第36話 明日はきっと


「あ゛~……さっぱりわかりません……どーしてうまくいかないんですか!」


 アリシアが居ないのをいいことに、私が頭を抱えて独り言を放つと、メイが何も言わずにそっと飲み物を置いて行った。


「ん、あ、ありがとうございます……」


 メイはふっと笑うと、そのまま炊事場に戻って行った。流石仕事のできるメイドだ。立ち去り方もクールである。私はアリシアが外出しているからといって、メイがいることも忘れて油断し過ぎていたことを恥ずかしく思った。


 そんな時ちょうど、ガチャっと勢いよく玄関の扉が開いて、王女としての礼儀作法など忘れ切ったアリシアが居間に元気に飛び込んできた。


「お姉さま~! たいへん、大っ変、です!」


 アリシアはお気に入りの花の箒を、かたっと壁に立てかけると、私の座るソファに駆けてぼすんと飛び込んだ。そしてそのまま腰に抱き着いてくる。アリシアは箒を使って一人で危なげなく飛べるようになると、以前と比べてほとんど時間をかけずに白森の街に行き帰りできるようになっていた。


「あ、ちょっと! ちゃんと手を洗わないといけませんよ……」


「先にただいまのキスです」


「先にうがいです」


「うがいしたらキスしていいんですか?」


 するとなぜか炊事場から顔を半分だけ覗かせて、メイがこっちをじーっと見ていた。家政婦は見た、とでも言いたげな仕草だ。メイの前でキスなどできないと私は断る。


「だ、駄目です……」


「えぇ~もう、どうしてなんですか! 最近全然してないじゃないですか~」


 頬を膨らませて文句を言いながらも、アリシアはメイに帰宅を告げて、手を洗いに行った。そうしてすぐにまた元の位置へ戻ってくる。


「ちょっと何があったのか聞いてくださいよう」


「な、何? 何があったの?」


「白森の街に忍び寄る危機! お姉さまの出番です!」


「うぇ……ワイバーンの件を解決したばっかりなのに。また何か起きたんですか?」


「スライムが出たんですよ、街の外の農場で。みんな襲われないかと怖がって、集団行動したり対策をしているんです」


「なんだ、たかがスライムですか……大げさですね」


 私は興味を失って、リサから勧められたさっぱり意味の分からない空間魔法の技法書に視線を戻す。するとアリシアは無視するなとばかりに勝手に膝枕の体勢になって、そのつぶらな瞳で下からこちらを見てくる。


「もう、スライムは私じゃまだ倒せないんですから。手伝ってくださいよう」


「んん~……でも……大きさはどれくらいなんですか?」


「とても大きい!」


「いや、わからないんですけど……」


「人ふたりは同時に飲み込めるくらいだって言っていましたよ」


「う゛んん~…………」


 行きたくない、という気持ちが勝手に声になって鼻から口にかけて漏れ出す。往々にして、そういう目撃情報というのは、大げさに語られるものだ。人ふたりを同時に飲み込める程度のスライムがあり得るか、といえば黒森には普通に生息しているのだが、人里まで出ていくことは珍しい。


 そして確かに、その大きさのスライムが出たとなれば、街としてはお金を払って魔法使いに駆除を依頼をするしかないだろう。そう考えるとさすがに、こんなに間近にいて先日色々お世話になってしまった私が何もしないというのも、申し訳ない気持ちになってくる。


「仕方ありませんね……」


 私がぱたん、と書を閉じると、アリシアは嬉しそうに素早く身体を起こした。研究はどん詰まり。確かに気分転換も必要だ。たかがスライム相手であれば、ワイバーンの時のような準備もいらない。手早く済ませられるだろう。早速支度をしよう。


 私が壁際の棚の上に置いておいた紙袋を魔法で引き寄せると、中からからからと瓶同士が当たる軽やかな音が響いた。


「それは何ですか? お姉さま」


「こ、これは町長に……この前のお礼にと思って……怪我に効く回復薬と、滋養強壮にいいポーションです」


 私はアリシアに、緑色に光る液体と、赤色に光る液体の入った瓶をそれぞれ紙袋から取り出して見せた。それぞれ数本が紙袋の中に入っている。先日、私とアリシアに部屋を貸してくれた町長にお礼がしたかったのだが、気の利いたお礼など思いつかないので、魔女らしくポーションでも渡そうと思い、用意していたのだった。


「ほぇー……お礼にポーションだなんて、おつですね」


「おつっていうか……実用性もあるんですよ。高いですし。この回復薬ならそこそこの怪我も瞬時に治るし、強壮剤は夜のお供に必須です」


 そこそこの出来の回復薬が町長の元に常備されていれば、街でけが人が出た時にきっと役に立つだろう。例えばリサの魔法店で買おうと思うと、一瓶で高級料理のディナーが食べられるくらいの値段はするはずだ。私の場合は、原料は庭で栽培したハーブや黒森でとれたキノコなので、原価はとても安く済んでいる。


