第55話 高いところ


 メイも空を飛ぶのは初めてなのか、高度を上げると身体をびくっとさせて、少し緊張しているようだった。


 アリシアと身体を密着して空を飛ぶのには少し慣れてきたが、相手がメイとなると、私もやはり緊張する。小さな箒に二人で乗ると、恋人が後ろから抱くような格好にならざるを得ない。


「あ、あの。飛ぶのは初めてなので……」


「え、は、はい。そうですよね。できるだけ揺らさないようにします」


「はい……」


 いつものメイだったら何かしら適当な話でもしそうなものだったが、意外にもメイは何もしゃべらなかった。それどころか、箒が風に揺られるたびに、微かに身体が震えているようにさえ思えた。


 あれ……もしかして、高いところが苦手なのだろうか?


 というか、建物の高いところが苦手ではない人だって、こうして不安定な空の旅を始めると、最初やはり怖がるのが普通だ。アリシアはその無邪気さゆえに、かえって恐怖を感じていなかったけど。


 一度、行商人と荷車で飛んだ時の、震えあがるような反応こそ、初めて飛んだ人が示すいたってまともな反応といえるだろう。


「メイ? 大丈夫ですか? 初めてですから、時々下に降りて、休憩しましょうね」


「お、お嬢様……あの」


 メイはそう言うと、おずおずと首だけ動かして振り返った。


「怖いです」


 メイの表情は眉が八の字に曲がっており、今にも泣き出しそうな表情だった。


 あの……無表情の仮面を常につけているようなメイが……今や怯え切った表情をしている。


 それを見て何故か、私はお腹の奥底が、ぞくぞく、と震えるのを感じた。


「あ……メイ、その顔……」


「何です?」


「私……もしかしたら……薬なんて使わなくてもいいかもしれません」


 その奇妙な快感は、間違いなく、メイが怯えているのを見て引き起こされた感情だった。つまり、どうやら私にも、人を怯えさせて快感を感じるという、悪の心が眠っていたらしい。それを今日初めて、メイに呼び起こされてしまった。


「なっ……だ、駄目です。今日のは本当のやつですから……」


 メイは顔を真っ赤にしながらも、やはり身体は少し震えていた。必死で強い力で、箒の柄を握っているようだ。さすがにそんなメイに、これ以上のいじわるは私もできなかった。


「下を見ないで、空だけ見ていてください。本当にダメになったら降りますし、下からでも行けますから」


「はい……お手柔らかにお願いします」




 そうして私とメイは、何度かの休憩を入れつつも、何とか王都にたどり着いた。


 あまり王城の近くまで行くと危ないので、私とメイは怪しまれない為にも、一度リサの魔法店へ立ち寄った。


「いらっしゃーい、あら……始めましてね、メイドさん」


 メイと一緒に暮らすという話は伝えていたのだが、そこでメイとリサは、初めて顔を合わせた。


「よろしくお願いいたします、王都の黒魔女、リサ様。お噂はかねがね。私はマリー様にお仕えすることになったメイドのメイと申します。以後お見知りおきを」


「わーお、ほんと、マリーには勿体ないほどの従者ね。よろしく、メイ。測定器は持ってきた? 問題なければ前回と近い数字になっている筈よ」


 前回はリサの魔法店から、私の家までの座標を測った。今回は私の家から出発して、今いるリサの魔法店までの距離が表示されているはずだから、その数字は近いものになるはずだった。


「見せてください……ええ、近い数字を示しているみたいです! ちゃんと動いていますよ、リサ」


「言っといてなんだけど、当たり前よ。こんな大事な時に粗悪品なんて掴まされたら、マリーが王城で捕まって終わりなんだから。信頼できる仕入れ先から仕入れたわ」


「ありがとう、リサ! きっとうまくいきますよ」


「測定器の方はね。でも本当に、メイド一人で地下牢まで行けるっていうの?」


「メイはすごいんですよ、強いんですから!」


「へー。そうなの? メイ。っていうか……まあ所作を見てれば只者じゃないことくらいわかるけどね。だからこそ……見定めなきゃいけないとは思うわよ、マリー」


「どういうこと? リサ」


「その化け物みたいに強いメイドが、あんたを裏切らない人物かどうかってこと」


 リサは値踏みするように、メイのことをじろじろと見た。


「……そう警戒なさらず。私はリサ様の恋路を邪魔するつもりは毛頭ございません。確かにアリシア様の従者ではございますが……本分はあくまでマリー様の身の回りのお世話ですから」


「ふーん、分は弁えているみたいね。でも、私の目は誤魔化せないわよ。あんた自身の気持ちをまだ聞いていないわ」


「私は従者らしく、マリー様に使っていただきたいだけでございます……いろんな意味で」


「気に入らないわね……躾が欲しいなら、私も上手にやれるわよ?」


「お上手そうですが……それだけに面白みがなさそうですわ」


「へぇ……試してみる?」


「確かに、試してみないとわからないこともありますね」


 訳の分からない応酬を繰り広げる二人に流石に私は口を挟んだ。


「あ、あのさ、何の話しているわけ? こんな時に……」


「大事な話よ」

「大事な話です」


 リサとメイの二人は、声を揃えて同時にそう言った。


 ……今、大事な話なんて、メイが無事に潜入して帰って来られるかしかないと思うんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る