第63話 アリシアとシャルロッテ
「っ……」
小さな物音が反響するような、閉所の感覚が消える。水の滴る音も、もう聞こえない。
ただ、聞きなれた虫の声が、少し遠くから、それにしてははっきりと、耳に届く。
私は恐る恐る目を開ける。視界に飛び込んできたのは、口元を手で抑えたアリシアの驚いた顔。ほっとしたような、ほんの微かなメイの表情の動き。そして、何故かぼろぼろ涙を流して、それを拭おうともしないラピス。
その三人の姿は、世界で一番、ほっとする光景かもしれない。
「ぷはっ……」
そこでようやく、私は自分が息をずっと止めていたことに気づいた。多分、導火線に狙いをつけたあたりから、ずっとだ。
「助かったぁーっ…………」
私はシャルロッテから手を離し、その場にゆっくりと倒れこんで、大の字になった。行儀は悪いがこんな時くらい、文句は言われないだろう。というか緊張が解けた途端、体中に張り巡らされていた神経が勝手に休息を始めたかのように力が抜けた。
天井を見ていると、すぐにメイとラピスが駆け寄ってきて、両側にしゃがみ込んだ。
「やりましたね、お嬢様。誇りに思います」
メイは私の上体を軽く起こしながら、そう微笑んだ。
「メイのおかげです。メイがいなかったら、座標は絶対手に入らなかった。何もできなかったですよ」
「はい。何と言っても天才最強美少女メイドでございますから。いつでもご褒美はお待ちしております」
「それは……また別の話。しばらくは少し休みたいですよ」
「ええ。存分に甘やかして差し上げます。その為の従者ですから……ふふ」
それは本当にありがたい。家事は全てやってくれるし、そうすれば私は研究をちょっとサボるだけでしばらく自堕落に過ごせる。
次に、私は鼻をすすっているラピスの方に目をやった。
「もう、どうして泣いているんですか。こうして、ちゃんと帰ってきたんですから、笑ってください……」
「う゛ぅッ……だって……私の教えた魔法でマリーが……帰ってこなかったらって思ったら……うえぇっ……」
自分を心配して泣いてまでくれるラピスに、思わず胸が締め付けられて、泣き止んで欲しくて私はラピスの濡れた頬から涙を指で
「大丈夫ですから……ほら、もう側にいますよ。どこにも行きませんから」
「マリー……あなたは……言ってくれたから。私のこと、かわいいとか、ほっとけないとか。私……そんなに嬉しいこと、言われたことなくて……」
「みんな思ってますよ、きっと。言わないだけで…………ん?」
あれ、私は確かにそう思っていたけど、そんなことをラピスにはまだ、直接言ってないはずなんだけど……いや、忘れているだけできっと伝えたのかもしれない?
アリシアの手前、私がラピスに直接可愛いなんて、伝えるのは避けそうなものだけど……
いやいや、そうだ。今はアリシアの方だ。
私はようやく、上体をしっかり起こして、座り込んだまま、アリシアとシャルロッテの方を見た。
私とラピスたちが話している間にも、二人は呆然としたまま、一歩もその場所を動かずに見つめ合ったままだった。
「シャルロッテ……? どうして、ここに……? どうしてそんなにボロボロなの?」
「アリシア……? アリシアなの?」
二人が驚くのも当然だった。私はアリシアに、シャルロッテを救うことどころか、捕えられていることすら伝えていなかった。シャルロッテも、アリシアは行方不明になったということしか知らないまま、突然ここに連れて来られたのだ。
「シャルロッテ! ひどい目に合わされたのね? 一体誰に!」
アリシアは我に返ったようにそう言って駆け寄り、シャルロッテに強く抱き着いた。シャルロッテは未だに何が起きたかわからないようで、突っ立ったままアリシアにされるがままに抱きしめられている。
「アリシア……生きてるの? 生きてるのね」
「生きてるわ、ほら、こうして抱き着いているでしょ!」
「……温かい……うぅっ……!」
目で見ても、言葉を聞いても信じられなかったシャルロッテは、アリシアの体温を感じて、ようやく本当に本人が目の前にいると信じられたようだった。
「私のせいでアリシアが死んじゃったかと思った! 私……死ぬしかないと思ったの!」
「どうしてよ……どうしてそんなことに……」
「みんなが私を責めたの……私のせいでアリシアが死んだって……牢屋に入れられた。でも、私も私のせいだと思った。だから死にたかったの!」
