第二部 白魔女と囚われの魔女
第二部 第一章 王女の知らない忘れ物
第37話 メイドのメイと気になること
さっさっ、とはたきが埃を落とす音に、コツコツと木の床をブーツが鳴らす音。
これらはてきぱきとした動きの敏腕メイド、メイから発される作業用のBGMであり、それを聞きながらだと私の研究も妙に捗る。アリシアは外に魔石を取りに行ってくれており、それぞれが適材適所、全てがうまく回っている。
メイは決して余計なことを話さず、物静かだ。その分、何を考えているかわからないものの、私からすれば、沈黙を気にして、無理に話さなきゃ、などと考えなくていいのでとても有難かった。
つい最近までアリシアと二人で暮らす事すら不安で仕方なかったというのに、今やメイを含む三人がこうして同じ屋根の下で暮らしている。つくづく、人というのはふとした拍子に考えが変わるものだと思う。それもこれも、私の生活に飛び込んで、真っ直ぐな心と元気を振り撒いてくれたアリシアのおかげだろう。
「ふふっ……」
思わず笑みをこぼし、机を向いて正しく座っていた姿勢を崩して、いつもの体勢……ソファの肘置きに頭を預けて、寝転がる形になる。そうして本を開いて、空間魔法に関する小難しい古典を読む。
そんなとき、頭上にふとした気配を感じて、私は首をくいっと上に上げる。
「すんすん……」
「のわぁっ⁉ な、なにしてるんですか、メイ⁉」
私は本を放り投げて取り落とすと、飛び起きて長いソファの反対側のひじ掛けに背中を預けるように、メイから距離を取った。
「いえ……少々匂いを嗅いでおりました。お嬢様はよくその体勢をしてソファでくつろがれているようですね」
確かに、小屋に入ってすぐ、机の右手側にある長いソファは私のお気に入りであり、ほとんど私と一体化している物体でもある。椅子であり、ベッドの代わりであり、研究と睡眠の友である。しかし、そうして匂いを嗅がれるということはつまり……
「く、臭いんですか……?」
「いえ、そうは申しておりません」
「そ、そうですよね……よかったぁ」
長年使っているソファだし、洗濯できるものでもない。古くはなってきたが捨てたくは無いし、そもそも見てくれを気にするほど来客もない。それがアリシアが来る前の、私の考えだった。
「そうですね……ただ少し、石鹸の香りと、お嬢様の汗、そして長年空気を吸ったような、独特な香ばしい匂いがするだけです」
「臭いってことじゃないですか!」
あくまで無表情で評論するように匂いを分析するメイに、ぞわり、と肺が浮くような心地と、顔面が爆発するようにかっと熱くなるのを感じる。
「そんなお嬢様にはこちら! ハーブから抽出した油を溶かした水を入れた、風魔石スプレーでございます」
「お、おぉう……」
メイは硝子瓶の蓋が霧吹きのようになった機器を手にしている。庭のハーブに使う為に入手したが、あまり使わず庭の物置に眠っていたはずだ。
それに消臭効果のあるハーブを刻んで油と煮て水に溶かし、消臭剤を作ったらしい。効果のあるハーブを見分けて、その抽出方法まで知っていたとは、流石は凄腕メイドだ。
「ほら、これをこの薄汚れたソファにしゅしゅーっと」
「う、薄汚れたとか言わないでください!」
「えい、えいえい」
「ちょっ……かかってます、私にまでかかってますよ⁉」
「失礼、お嬢様から同じ匂いがしたものですから、つい」
「う、うぅ……! そんなに臭いですか、私は……」
「失礼ながら、昨日はシャワーを浴びられましたか?」
「あぁ~……昨日の夜は研究に夢中で……」
「左様でございましょう。ずっと書斎でがさごそとやっていたので。かぐわしいソファで興奮してしまったのも相まって、私もすっかり寝不足でございます」
「そ、それはごめんなさい……というか寝ている間にも嗅いでいたのですか⁉」
「もちろん。というわけで、すぐに、シャワーを浴びていただきますよ」
「ぎゃぁっ⁉」
そう言うと、メイは私をまるで荷袋でも持つかのように、肩にお腹を乗せて、足を腕で掴んで持ち上げた。その華奢な身体のどこにそんな力があるのか全くわからない。私は突然持ち上げられて不安定に揺れる視界に、思わずじたばたと手を動かした。
「怖い怖い! 降ろして!」
「問答無用でございます」
そうしてメイは私を脱衣所へ連れていくと、ゆっくりと降ろし、立たせた。
しかし次の瞬間には、しゅぱぱぱ、と服を脱がされて、いつの間にか下着姿で私は立っていた。
「はっ……?」
一瞬、何が起きたかわからず思考が止まっているうちに下着まで脱がされたと同時に、押し込まれるようにシャワー室に入れられる。
「ちょっ……はっ? ぎゃーっ! 見ないでください、何で入ってくるんですか! しかも裸!」
一拍置いて、自分も素早く服を脱いだメイが全裸でシャワールームに入ってきた。
「何をおっしゃいますやら、お背中をお流しするのもメイドの務め。アリシアお嬢様にも常日頃させていただいておりました。よこしまな気持ちなど一切ございません。逆に、意識されすぎでは? もしかして、私のことをそういった目で見ていらっしゃる……?」
「そ、そんなわけありません。ただ、驚いただけです!」
今は同性だというのに、自分のほうが意識しすぎなのかと思い、思わず私はそう反論した。でもやはり上手く乗せられたのではと思いかけたところに、うまい具合にお湯をかけられ、外からじわじわと髪を濡らしていくメイの上手なシャワーのかけ方に思わず心を落ち着けてしまう。
「お加減はどうですか?」
「とてもいいです……」
メイはシャワーのかかる部分に私の髪束を持ってきて、水に浸すように流していく。温かさ、優しい圧力、水音、それら全てが心地よく思えて、深いため息が出る。
まったくアリシアと言い、王都の人たちは他人とシャワーを浴びることを全く憚らないらしい。ふと、私はアリシアと雨に濡れた後同じように一緒にシャワーを浴びたことを思い出して、思わず顔がほころんだ。
「珍しい白い髪。お美しい。玉のような肌を見ていると、思わず指先と舌で蹂躙したくなってしまいます。首筋のあたり、流す前に少しだけ味見してもよろしいでしょうか?」
「とてもよこしまな目で見てるじゃないですか! 騙しましたね⁉」
「流してしまうとこの香りをしばらく嗅げないと思うと……今のうちに、という気持ちになりますね。すぅーっ……はぁ……すぅーっ……」
「ぎゃーっ! やめなさい! 離れなさい! 変態メイド!」
「あぁっ……いいです! その調子ですよ、お嬢様!」
堂々とセクハラをしてくるくせに、それに抗議して罵ると、メイは喜ぶ。メイにはいくら否定しても全く効かず、完全無敵のメイドだった。
「……とまあ、冗談はさておき、お嬢様は私に話したいことがあるのでは……?」
「わかりますか……?」
「昨日から、あれだけちらちらとこちらの方を見ていればわかります。大方、アリシアお嬢様がいるところでは話せない内容だったのでしょう?」
メイは自然と髪を洗い終わり、石鹸を使って手で泡を立てる。
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