第57話 忠犬へのご褒美
「さて、今などチャンスなのではないでしょうか」
「えっ……今ですか……」
アリシアが白森の街に出かけて行ったその日、メイは私が魔法陣を試作している机の上に顎を乗せて、自分を構えと言わんばかりにそう言う。
メイは座標を手に入れた。後は私が座標を盛り込んだ魔法陣を完成させれば、すぐにでもシャルロッテを救出に行ける。
アリシアは今日、白森の街に出かけていた。なんでも町長の娘が帰郷していて、会いに行くらしい。相変わらず私と違ってどんどん人脈を広げていっているようだ。しかしメイにはそれがご褒美をもらうチャンスだと思えたらしい。
「やるんですね……? 本当にいいんですね? やめた方がいいと思いますけど……」
「むしろ、ここ何日か約束を反故にされるのではないかと気が気ではありませんでした。しかし、もはやそれすらも私に対するプレイの一環なのかと思い、夜な夜な私は自らの……」
「あー! もういいです! それ以上何も言わなくていいです! わかりましたから! ……約束は約束です」
私は薬瓶の並べられた棚に向かい、そのいくつもの瓶の中でも奥の方で埃をかぶっていた、紫色の薬剤を探し出した。
「んー……確かこの辺だった筈……あ、あった」
あってしまった。それはそうだ、使った試しはないのだから。
どうしてこんな薬……性格反転薬を取っておこうかと思ったかと言えば、一応私なりの考えがあってのことだ。例えば望まぬ来客があった時に、油断させて紅茶にでも潜ませて出してしまえば、乱暴者な来客がたちまち気弱な小心者に様変わりするというわけだ。
まあ来客なんてそんな時には大抵焦っていて、この薬の存在など忘れているものだけど。
私は性格反転薬を手に持ち、もう一つ小さな無色透明なアンプルを取り出して、メイに見られないように懐に隠した。
「それは一体……?」
ことん、と机の上に性格反転薬の入った瓶を置くと、相変わらず顎を机に乗せたまま、メイがそう尋ねる。
「これは世にも恐ろしいお薬……性格反転薬です。これを飲むと……性格が反転します」
「そのまんまですね」
「そのまんまなんです」
実際には性格反転薬は脳内物質に作用して、その人の普段の性格と真逆の性格を一定の時間発揮させるものだ。わかりやすいから性格反転薬などと呼ばれているが、実際は興奮系と鎮静系の効果を人によって選んで発揮させるという、精神病の画期的な治療薬として生み出されたものらしい。
しかし今では愚かな人間たちの手によって、専らこうして娯楽に用いられるようになってしまったようだ。
「楽しみです。ではどうぞ、ぐびっといっちゃってください」
「あのねぇ、もうちょっと心の準備とかそういう……」
「ほら、いつアリシア様が帰ってくるかわかりませんよ。見られてもいいんですか、そんな姿」
「う、それだけは絶対に避けないと……」
媚薬の件でお互いを傷つけあって、ようやく仲直りしたというのに、それですぐにおかしな薬を飲んでいる時点でアリシアには顔向けできない。せめてばれないうちに終わらせなければ。
「い、いきますよ……」
私は瓶のふたを開けて、勢いよくそれを飲み干した。
かーっと熱くなる感覚がして、喉から胃まで液体が降りていくのがはっきりわかる。
「苦っ……!」
私がしかめっ面をして胸を押さえるとメイが心配そうに寄り添ってきた。
心なしか、いつもよりも鼓動が速い気がする。妙に頭が冴えわたるような、万能感を覚える。
「大丈夫ですか? お嬢様。変なものではないのですよね」
「え、ええ。ただちょっと……」
「はい、お水でも用意しましょうか?」
「……そういうのは、聞く前に用意しておくのが仕事のできる従者ってものじゃないの?」
ほとんど直接的に、理性で押しとどめる間もなく、頭に浮かんだ言葉が口から発された。
「えっ……あっ、はい、至らず申し訳……」
「条件反射みたいな謝罪の言葉は不要です。犬は犬らしく、這いつくばって靴でも舐めたらどうですか?」
あ、あれ、今のは本当に私が発した言葉だろうか?