「絶対、駄目! ああ、こんなことになっているなんて。シャルロッテ……知っていたらすぐに駆け付けたのに……ごめんなさい、本当にごめんなさい!」
堰を切ったように泣きだしたシャルロッテを、アリシアは強く抱きしめて、謝り続けた。アリシアの罪悪感は……私のものでもある。なぜならシャルロッテが苦しんでいると知っていたのに、私はそれをあえてアリシアに伝えなかったのだから。
しかしこうしてアリシアが、「もし知っていたらすぐにでも戻った」と言っているのをはっきり聞くと、私は絶対に間違っていなかった……というか、間違っていたとしても、そうしてよかったと思ったのだった。
二人はしばし抱き合い、シャルロッテは守れなかったことを、アリシアは生きていながら城に戻らなかったことを、謝り続けた。
そこには二人だけの世界があって、私達三人のことなんて見えてはいなかった。アリシアがそうして私を忘れて他の女性と抱き合っていても、私はもちろん不快に思わなかった。それどころか、今この瞬間だけは、自分たちは完全に、邪魔者だと思った。
「なんか、美しいですね。私……今、透明になれたらどんなにいいかと思っています」
ぼそ、と私が呟くと、メイが言った。
「突然、壁になろうとしないでください。そんなこと言っていると奪いますよ?」
「奪うって何を?」
「アリシア様からマリー様を……じゃなかった。マリー様の初めてを」
「言い直さなくていいんですけど。あの、今、本当にそういうの大丈夫なんで……帰っていただけます?」
「おぉっ……久しぶりに天然ものの罵倒……五臓六腑に染み渡りますねぇ……」
私はメイを無視すると、ようやく立ち上がった。二人のことはずっと見ていたかったけど、シャルロッテも疲れているはずだ。
「えっと……黙っていてごめんなさい、二人とも。色々ちゃんとお話して謝りたいとは思うのですが……まずはシャルロッテをお風呂に入れてあげてもらえますか? アリシア」
「お姉さま……お姉さまの馬鹿!」
しかしアリシアは良かれと思ってそんなことを言った私に飛びついて、ぽかぽかと胸を叩いた。
「う……アリシア、ごめんなさい……」
「馬鹿、ばかバカ! 何が起きてたんですか? どうして言ってくださらないんですか! 何で私は全部知らないままなんですか! 私が子供だからですか? お姉さまなんて大嫌い!」
「アリシア……」
アリシアは私の胸や肩を叩きながら目を閉じて泣いていた。私はそれを止めるように、アリシアをそっと抱き寄せた。
「ごめんなさいアリシア。でもアリシアに出て行ってほしくなかったんですよ。その間シャルロッテがひどい目にあってしまいました。だからシャルロッテにも謝らないと。でも……今は少しでも、シャルロッテを楽にしてあげてもらえませんか?」
シャルロッテはボロボロで、身体も汚れていた。きっと長いことシャワーも浴びていないのだろう。せめてまずは綺麗にしてあげて、それから何か食べさせてあげたい。
「わかりました……叩いてごめんなさい」
「いいんですよ」
アリシアは小さく謝ると、素直にシャルロッテを連れて、書斎から出た。シャルロッテは何か言いたげにこちらを見ていたが、私は小さく頷いて、アリシアと共に行かせた。部屋には三人だけが残された。
「やばい……アリシアに嫌われたかも! どうしよう⁉」
「やっぱりお嬢様は面白いですね。こうなること、想像もつかなかったんですか?」
「で、でも、最後には無事に会えたんだし、喜んでくれるかなとか思っちゃうじゃないですかぁ……」
「話せばわかってくれますよ。では、シャルロッテ様にスープを用意いたしますので、これで」
そそくさと去っていくメイ。私はラピスに縋るような視線を送った。
「一緒にアリシアに説明してくれますよね? ラピス?」
「私はもう帰るわ」
「えぇっ……そんな!」
「それに、マリーがアリシアに嫌われた方が……好都合」
「な、何で⁉ どうしてそうなるの?」
ラピスも私を見捨てて、部屋を去っていく。
さきほどまであんなに心配してくれていたのに、今や私の一番の不幸をラピスは願っているようだった。
まったく……人間というのはさっぱりわからない。やっぱり人間怖い。
仕事は終わったんだし、昔みたいにしばらく引きこもろう。
この時はそう決意した私だったが……当然そんなことが許されるはずもないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます