第58話 愛情表現


「あーあ、幻滅しました。座標を取ってきてくれたこと、私は感謝していたのですよ、メイ。ねえ、どうなのですか、メイ。実際、魔法陣なんてなくても、あなたが牢屋の鍵まで奪って、シャルロッテをそのまま連れて帰ってこればよかったじゃないですか。どうしてそんな簡単なことができないの?」


 我ながら無茶苦茶なことを言っている自覚はもちろんある。


「いえ、私にはシャルロッテ様を連れて、目撃されずに連れ出すことなど構いません……そのようなことはお嬢様にしかできないことでございます。尊敬しております。敬愛しております。ですからお慈悲を……」


「へぇー、メイにもできないことがあるのですね。でも……あなたがして欲しいことを私がしていたら、それはいじめていることにはならないし、ご褒美にならないんじゃないですか?」


「……そ、それは……」


「じゃあこういうのはどうでしょう?」


 私はメイから立ち上がって、杖をメイに向ける。そして、這いつくばっていたメイを今度は軽く宙に浮かす。


「ひっ……お嬢様……お嬢様何を⁉」


「焦っていますね、メイ。いい表情です……素敵です……」


 横たわったままのメイが、不安定に私の前の空間に浮いている。私はその顔をまじまじと観察する。


「ま、まさか……」


「私と戦った時も、実は怖かったんじゃありませんか? 箒に乗った時に知った、メイの弱点……」


 そう言いながら杖を軽く上下に揺らすと、メイは今までにないほどの恐怖を顔に浮かべて、あからさまに焦っていた。


 箒に乗った時に気が付いた。メイは少し、高所恐怖症の気があるらしい。こんなに低い高さでも効果があるのか疑問だったが、不用意に揺らせば恐怖を刺激されるらしい。


「だ、駄目でございますお嬢様、これだけは私、本当にダメなんです。ごめんなさい、生意気言ってごめんなさい……お嬢様、本当に駄目なんです」


「……メイ……ごめんなさい、そんなに可愛い顔で懇願されたら、今は逆効果なんです、私今、凄く興奮しています。その表情……もっと見せてください」


「い、嫌! 本当にやめてください! お嬢様、マリー様! やです、怖いです!」


 メイは涙目になって、私の服の裾を掴んで、それ以上浮かされないように必死でしがみつく。私の身体を抱きしめて、離さない。


 体は微かに震えているが、それは快楽からではなく、明らかな恐怖からだった。


 それを感じた時、私は、はっとした。


 その一瞬……正気を取り戻したたった一瞬で、私は懐から先ほど隠し持ったアンプル剤……解毒剤を取り出し、封を割って一気に飲み込んだ。


 一気に万能感が消えて、少しの喪失感と共に、頭にもやがかかったような、いつものうんざりするようなまどろっこしい私の脳みそが返ってくる。


「うぅっ……はぁっ……はぁっ……危なかった……」


 私は心を落ち着けながら、メイをゆっくりと降ろして、その震えている身体を抱き締めながら、ソファに腰を下ろした。


「解毒剤を隠しておいてよかったです……ほら、だからやめた方がいいって言ったじゃないですか」


「お嬢様……怖いです……」


 メイは私の膝の上に、向かい合って座ったまま、肩の上に頭を預ける。


「ごめんなさい、メイ……あんなことするつもりじゃ……」


 メイはそれを聞いて、ゆっくりと顔を見合わせられる位置に上体をずらした。


「お嬢様ぁ……素敵でした……」


「わっ……メイ、何て顔してるんですか……」


 メイの顔は赤く上気して、泣きそうに涙目のままどこか恍惚として、息も荒かった。そんな顔のまま、私の身体に密着しながらじっと何かを訴えるように目を見てくる。


「ちょ、ちょっと、もういいじゃないですか。離れましょう」


「嫌ですわ、もう少しだけこのまま余韻に浸らせてくださいな……」


「で、でも……」


 解毒剤を飲んだ今、私には理性がある。この状況で感じる背徳感を、楽しむ余裕は今の私にはもう無かった。


「どうか聞いてください……私をいじめている時のお嬢様のお顔……私を虐げる時、お嬢様は私だけを見てくださっていたのです……私はそうして執着していただけるのがたまらなく嬉しくて、やめられないのです……」


「そう……ですか……」


 確かに、私はメイをいじめながら、未知の感覚を楽しんでしまっていた。その時メイ以外のことは頭に無かった。


 いじめられるのが嬉しいという考えは今までさっぱり理解できなかったが、どうやらそうして二人だけの世界に入ることで、特別に通じ合うことができるらしい。メイはそれに悦びを感じていたようだ。


「軽蔑しましたか……?」


 メイは少し探るように不安げに、そう言った。


 いつもの、更なる軽蔑を誘うような、ふざけた調子ではない。


「い、いえ……少しだけ分かった気がします。メイは……そういう……愛情表現の形? というのでしょうか。それだと、人と繋がりを感じやすい、ということですよね」


「お嬢様……!」


「メ、メイ?」


 メイはたまらないといったように、私の身体に強く抱き着いた。ぎゅっと抱きしめあって、顔同士は耳が当たるような位置にあるせいで、その表情は読み取れない。


 いつもの無表情なのだろうか、それとも、すこし上ずったような、今の声と合う表情をしているのだろうか。


 しかし、どうやら私の考えはそこまで的外れではなかったようで、メイは理解してもらえたことが嬉しかったようだ。


「やはり私の目に狂いは無かった……! 私が生涯仕えるべき、お嬢様。どうか……こんな卑しい私を、それでもずっとお側に置いてください……お嬢様……どうか嫌わないでください……」


「嫌ったりしませんよ……別に本気で失望したりしていませんから。薬のせいですよ、本当に……」


「……ありがとう、ございます」


 メイには一体、どういう過去があるのだろうか。凄腕暗殺者だったということしか私は知らない。


 メイは人と少し変わった関係性を築くことで、その愛を確かめたがる。そういう風になったのには、何か理由があるのかもしれないが……長く暮らしていれば、いつかは話してくれるかもしれない。


「しかし……私の気持ちを理解してくれたということは……もしかしてお嬢様も、楽しんでくださったのでは?」


「……そ、それは……そんなことないですけど……」


「癖に……なっちゃいました?」


「……し、知りません! でも……」


「はい、お嬢様?」


「もう少しだけ……効果を抑えたものを……か、開発、してみてもいいかもしれませんね。本当に嫌なことは……しないくらいのものを……」


「お嬢様……! お慕いしております、心から……」


「も、もう離れてください! 癖になってなどいません! ただの知的好奇心ですから。でも……」


「はい、お嬢様……」


 メイは少し残念そうに、ようやく私から離れて立ち、服の襟を整えた。


「か、改良品ができたら……テストしますから」


「っ……! ふ……ふふふ……承知いたしました。楽しみにしております」


 メイは後ろを向いていて、表情は見えなかったが……心なしかその声は震えていた。

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