第60話 根は良い子
「ぐぬぬぬぬ~……うぬぬぬぬ~……」
面を埋め尽くす程の入り組んだ線を、魔力の強弱をつけながら、正確に描いていく。
一本でも間違えば、最初からやり直し。緻密な作業だ。
地面に魔法陣を描くためだけの長い杖を、白森の街に結界を張った時以来、持ち出してきて描いているが、机の上で描く時とはまた違った力の入れ方が必要だ。私は眉間に皺を寄せながら、集中を絶やさないように魔法陣を描く。
「その変な音は、鳴りやまない? マリー」
「ちょっと集中してるんだから、黙ってて」
「ひぅ……酷いわ。私達、友達……」
意外にもすぐに傷つくラピスを意識の外に追い出して、私は集中して魔法陣を描き上げる。アリシアも何をしているのかと見ているが、詳しくは聞かないようにしてくれている。
今日で全て終わらせられる、と思えば、私はいつも以上に集中して力を発揮できるように思えた。時間も、周りのことも全て忘れて丹念に魔法陣を描き上げる。
「……できた!」
「……ふぅ、見ているこっちまで……疲れる」
「はぁ、はぁ。ラピス先生、どうですか? 動きそうでしょうか……」
集中していると、無意識に時折呼吸が止まる。私は息を整えながら、まだ若いながらも空間魔法の権威であるラピス先生に尋ねる。
「……上出来。正直、立つ瀬がない。こんなにやすやすと修められては、困る」
「やったー! ありがとうございます、ラピス。本当に嬉しいです!」
「う、当然。友達、だもの」
あんなにも私のことを嫌っていたのに、何度も何度も友達と言ってくれるラピスに、私はたまらなくなって思わず抱き着いた。しかし、前回会った時はここまでデレデレではなかった気がするんだけど……何か心変わりする要因でもあったのだろうか?
まあ可愛いから別にいいか。ずっとリサとの恋路を邪魔する敵と思われるよりは、よっぽどいい……はず。
「うぎゅ……だ、だめよ、私には先輩がいるのだから……で、でも、あう……柔らかいわ……癖になりそう」
「本当にラピスのおかげです……わざわざ見に来てくれたし……感謝です!」
「お姉さまぁ……それはその実験に必要な、手順ですかぁ?」
嬉しくてラピスと抱き合っていると、すぐ真横でアリシアのいつもより低い声が響いた。
「ひっ……あ、アリシア!」
音もなく忍び寄って来ていたアリシアが、抱き合うラピスと私の頭の中間点にすっと顔を差し出して、じろり、と私の方を見る。私は素早くラピスを放して、後ろを向いた。
「あっ……こ、これはっ……そういうのではなく……ほら、何かの大会に優勝とかした時に嬉しすぎて抱き合うみたいなやつなので……あ、あるじゃないですか、そういうの……女の子じゃなくても……」
「何をぼそぼそおっしゃっているのですか? お姉さまぁ」
「え、笑顔が怖いですよ、アリシア」
にっこりと笑いながら首を傾げるアリシアは、目の辺りに影が差していて明らかに怒っている。
「ラピスさんも、リサさんが好きとかいうから信用しかけましたが……どうやら目を見張る必要があるみたいですね?」
いつの間にか腰に携えていた剣を、カチャ、と鳴らしながら、アリシアは微かに鞘から剣を抜く方へずらし、白く光る刃を見せた。
「前言撤回。この子、怖いわ、マリー……」
自身も実力のある魔法使いだというのに、ラピスはガタガタと震えていた。アリシアもアリシアだ。魔法使いの弟子なのだから、剣なんか持ち出さずに、正々堂々魔法で脅して欲しい。いや、そういう問題じゃないけど。
というか、メイからもアリシアからも命を狙われ気味だけど、大丈夫だろうか、ラピスは。
「え、えーと。ほら、早く進めましょう! そうすればアリシアも、元気になってくれますから、きっと」
私はそう言うと、そそくさと居間に戻って、帰還用の魔法陣が記された布……通称魔法の絨毯を手に取って、書斎に戻る。魔法の絨毯からは、土の色のような紐が一本、ひょろんとついている。これも必要。完璧だ。
「えーと、えと、手順を確認、しないと。えっとまずは……」
「お待ちください、お嬢様。確かに薄暗くはなってきましたが、深夜の方がよろしいのでは?」
「あ! そ、そうです。そうでした。いけませんね……流石メイです」
