付くように頭を下げ、私を睨みつけた。


 ごろろろ、と遠雷のような音が喉から響いている。


「あれ……」


「おいおい、相棒。いつかお前が乗せる相手だぞ……?」


 相棒くんは明らかに私を警戒して、威嚇していた。


 試しにとメイが近づいてみると、そちらは特に警戒していなかった。メイは難なく近づいて、ネーナと同じようにワイバーンを軽く撫でたが、ワイバーンは心地よさそうにメイの手に頬を擦りつけていた。


 その隙に私が再び近づこうとすると、ワイバーンは再び警戒態勢に入った。


 どうしても私のことが気に入らないらしい。


「なぜ……って、心当たりはまあ、あるんですけど……」


 木々で縛りつけて動きを封じ、最後には眠り薬で眠らせたのだ。嫌いにもなるだろう。しかしこうして露骨に他の人への対応と差を見せつけられると、寂しい気持ちになる。


「はっはっは! 相棒。お前も姫に手ひどくやられたようだな。まぁ許してやってくれ。ワイバーンは気高い魔物だ。膝をつかせられるなんてことをされたら、プライドに大きな傷がついてしまうんだ」


「そうだったんですね。申し訳ないことをしました……」


 木々に縛られてなお暴れようとしたので、強く締め付けてしまった。その時は象の声のような悲鳴を上げていた。しかし暴れさせておくわけにもいかなかったので仕方ない。


「これも一つの経験だ、相棒。私もお前も、世界が思ったより少し広いと知ったな」


 ネーナはワイバーンを諭すように撫でると、私の方へ歩いて来た。メイはすっかり慣れた様子でワイバーンを撫で続け、懐かせていた。


「よぉーしよしよしよしよし」


「羨ましい……」


「色々と世話をかけたな。妙なことを言うが、ここは居心地がいい場所だ」


「黒森は人里と離れていますから……そういう意味でしょうか?」


 王国の騎士に、あまり居心地の良さを感じては欲しくない。できるだけ早く、飛び去ってもらいたいのが本音だ。


「いや、違うんだ。姫……などと、呼ぶのは気分が悪いだろうか?」


「はっきり言って……妙な心地です。私は魔女ですから」


「ああ。すまない。君が……ある人に似ていてな。他人を重ねられるのはいい気分じゃないだろう。やめにするよ」


「ある人……?」


「白百合姫……リリア王女だ。知っているだろう? 悲しい出来事があって、もういない」


「はい。噂程度は……」


 まさかその名前を、こんなところで聞くとは思っていなかった。まあ、王女なのだから、誰にでも知られていると言えばその通りなのだが。


「新米の頃、励まされてな。死ぬのが怖かったが……この人のためならば命を賭けられると思った。彼女はそんなこと望まないだろうが……しかし覚悟を決めてからは、相棒ともうまくいって、それなりに強くなれた」


「優しい人だと聞いています」


 アリシアの姉で、心優しく、王国の平和のために尽力したにも関わらず、非業の死を遂げてしまったリリア王女。話でしか知らないが、それでも私はきっといい人だったのだろうと、そう思っていた。


「君は似ている。顔も微かに、何より雰囲気が。包み込まれるような空気感を感じたのは、彼女以来だ」


「……そんなに似てますか……」


 そもそも今のところ、私はネーナを追い出すことしか考えていないというのに。


 それでもいい思い出のあるリリア王女に似ているというくらいだから、よっぽど似ていたのだろう。アリシアは思い入れが強くて私に必要以上に重ねていたのかと思っていたが、軽く関わっただけのネーナが言うくらい似ているとは思わなかった。


「……忘れてくれ。他人を重ねられることは、気分がいいものではないだろう。マリー殿はマリー殿だ。貴女の人格を否定するつもりはない。気を悪くしたなら謝る」


「いえ……気にしないでください」


 悪い気はしていない。そのおかげで私はアリシアと、長く付き合うことになったのだから。


「たった一人……リリア王女と重ねて見られることだけは、まあ私、そんなに悪い気はしないんです。そのおかげで、いいこともありましたから。だから、大丈夫ですよ」


「……そうか! よかった。安心した。それじゃあ……行くが。また来てもいいだろうか……?」


「あー……そうですね……どうしましょう」


 ここに突然来られるのは困る。しかし、無下に扱って、王国で私のことを話されたりしても厄介だ。ここはひとつ交渉するとしよう。


「白森の街の結界を修正しますから、そっちへ着いたら呼んでください。ここへ来るのはやめてほしいです。森が……えーと、ほら。ワイバーンが来ると、森が、不安がりますから」


 なんだ、森が不安がるって……我ながら苦しい言い訳だ。


「何と……! 木々の不安までおもばかっていたとは。なんと心優しい……!」


 いや、違うって。森は森でしょ。ただそれで納得してくれるならいいか、別に。


「その代わり……私のことは秘密にしていただきたいんです。王国の誰にも。静かに……暮らしたいので」


「秘密……! 何と甘美な響きか……魔女が従者だけを連れ、深き森で静かに暮らす……ああ、もちろんだ。平穏を乱さぬと約束しよう! そしていつか来る限られし逢瀬を……大事にするとしよう」


 実際にはそんな静かなものではなく、アリシアとシャルロッテが住んでいる上に、ラピスは気軽に訪ねてくるし、白森の街で店員をさせられたりもする、賑やかな生活になってしまっている。


「君はとても神秘的だ。強く惹かれる……いつかきっと、幸せにすると約束しよう」


 否定すべき言葉が多すぎてそろそろ白目を剥いて倒れそうだったが、ネーナは勝手に納得して相棒の元へと戻り、鞍へと跨った。


 ネーナが手綱を引くと、ワイバーンは素直に従い、ズシン、ズシンと地面に振動を響かせながら進んだ。


「さらばだ、また会おう!」


「ええ。お気をつけて」


 手を振る私と隣でお辞儀をするメイを一瞥すると、ネーナは手綱を軽く引いた。


 ワイバーンは大きな羽根で空気を打ち付けて、ゆっくりと上昇していく。風が強く吹き、思わず帽子を押さえた。


「はぁ……やっと終わった。口止めの約束も取り付けましたし、大丈夫ですよね?」


 小さくなっていくワイバーンの影を見守りながら、私はメイに尋ねた。


「ええ。しかし……色仕掛けで篭絡ろうらくするのは、ほどほどになさった方がよろしいかと。お嬢様からすれば気軽に使える手でしょうが、後々修羅場がやってきますよ」


「色仕掛けなんてしてないんですけど……何で私が怒られてるんですか?」


 不満を述べながら、私は小屋へと戻った。


 そしてすぐに、アリシアとシャルロッテにもう安全だと告げ、居間へと呼び戻した。


「はぁーあ。残念です……」


 ようやく片付いたというのに、アリシアは不満そうにして頬を膨らませていた。


「ん……どうして。アリシアを探しに来たんじゃなくて、よかったじゃないですか」


「だって、ワイバーンがすぐそばにいたんでしょう? 私も触ってみたかったです。メイは撫でたんでしょう? そんなのって、ずるいです」


「それは確かに……残念でしたね……残念だったんですよ……」


 しかし確かに、訓練されたワイバーンと出会う機会などそうそうない。私だって触れてみたかったが、嫌われてしまった。


 それにしてもアリシアも呑気なものだ。これでも結構、色々苦労して帰ってもらったのに。結界もこれから修正しないといけない。



 また来ると言っていたし、次に会うときには、相棒くんの警戒も解けているといいんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る