第二部 第四章 追い出したり追い出されたり
第70話 ただ乗り
私はアリシアを見送ると、箒を持って小屋の外に出た。
しかしすぐに遠くへと飛び立つわけではなく、小屋の屋根の上あたりで、眼下をじっくりと観察した。
「あー……やっぱりここだ」
小屋の屋根は平坦ではなかったが、その隅に手のひらサイズの極小の魔法陣が三つ描かれているのを発見した。おそらくラピスが描いたものだろう。
シャルロッテを救出するために描いたものは、大きな円形の中心に人が立って発動するもので、ごく一般的な魔法陣だ。しかし結界の時のように広い範囲を覆うものや、隠密性が必要な時には、このように極小の魔法陣で囲うという方法もある。
その分、魔法陣には分離式にするための情報を織り込んで複雑になる上に、密度の濃い魔法陣を小さく描かなければならないので、ほとんど職人芸のような繊細さが要求される。
技術は素晴らしい。しかし……使う人間がよくない。
私はその三つの小さな魔法陣の、ちょうど真ん中に立って、それぞれの魔法陣に杖を向けて、起動する。箒は持ったままだ。
すると魔法陣同士を結んだ三角形が形作られ、その辺が上へと光の壁のように伸び、私を包む。
起動は成功。
まばゆい光が消える……どこかへ無事、転移したようだ。
転移先は、幾つかの魔法陣が地面に描かれた、暗い空間だった。
私はその中の一つに転移してきたということになる。そこに来るのは初めてだったが、部屋の大きさからだいたい想像がついた。ラピスの作る異空間は、同じ扉から色々な部屋に行くことができるが、必ずその部屋の大きさ自体は同じものだった。
つまり、おそらく元々ある一部屋の空間を、その位置を変えずにいくつもコピーしてあって、同じ扉からアクセスできるような状態になっている。自分でも言っていてよくわからないけど、空間魔法ではそんなことが可能なのだ。
つまり私が今いる部屋から、そこの扉をくぐって外に出れば、必ずラピスの家の居間につながっているというわけだ。
私はそっと扉を開け、居間の様子を見る。ラピスは机の前に置かれた、台所の方を向いた椅子に座って独り言を言っているようで、静かな部屋には良く響いていた。
「ふふっ……今日のお楽しみ。やっぱりマリー、予想通り地味なのを穿いていたわね……」
ラピスは白い小さな布を掲げて、気持ちの悪い笑い方をしている。
私は気づかれないようにそっと部屋を出て、足音に気を付けながらラピスに近づく。
「部屋に堂々と入る機会があったのは……幸い。屋根の上のものだけじゃ、中に入るまでが大変だものね……」
ラピスはその白い布をくしゃっと丸めて、両手で大事そうに掴んだ。
「いいことを思いついた。ある日突然、地味な下着が全部消えて……スケスケな大人っぽいものだけに変わっていたら……マリーはどんな顔するんだろう? それで後から、何か魔法を使ってハプニング的に風を起こしたりして、私が偶然見ちゃうの。そうしたら……きっと初心なマリーは大慌てで……ふふ、興奮、止まらないわ」
「……それはあまりお勧めしませんね。ラピスは……元暗殺者の私の従者に命を狙われていますから……」
「ぴゃぁっーーー!⁉」
私が後ろから声を掛けると、ラピスは普段なら絶対上げない奇妙な声を出して文字通り椅子から飛び上がり、純白のショーツが宙を舞った。
ぱしっと私は空中でそれを掴み、回収する。
「な、なななななっ……ま、マリー⁉ どうしてここにいるのよぉっ!」
「これは、リサが先日新しく売ってくれたやつですね……未だ穿いていない……心理的には軽傷ですが……鳥肌が止まりません……」
「わ、わたしの部屋から⁉ 魔法陣を逆行してきたっていうの⁉ 嘘よ、”ただ乗り”の技術はまだ、教えていないのに……! 逆探知を防ぐ魔法も織り込んでおいたはず!」
「構造がわかっていれば他人の魔法陣でも利用できる……逆探知を防いだってそもそも行先がわかっていますしね……」
「嫌ぁーーっ! 人の家に勝手に入って来ないでよぉ!」
「どの口が……」
呆れかえるが、何とか冷静さを保たねば。
「私から盗んだのはこれだけですね?」
「そうよ……くっ……なけなしの一つなのに! でもまだ下ろしていないものだったなんて。もっと古い物を選ぶべきだった……」
「ちょっとしばらく静かにしてもらえます? ラピスが喋るたびにぞわぞわして一瞬思考が止まります……」
「ぴっ……」
また奇声を発して、ラピスは静かになった。
冷静に……冷静に。今、真っ先に、考えるべきこと、聞くべきことがあるはず。
「……寝室から盗ったのですね」
「……はい」
「昨日、帰ったと見せかけて、いつの間にか設置した魔法陣に戻った、と」
「……はい」
「……もしかして。その時、アリシアとシャルロッテが寝室にいましたか……?」
「……いいえ、まだみんな居間にいるようだったわ」
「……はぁー」
危ない、危ない……もしアリシアが寝ている部屋に忍び込んだのだとしたら……頭に血が上るところだった。もう上ってるけど。
やはり根は良い子でも犯罪者は犯罪者だった。
「私の、だけですね……?」
私は座っているラピスの後ろに回って、両肩に手を乗せる。ラピスの身体は微かに震えていた。
「どういうこと?」
「アリシアのものは、盗っていませんね?」
「と、とるわけないじゃない! いらないわよそんなん!」
「いるでしょ! ……じゃない! っふぅ……落ち着け……落ち着くんだ私……」
「マリー……ゆ、ゆるして……私、自分でもわからないの」
「……何が」
「今までこんなこと、先輩にしかしたことなかった。つまり……そんな気にさせたあなたが悪い」
「戯言を聞くつもりはありません。ラピス。私のしたことは百歩譲っていいとして……アリシアが寝ている寝室に侵入したらその時は……」
「ひっ……」
「私は性格反転薬を飲んで、ラピスがされたくないことを全てします」
「わ、わかったわ! 魔法陣はすぐに消す! 悪かった。ただその、それ一つだけは……」
「……はい?」
「な、何でもないわ」
「ですよね……」
ようやく少し冷静になった私は、ラピスの正面に腰かけた。
「す、少し疲れました……柄にもなく感情が……動いてしまいました」
「お、お茶を淹れる……」
「そうしていただけると助かります……」
ゆっくり深呼吸しながら、遠回しにお茶を要求するなんていつかのリサみたいだな、と私は自分でも自分の行動が意外だった。
やっぱりどうしても、アリシアのこととなると、私は冷静でいられない。いつか何かやらかしてしまわないか心配だ……
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