 強壮剤は寝ずに夜通し研究をする時には必須で、目をギンギンに見開かせて、動悸が収まらなくなるほどの代物だ。魔物の胆が使われていることは、わざわざ言う必要はないだろう。ポーションには得てしてそういうものが使われているものだから。


 町長ともあれば仕事をため込むこともあるだろう。そんな時に寿命と引き換えにこの強壮剤が引き換えになってくれるはずだ。

 ……もちろん呪いとかそういう寿命の減り方ではなくて、単純に体力的な無茶をするということだ。


「よ、よ、夜のお供⁉ お姉さま、そんなものをアルトンさんに渡して、二人で一体、夜通し何をするおつもりなんですか⁉」


「は……え? これは決してそういう……精力剤とかではありません! 何を勘違いしているんですか!」


「妖艶なお姉さまがそんなものを照れながら渡したら、勘違いするに決まっているじゃないですか! 不潔です! 卑猥です! エッチなのは処刑です!」


「しょ、処刑⁉」


 正真正銘の王女に処刑を宣言され、私は震えあがった。アリシアは懐から純白の杖を取り出すと、私の手から強壮剤を素早く引き寄せて奪い取った。


「あ、こら! 何するんですか! せっかく町長さんに喜んでもらえると思ったのに」


「アルトンさんを……悦ばせようと⁉ やはり聞き捨てなりませんね。 ……これは没収です。お姉さまとの戦いに備えて、私が大事に保管しておきます」


「え……? 私たちいつか戦うんですか?」


「当然です。その日は間近に迫っています」


 アリシアはそう言うと、強壮剤を全て取り上げ、とことこと寝室に持って行ってしまった。


 アリシアがむきになる理由はよくわからないが、仕方が無い。回復ポーションだけでも十分に価値があるだろう。私は戻ってきたアリシアとともに、メイに手を振ると箒を持って外に出た。


「えーと、スライムを倒して、ポーションを町長さんに渡して、あ、あと南の露店のミートサンドも買いましょう。それから対空結界が無事かも定期点検しないと……」


 私が指を折りながら、街へ行ったらやることリストを思い出していると、アリシアがにやにやとこちらを覗き込んでいた。


「ふふ……お姉さまったら、本当は村に行くの、楽しみにしていたんじゃないですか」


「え、えぇ? そ、そんなわけないじゃないですか。本当は行きたくないんですからね……人がいっぱいいる街になんて」


「へぇ~? そうでしょうか? 今、口元がほころんでいましたよ?」


「え、嘘」


 私は頬を抑えたが、どうなっていたかは実際のところわからなかった。しかしアリシアははっきりと目撃したようで、したり顔でこちらをじっと見ており、思わず目を逸らした。


 森の白魔女こと、この私マリー・マナフィリアは、静かに暮らしたいだけなのだ。


 人はずっと苦手なままだし、きっと死ぬまで慣れないだろう。それでも、アリシアとのささやかな日常を守ってくれた街の人には、恩と縁ができてしまった。


 私とアリシアの日常のように、彼らの日常もまた、守られる価値のあるものだと知ってしまった。だから、たかだか杖を一振りで解決できることくらいなら、気軽に駆け付けて解決してしまえばいい。一人だと不安だが、今はアリシアも一緒に私の隣を飛んでくれる。


 すっかりたくましくなって、私の隣を嬉しそうに箒で飛ぶアリシアを見て、私はパンを焦がしてお皿を割っていた頃のアリシアを思い出し思わず微笑んだ。


 それから私はふと、未だ口に入れたことのないミートサンドの味を想像する。サンドイッチかホットドッグか、あるいはハンバーガーに近いのだろうか。 ……だとしたら、それを食べたことがないなんて、新しい人生の半分、損している!


 この世界には、まだまだ私の知らないことが沢山あるのだろう。それは以前の世界も同じだったのかもしれない。少しずつ、本当に少しずつでもよければ、私はそれを、まるで王女とは信じられない自然体のアリシアと共に、知っていきたいと思い始めていた。


 白森の街が見えてくると、自然と胸が高鳴った。それは緊張からなのか、興奮からなのか。どちらにせよ、私はこれからも、何度も街を訪ねることになるのだろう。トラブル解決のためか、あるいは前回のように、私が街の人を頼りにして訪ねることもあるかもしれない。


 街に降り立つ直前、私がアリシアの方を見ると、アリシアは私の心を見透かしたかのように微笑んだ。


 アリシアの白い頬は、日差しを受けて美しく輝く。


 この世界に写真というものが無いことを私は悔やみながら、その景色を心に刻みつけたのだった。


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