第96話 竜騎士
風を切って進む。髪がなびき、帽子が飛びそうになるのを押さえる。
そうして黒森と白森の境界線を過ぎたあたりで……正面からの影に気づいた。
空中を、高速で飛行する者同士がすれ違う時……
視認してからすれ違うまでは一瞬だ。
ゴォン、と突風が吹き抜け、私は周りの気流を著しく乱されて、とにかく箒から振り落とされないように必死で捕まった。
「ドラゴン⁉」
違う。ワイバーンだ。一瞬しか見えなかったが、お互い最高速度で私と正面衝突しそうになったその大きな影は、ワイバーンに見えた。
街の近くで撃退したサザンワイバーンより大きく、腹まで真っ黒の体表は、まさに空を駆ける黒い影だった。
弱っていたあのサザンワイバーンとはまるで違い、風を逃がすことなく滑空していた。
そして何より違ったのは……
「竜騎士……!」
私は箒の先頭をくるりと転回させた。一瞬でUターンする。
既に小さくなるほど遠ざかったワイバーンの背中には鞍が乗っていて、人を一人乗せていた。そして乗っている人物は鎧、そして自身の身長ほどもある大槍で武装しているように見える。おそらく、王国の竜騎士だ。
私は迷わず竜騎士の方へと進み、何とか追い付こうと、箒を飛ばす。
「街が壊されている様子は無い……し、結界は壊れていないみたいだ」
私が白森の街に張った対空結界は、2メートル以上の飛行生物の直接的な侵入を禁止するものだ。
つまり竜騎士はそもそも、白森の街に入ることはできなかったはずだ。他の竜騎士が飛んでいる気配もない。そして何より、今明らかに、私の小屋がある方向に向かって猛スピードで飛んでいる。
街に危機があったわけじゃなく、私達の危機をアルトンが知らせてくれたのかもしれない。とにかく、その竜騎士を呼び止める必要があった。
私が速度を上げると、なんとかワイバーンとの距離は縮まった。
「あのっ! 止まってください!」
声が風で掻き消える。
まだこの風を切る音を乗り越えて、声が届く距離ではないようだ。
「とまって……止まって! 話を聞きたいんです!」
引きこもりの弊害だ……声はまるで届かない。
「あの……ちょっと! 止まれって言ってんでしょ! ばか!」
振り向いてさえもらえれば、はっきりとこっちに気づいてもらえる距離まで来たというのに、声がどうしても届かない。
全部風に流されて、後ろへ行ってしまう。
そうこうしているうちに、小屋が近づいてきて、ワイバーンは降下を始めてしまった。
「あぁっ……駄目なのに!」
ワイバーンは勢いよく頭を下にして斜めに地面へと進む。
そうしてほとんど地面に滑り込むように着地した。
小屋の前の、大きなワイバーンが着地するにはぎりぎりの大きさの木々が無い場所……私とシャルロッテが決闘をしたあの場所に、降下した。
「待ちなさい!」
私もそれを追いかけ、ほとんど頭から突っ込むような勢いで着地した。
地面に着く直前に箒から飛び降りて、空中で浮遊する。
懐から杖を取り出し、竜騎士へと向ける。
「えっ……」
いない。既にワイバーンの背には鞍があるのみで、竜騎士の姿がどこにもなかった。
私は疑問に思いつつも、木々を操って、いくつもの太い幹でワイバーンの首や羽根、脚の根元を縛り上げる。
ワイバーンは痛々しい咆哮を上げる。その力は凄まじいが、動作部の根元さえ押さえてしまえば身動きを取ることはできない。ドラゴンと違って、炎も吐けない。こっちは無力化した。
竜騎士の方は……?
「上!」
一瞬、差した影で気づく。
咄嗟に見上げると、槍を構えて私の上空から、地面に串刺しにしようと竜騎士が降りかかってきていた。
着地の瞬間に高く跳躍して、こちらに飛び掛かったのか……!
「くっ……!」
手を上に伸ばし、魔力の単純な防壁を身体の周りに球状に展開する。
全体重を乗せた竜騎士の一撃は、防壁ごと私を地面の方へと叩きつける。
ギィン! と強く金属同士がぶつかり合うような音が響く。
「重い……!」
百戦錬磨の一撃だ。咄嗟の防壁で崩すには強すぎた。
防壁が砕け散り、私は地面に叩きつけられる。私の上に馬乗りになったその竜騎士が、振り下ろしていた槍が、防壁で軌道を逸らされて私の顔の横ギリギリの地面に突き立てられた。
「まだ終わっていません!」
アリシアが小屋にいる。みんないる。ここで倒さないと。
この至近距離、大きな槍よりも、私の魔法の方が発生が速い。
「む……しまった。あなたが白魔女様か」
その声は女性のものだった。
突然、竜騎士は戦闘態勢を解いた。
そして槍から手を離すと、銀のきらめく鎧の兜を外した。
薄桃色の髪が、窮屈な場所から解放されたように軽く広がった。後ろ側にアップでまとめられている。が、頬に張り付くサイドの髪を振り払うように、女性は軽く首を振った。
「失礼した。私は第十二竜騎空挺部隊所属、ネーナ・シュトルフだ。君は……君は何と……っ!」
「……え?」
「……可憐だ……」
ネーナと名乗ったその女性は、ぽっと頬を染めた。凛としてきりっとした目鼻立ちをしていて、まさに女騎士といった出で立ちだった。
「姫……?」
「あの……っ」
とりあえず、重い。鎧を身に着けていて、全体重をかけられているわけでもないみたいだが、それでも呼吸するのもやっとだ。一刻も早くどいて欲しい。
「ああ、すまない、いまど」
バチン!
突然眩しい閃光が視界を覆って、私は思わず首を横に向けて顔を逸らした。
「ひっ……」
「…………な……ん……」
ガシャン!
大きな鎧の音を立てて、ネーナと名乗った女性は私の身体に馬乗りになった体勢から、綺麗に後ろにぶっ倒れてしまった。
「お姉さま! 大丈夫ですか!」
「アリシア⁉」
小屋の玄関から飛び出したらしいアリシアが、メイから止められてはいたものの、剣をしっかりとこちらへ向けていた。
剣の周りにはバチバチと電流が弾けており……
隣のシャルロッテでさえも、驚愕の表情でアリシアのその行いを見ていた。
私は体を起こして、もう一度、ネーナの方を見る。
「うぅん……」
ネーナは大の字になって、気を失っていた。
「やっちゃった……」
どうやら話し合えそうだ思った瞬間に、容赦ない愛弟子の雷がネーナを襲ってしまった。
首元にはしっかりとネックレスをしているが、私ともみ合っているところを、ネーナにだけ正確に狙い撃つとは恐れ入った。
しかし、相手は王国所属のれっきとした騎士だ……
「う、埋める……? いやいや……さすがに……」
どうすべきかさっぱりわからない私の元に、アリシア達三人が駆け寄ってきた……
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