信じられないとは思いつつも、そう口に出すとまるで肩の荷が降りたかのようにほっとする感じがした。
「っ……! お、お嬢様、もう既に効果が出ているのですね……素晴らしいです」
「そのようですね……何だか妙に、これはまずいかもしれません。ああメイ……何だか……すごくいい気分です! 媚薬とは違ってこれは……罪悪感をあまり覚えません」
「ええ、身を任せてください。私が望んだことなのですから、ぜひその思いのまま私を虐げてください!」
「黙りなさい! 従者の身分で、私に何を要求しているのですか!」
身の程をわきまえない奴だ。こんな躾のなっていない犬を、いままで自由にさせていたとは自分でも信じられない。さて、どうしてやろうか。
「す、すみませんお嬢様、つい我慢できず……」
「犬は犬らしく、地面に四つん這いになりなさい」
「はっ、し、しかしアリシア様がいつ帰ってくるか分からず……」
「おい、お前私に激しくしてほしくて、わざと反抗しているんでしょう? いっつも他人が手のひらの上で踊っていると思ったら大間違いですよ?」
私は素早く杖を取り出して、強制的にメイを四つん這いにさせる。
「あぁっ! 申し訳ございません……そのようなことは決して!」
「どうして欲しいんですか、メイ。私に一体どうされたかったっていうの? ずっと考えていたんですよね、私に酷いことされたいって。言ってみなさい、全部!」
上目遣いのメイを上からそう言葉で叩きつける。なんという背徳感……そして気持ちよさ。
人を虐げるこの気分の良さを知らなかったなんて、私は今までの人生、きっかり半分損していたようだ。
「し、しかしそのようなこと……申し上げてしまえば流石に私めをお嫌いになるのではないでしょうか……」
「ペットが何を考えていたところで、私の人生に大きな影響が出るとでもお思いですか? 思い上がりも甚だしいですよ、とっとと話しなさい。ほら早く!」
「わ、私めは……優しくされたり突き放されたり、そういうことを通して、もっとも愛を感じられる体質なのです。ですから……その……」
「質問と答えが一致していないですよ、メイ。あなたはそこまで愚かな子だったでしょうか?」
「わ、私めは……卑しい私めは……お嬢様に……叩かれたり、踏まれたり、言葉で責められたりしたいのでございます……」
「それで?」
「そ、それで……束縛されたり、辱められたり、いじめて欲しいのでございます……でも最後には、優しく囁いて欲しいのです。私が必要だと……愛でなくても構いません。道具でもよいのです。ただ必要だと……」
「……あっそう」
「お嬢様……?」
私が黙っていると、メイは不安そうにしている。もう自由に身体は動かせるはずだが、メイは四つん這いの姿勢を保っている。
私はメイに近づき、後ろに回る。そしてしゃがんで耳元で囁く。
「残念です、メイ。あなたには失望しました。いつも隣に控えている、美しく洗練された従者が、心の底ではそのような卑猥な考えで一杯だったとは。ぞっとするような今の私の気持ちがわかりますか?」
「っぁ……申し訳、ございません……」
「あはははは! 何を身体を震わせているんですか、メイ。ただ私はあなたに失望したと言っただけなのに!」
愉快な気分になり、私はそのままメイの背中にどかっとお尻を乗せて、椅子のように腰かけた。
メイはびくっと一瞬態勢を崩しかけたが、すぐにその意図を理解して、しっかりと姿勢を維持した。
「お、お嬢様……このような行為、刺激が強すぎます……私は、私はもう……」
「椅子が何か喋ってますよ。おかしいですね?」
私は軽く左手で、メイの引き締まった美しいお尻を叩いた。スパン、という子気味いい音が響き、メイの小さな悲鳴すら心地いい。
「あっ! いけませんお嬢様……」
「まだしゃべるんですか、この椅子は!」
「……ぁっ……くぅっ……」
そのまま立て続けに何度も叩くと、メイは顔を真っ赤にしながら、必死で声が漏れるのを我慢していた。微かに漏れ出たか細い声を聞くと、身体の奥底が震えるような感じがした。
メイは……元々美しい女性だ。仕事もできる完璧超人で、欠点などない、私よりよっぽど優れた人間だと思う。
それが、今このように私に媚びへつらって自らいじめられることを望んでいる。その征服感は、私が生まれて初めて感じたものであり、一緒に生まれた背徳感も一過性のものではなくずっと心の底をくすぐり続けている。
微かに残った理性がもうこれ以上はいけないと言い続けているが、生み出された征服感と背徳感にはほとんど抵抗できていない。
私はさらに、メイをいじめようと、いや悦ばせようと、攻め続ける。
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