第61話 薄暗くてごく狭い部屋の中


 私たちは夕食を終え、夜が更けるのを待った。


 時間になるまでは、思い思いに過ごした。アリシアはラピスを気に入らないようなことを言っておきながらも、食事を終えたら普通に会話をして、空間魔法に長けた魔女だということを知り、色々と教えを請うていた。


 アリシアは人に気に入らないところがあるからといって、その人格まで嫌うことは滅多にしないようだ。ラピスとアリシアが言葉を交わしているところを見ると、私も少し心が安らいだ。


 そしてついに……その時が来た。


 普段だったらとっくに寝ているような夜更けに、私たちは再び書斎に集まった。


 全員が固唾をのんで見守る中、私はみんなの方を見て、言った。


「そ、それじゃあ、行ってきますね」


「マリー、気を付けて。最悪、一人ででも帰ってきて。約束……」


 またも不安げに、ラピスは言う。私は言葉では肯定せず、こくりと頷いた。


「マリーお嬢様……もし失敗したら、命がけで潜入いたします。お嬢様もいれば、強行突破も可能でしょうから」


「ううん。メイ、貴方にはアリシアを守る仕事があります。アリシアを決して、一人にしないでください」


「しかし……」


「無事、戻りますから」


「私は……従者ですが、自分の意志で動きますので」


「それじゃあ、止めようがありませんね」


 私は少し困ったが、メイを縛る権利などないので、困りながらも笑ってそう言った。


 最後に、一人だけ何も聞かされていないアリシアが、不安そうに私に抱き着いた。


「どこかへ行ってしまうのですか? お姉さま。独りにしないで……」


 すがるようにそう言われると、ここを発つのを辞めてしまいたくなる。アリシアも、ラピスとメイの物言いから、私がこれから危険を冒すということくらいは察しているらしい。


 私はアリシアの背中を撫でて、安心させる。


「大丈夫ですよ、本当にすぐに帰ってきますから。そうしたら……これが片付いて、少し落ち着いたら……そうですね。その……今度一緒に……お出かけしませんか?」


 こんな時だからこそ、つい私も不安で、アリシアをいつもより愛おしく感じて、そんなことを言ってしまった。


「お出かけ……? お姉さまが? 私が、お姉さまとですか?」


「はい。その……二人きり、で……ゆっくり、のんびり……その、デート? は言いすぎでしょうか……い、嫌ですか?」


「ふ、二人きり……本当に?  全然! 全然、やじゃない、です」


 アリシアはまるで奇跡でも起きたかのように、信じられないという顔をしている。


 それを見て、少し、申し訳ない気持ちになった。

 私が外に出たがらないせいで、アリシアと一緒に出掛けるという機会なんていうのは、白森の街か、リサのお店に行くくらいで、滅多になかったのだ。


 しかし最近、私も他に出かけたことがある場所が増えたので、いつかアリシアと一緒に行ってみたいとは思っていたところだった。


「よかったです。楽しみにしてますね」


「そんなことになったら幸せすぎて、私……でも、本当に行けますよね?」


「はい。もちろんです。アリシアが約束してくれるなら、私どこからだって帰ってこれますから……」


 そんなやり取りをしてから、私はアリシアをそっと、魔法陣から遠ざけるように下がらせる。その時ようやく、ラピスとメイが頬を染めてじっとこちらを見ていることに気づいた。


 しまった。見られているのを忘れて完全に二人の世界に入っていた。恥ずかしすぎる。


「あなたたち……見せつけてくれるわね……」


「……忘れてください……お願いですから……」


 私はラピスを直視できずに逃げるように背を向けると、帰還用の魔法陣が描かれた、ぐるぐると巻かれた柔らかい布、魔法の絨毯を手にした。


 そして懐から杖を取り出して、手に持つ。


「今度こそ本当に、行ってきます」


 私はアリシアの姿を目に焼き付けるように、じっと見てから、杖を地面に向ける。


 魔法陣が青く光り輝き、明滅する。


 やがてその光は目を開けていられないほど白く光り、私の周りを筒状に切り取るように、光の柱が立ち上る。


 思わず、目を閉じる。


 アリシアの姿が見えなくなる。




 そして、次に目を開けた時には、そこは薄暗い地下……牢屋の中だった。


 転移は、無事成功したようだった。


 自分の息すらも大きく聞こえてしまい、思わず呼吸の音を抑える程に静まり返ったその牢屋の中では、微かに足を動かすだけで、ざり、と地面を蹴る音が反響する。地下だから、どこかから漏れ出ているのだろうか、ぽた、ぽた、と水の滴る音がする。


 私は息をひそめながら、牢屋の中を見回す。


 明かりは檻の外の廊下にしかなく、部屋の中には微かにしか赤い光が差し込んでいない。二、三歩歩けば部屋の壁にぶつかってしまうほど狭い独房には、一つのベッドと、簡易的なトイレ、小さな洗面台と、机というには小さすぎる台座だけが置かれていた。


 ふとベッドを見ると、そこには誰も寝ていない。


 そんな……まさか。


 シャルロッテは、ここにいない?


 メイの仕事は完璧だ。牢を間違えたとは思えない。だったら、何故? 幾つかの可能性が頭を駆け巡る。


 転移魔法陣の座標の織り込みが失敗したのだろうか?

 あるいはシャルロッテが、独房を移動させられた? 

 もしくは……既に……秘密裏に処刑されてしまった……?


 最悪の想定を含む、幾つかの嫌な推測が頭の中にあふれた時、私は壁際の薄暗い場所に、わずかな明かりを反射した双眸が光るのに気が付いた。


「っ……⁉」


 思わず声を出しそうになるのを、必死で抑える。


 こんな深夜だというのに、シャルロッテは、ベッドで寝ていなかった。壁に背を預け、膝を抱き、虚ろな目をして座り込んでいたのだろう。しかし、私が転移したのを見つけた今、逃げ場のない独房に化け物でも放り込まれたかのように、絶望に歪んだ表情で、こちらを見ていた。


「よっ……よかった。まだいたんですね……」


 ひとまず、処刑されてはいなかったし、部屋の場所も間違っていなかった。


 しかし、シャルロッテのそのぼろぼろな姿は見るも無残で……決して、よかった、などと言ってはいけないような有様だった。


 私はその少女、シャルロッテを怖がらせないように、ゆっくりと近づき、話しかけた。

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