第64話 メイド式睡眠誘導


 シャルロッテはアリシアに身体を洗われると、見違えるほど綺麗な姿でシャワールームから出てきた。


 赤い髪は乱反射するように、頭のてっぺんから毛先に向けて深紅から薄桃に輝き、瞳も深く輝く紅。湯気を纏った白い頬は薄桃に染まっている。アリシアに借りた白いネグリジェに覆われていない手足は、細くしなやかだった。


 シャルロッテはまだ慣れない視線を、小屋の中や私に送っている。


「どうぞ、シャルロッテ、髪を乾かしますね」


「え……? う、うん……」


 アリシアはまだ出てこなかったので、私はシャルロッテを椅子に座らせて、杖を向け、ドライヤーのように髪を乾かした。以前の世界では滅多に見ることはないその赤い髪を、珍しいなと観察しながらふわふわに乾かしていく。


 しかしシャルロッテはまだ私を警戒しているようで、身体は固く、私が手を動かすたびに、ぎこちなく身体を揺らした。それもそうだ、初対面だし、私は自己紹介も何もしていないのだから。


「私、マリーと言います。アリシアの一応、魔法の先生です」


「うん……」


「詳しいことは、明日話しますね。今日はアリシアと二人で、ベッドで寝るといいです。それが一番安心するでしょうから」


「……ええ」


「ご、ごめんなさい狭くて、ベッド二つないんです……用意しとけって話ですよね、あはは」


 私は櫛を使って髪を梳かしながら、シャルロッテに語り掛けた。顔を見ないというだけで、私のような者からすれば、幾分か会話のハードルが下がる。それにシャルロッテの髪は綺麗で触り心地が良くて、勝手に私の方がリラックスしてしまう。


「夜だから髪は結いませんよね?」


 ツインテールにしていないと、シャルロッテは結構ボリュームのある、少しだけ癖のあるふんわりとしたロングヘアだ。


「うん。あのっ……ありがと……」


 シャルロッテはこちらを見ずに、小さい声でそう言った。


「……はい!」


 そんな時、アリシアも居間に戻ってきた。すると私とシャルロッテを見るなり、大声を出して駆け寄ってくる。


「あーっ! こら! 二人でベタベタしないでください! まったく……油断も隙もないんですから……」


「あ、あれ……? 私は良かれと思って、ですけど……」


「ずるいです、お姉さまの人たらし」


「あはは……何ですかそれ……と、とにかく今日はシャルロッテを休ませてあげてください。二人で寝室を使っていいですから」


「ありがとう……ございます。シャルロッテも疲れているみたいだし、お言葉に甘えます。さ、行きましょ、シャルロッテ」


「でも……」


 まだ私と何か話したそうなシャルロッテを、アリシアは手を取って立たせて、寝室へと連れて行った。


「おやすみなさい」


 あれだけ賑やかだったというのに、居間には私とメイの二人だけになった。しかし、本格的に寝床が足りない。どうしたものか……


「えっと、メイはソファを使ってください。私は毛布があるので、書斎で」


「何をおっしゃいますやら。お嬢様こそ、お疲れでしょう。匂いの染みついたベッドはお譲りします」


「に、匂いとか言わないで下さい! でも、さすがに申し訳ないですし。もう一つ何かベッドでもないと」


「ではこういうのはどうでしょう、まずお嬢様、ソファに横になってください」


「はぁ。こうですか」


 私はいつもの通りに、ソファの肘置きに頭を乗せて、ソファに仰向けで寝転がる。するとメイが、ソファの背もたれと私の間の隙間を埋めるように横向きで器用に寝転がった。本棚の隙間にストンと一冊放り込んだように、綺麗に隙間が埋まった。


「あっ、ちょっ……」


「これで上手に二人収納できましたね」


「ひぁっ……ち、近い……」


 メイは横向きで寝ているせいで、ずっと顔をこちらに向けている体勢になっている。感情の読み取りづらい瞳が、じーっと私の方を向いており、頬に微かにメイの吐息が触れる。


「お嬢様、お疲れ様でした。今日はよく、頑張りましたね」


「っ……⁉」


 耳元でそう囁かれ、ぞわぞわ、と身体が震えた。しかしそれは不快なものというよりは、妙に病みつきになる快感だった。


 メイの声はいつもより深く、耳の底を撫でて、脳の裏側まで届いたようだった。


「あ、駄目です……それ駄目……」


「せっかく良いことをしたのに、アリシア様に褒めてもらえなかった可哀想なお嬢様は、私が褒めてあげます。言ったでしょう? 存分に甘やかす、と」


「ん、でも、なんかこれって、悪いことをしているような感じがして……」


「いいんですよ、お嬢様。私の声に身を任せて。ほら、目を閉じて」


「はい……」


 目を閉じると、世界がメイの声だけになり、より深く言葉が心の奥底に入ってくる。


「今日もよく頑張りましたね。マリーはいい子ですね。でも頑張らなくたって、マリーはいい子ですよ。私は知っています」


「……っ……ふ」


「ほら動かないで。目は閉じたまま。誰にでも経験があるはずです、こうして誰かに、寝かしつけられた経験が。戻っていいんですよ、マリー。子供の心に。私が見守っていてあげます。心配することは何もありませんよ……」