やはり緊張してしまっているようだ。準備が整うや否やすぐに実行しようかと焦ってしまっていたが、シャルロッテを救出するのは、警備が薄くなる深夜の方がいいとメイに言われていたのだった。
「食事を用意しますので、皆さんで食べてからにしましょう。戦の前の腹ごしらえです」
「戦……? 本当になんだか物々しいですね……でも、準備を手伝います、メイ」
「ありがとうございます、アリシア様」
メイとアリシアが炊事場に料理をしに行ったのを見届けると、私はラピスと計画を整理することにした。
「えーと、まずはこの書斎の大きな魔法陣を起動して、魔法の絨毯を持った私が転移する……ですね」
「メイドさんが取得した座標を修正したものが織り込まれているから、マリーは問題なくシャルロッテの檻の中に、直接転移できるはずね」
「そこでシャルロッテを……寝ていたら起こして、逃げ出そうと説得する……私、初対面だけど、上手く話せるでしょうか……」
「悠長にしている時間は、無い。見回りがいるだろうし、大きな声を立てたら誰か駆け付けるかも」
「はい……ここが一番怖いですね。うう、人と話すのは苦手なのに」
「なんでそこに一番怯えているの。見つかる方を怖がりなさい……」
ラピスでさえも呆れるが、シャルロッテとは会ったことも無いのだ。それで見つからないように静かに説得するなんて、緊張しない方が難しい。やっぱりそれが一番の難関に思えた。
「それから、魔法の絨毯を広げて、シャルロッテと二人で乗って、転移する」
「二人とも陣の中に収まっていれば、この書斎の魔法陣に問題なく転移できるはず。だけど、処理も忘れないこと」
「うん。杖も持って行かないとね」
「シャルロッテの聞き分けが悪ければ……無力化するのも選択肢」
「乱暴はあまりしたくないです……」
「マリー」
「何?」
ラピスはいつものどこか遠いような目を、微かに不安そうに細めて、私をじっと見る。
「失敗すれば、死ぬ。緊張感を持って。死んでほしく……ない」
ラピスはか細くそう言うと、泣きそうな顔をして俯いてしまった。そんなにも私のことを心配してくれていたなんて思っていなかったので、思わず私も軽く心が震えた。
ラピスにとっては、私はリサとの間にいる邪魔者だったはずだ。だけど、こうして長く生徒として教えた相手に死の危険が迫ると、それを心配せずにはいられない優しい子なのだ。やっぱり、根は良い子っていうのは、いい子に違いない。
私はラピスを慰めたくて、その手を取って、不安を取り除くために気持ちを伝えた。
「ラピス。大丈夫ですよ。きっとうまくやりますから。でも、心配してくれて嬉しいです。ちゃんと緊張感を持って、やりますね」
「私……どうしちゃったの。こんなに怖いなんて、思わなかった。マリーのことなんて、どうでもいいのに」
「……心配してくれて嬉しいですよ、ラピス。でももし失敗しちゃったら、その時は……私と会ったことなんて忘れて、平和に暮らしてくださいね」
「馬鹿! そんなことさせない! 私、助けに行くから。シャルロッテのためにはできないけど、マリーの為なら……」
私は、ラピスの口の前に、そっと、人差し指を出して、それ以上言わないように、思わず言葉を止めた。
「そんなことしたら、怒りますよ、ラピス。またリサに、いじめられちゃうんですから」
「でも……私にはその力があるから……」
「もうやめにしましょう、ラピス。成功して、帰ってきます。そうしたらまた、空間魔法のこと教えて欲しいんです。お部屋が足りなくて……もう寝る場所が無いんです」
「教える。きっとよ、マリー。約束破ったら、先輩に言いつけるから」
「はい。それじゃあ私も、失敗できませんね」
ようやく落ち着いてくれたラピスを見て、少しほっとすると、私はラピスを居間に戻らせた。そうして一人になってみると……
いや……
やばい! 怖くなってきた。
死ぬとか急に言うから、あの子、意識してしまった。でもアリシアのためだ。ラピスのためにも、戻ってこなきゃいけないし。大丈夫だ。
私は深呼吸して必死で自分を落ち着かせた。
それから私達はメイとアリシアが用意した食事を四人で楽しんだ。
そして深夜……いよいよ計画を実行に移す時が来た。
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