 ただただ安心させるよう言葉を紡ぐメイの声に、勝手にすぅすぅと、私の呼吸が落ち着いてくる。


「メイ……これ……やばいかも。寝ちゃいそう」


「ええ。いいんですよ。身を任せてください。まどろみに。あなたには休息が必要です。ほら、脱力感に、身を任せて……」


「う……ねむ……」


 人とこんなに近くにいること、至近距離で囁かれること……それらは私の身体に普段ならとんでもない緊張を引き起こすはずだった。しかしシャルロッテの件で気を張っていたせいか、私はだんだんとだるさを強く感じてきていた。


 メイの声が、遠くなったり、近くなったりを繰り返している気がする。


 言っていることが、よくわかったり、わからなかったりを行ったり来たり。


 メイは深くて、静かで、透き通るような……温かくて、いい匂いで……私の一部になったよう。


 自分が、起きているのか、寝ているのか、わからない。


「……意識の……底で」


 まだ起きているような、寝ているような。


「……たしの言葉……刻んで」


「愛して……身を任せ……」


「マリ……私……離……れない」


「おやすみなさい」



 意識を、手放した。




「ん……ぁ」


 目を覚ます。


 ここはどこだったか。差し込む日差し、見慣れた天井に、ソファの感覚。隣にメイはいない。


 炊事場から、人の気配。メイは働き者だ。なんだか昨日の夜は……すごくメイに癒されてしまった。目覚めもすごくいいし、幸福感に包まれている感じがする。もし世界中の人から嫌われたって、私の傍に一人だけは、誰か残ってくれるような、そんな安心感。


「メイ……?」


 私は寝起きのたどたどしい足取りで、炊事場に歩いていく。


 メイはやはり朝食の準備をしているようだった。アリシアとシャルロッテはまだ寝ているのだろうか。昨日は結局、夜遅くまで起きていたから。


「おはようございます、お嬢様。よく眠れましたか?」


 メイはいつもの無表情だったが、微かに目元が笑っていたように思えた。私はそれを見て、何故だか少しどきっとした。


「うん、すっごい……今までで一番深く眠れたかも」


「それはよろしいことですね」


「ね、ねぇメイ。昨日何したんですか? その、暗殺者の術とかなんでしょうか」


「お嬢様を心からねぎらって、寝かしつけただけですよ。シャルロッテの救出に当初反対したことは、間違っていました。私なりの、けじめです」


「そ、そう。じゃあ、あれで終わりですよね……」


「まあ、お嬢様!」


「う……」


「もちろんご要望があれば、毎晩でも、ねっとり愛を囁いて差し上げますよ。隣で身を震わせるお嬢様を見ていると、私も体が熱く火照って……」


「そ、そういうのじゃありませんから!」


「それは残念」


「た、ただ……たまには……やって欲しいかもしれないです。よく眠れるから! それだけです……」


「きゅん……」


 メイは恍惚とした表情で、自分の胸を押さえていた。


「も、もう知りません!」


 私は何を言っているんだろう。死にたいほど恥ずかしくなって、走って居間に戻った。


 すると、そこには、シャルロッテが寝室から出てきて、ぼーっと、所在なさげに立っていた。

 アリシアから借りたのか薄手のガウンを羽織っており、髪は既にツインテールに結ばれていた。


「おはよう、シャルロッテ」


「お……はよう?」


「座ってください、ほら。アリシアはまだ寝ているんですね」


「うん、アイツ、すぐ寝るしなかなか起きないから」


「ですよね。あはは……」


 それは私もよく知っている。一緒に寝るとき、隣で私がいくら平常心を乱されていたって、アリシアは寝るべき時にはすんなり寝る。それがなんとも悔しいものだった。


「聞かせてくれる? 全部。知りたいの。私がどうしてここにいるのか」


 席について、シャルロッテはじっと私の方を見て言った。昨日までの不安と恐怖に苛まれたシャルロッテはそこにおらず、以前の自分を少しずつ取り戻しているようだった。


 やはり、睡眠や温かな食事は人間にとって必要なものなのだろう。


「ええ。何からお話しましょうか」


 アリシアの起きてこない居間で、私はシャルロッテに、どうしてこんなことになったのかを話した。

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