第35話 新しい箒


「リサさん、お久しぶり~!」


「あら、アリシアちゃんじゃない! はるばるよく来たわね、疲れてなぁい?」


 修羅場……そんな私の予想に反して、二人は再会を心から喜び合い、それどころか抱き合ってまで見せた。


「私、ついに箒で飛べるようになったんですよ!」


「すごいじゃない。やっぱり私が見込んだ通り、成長も早かったわね。先日はごめんなさいね、少しからかってしまったわ。マリーとひと悶着あったんでしょう?」


「ふふ、いいんですよ。あの後、とってもいいことがあったんです」


「……そうなのね? 詳しくは聞かないけど、仲直りできたみたいでよかったわ」


 そんな二人の仲睦まじい会話を聞きながらも、その裏にあるお互いの知らない出来事を知っているので、何とも言えない気持ちになる。しかしそれよりも、妙にベタベタと腕を触り合いながら話している二人の様子に私は疎外感を覚えていた。


「さて、せっかくのお客さんだし、またいっとき店を閉めるとしましょう。って、どうしたの? マリー、苦虫を嚙み潰したような顔をして……」


 軽く抱き合ったままこちらを見たリサが、微かに首をかしげてそう言った。しかし、どこか余裕のある眉の上がった表情をしており、リサが私の考えを見通していることは明白だった。この性悪女め。


「ねぇアリシアちゃん。マリーは機嫌が悪いみたい。何か心当たりがあるかしら?」


「え~? さっぱりですわ、リサさん。私たちただ、仲良くお話しているだけですのに、ねぇ?」


 アリシアまで何だかリサのような意地悪い喋り方になって、より密着してリサに語り掛ける。待った、顔が近い!


「う……だ、だから、そうやって二人でベタベタするのをやめてください!」


 私が二人の間を引き離すように、アリシアの方を向いて割って入ると、アリシアはにやにやとした表情でこちらを見上げている。


「な、何ですか……そんな顔して」


 いつものアリシアらしからぬ表情に緊張していると、突然、背中にリサの柔らかい胸が当たる感触と同時に、私の肩に後ろから吐息がかかった。


「ひぃっ!」


「何ぃ? 妬いてるの、マリー? 確かに、アンタもたまにはそういう気持ちになってもらわないと、不公平よねぇ……?」


 大人っぽい低い声のピッチをさらに下げた、ざらざらとした音でリサは囁く。本来人を近づかせない、パーソナルスペースを侵食した距離で囁かれ、思わず脇がきゅっと締まって肩がびくっと上がってしまう。


「え~? お姉さま、私とリサさんが仲良くしているの、嫌なんですかぁ? せっかくお姉さまのお友達と、親睦を深めようと思ったのにぃ……」


 アリシアもその体を正面から密着させ、今度は鎖骨の辺りにまでアリシアの小さな吐息がかかる。私は前後から柔らかい二つの身体に挟まれてしまい、逃げられない身体を捩らせながら、小さな悲鳴を上げる。


「何をそんなに嫌がっているの? 美人二人に挟まれて、むしろ有難がるべきじゃなーい?」


「そうですよ、お姉さま? ほら逃げないでください、いつもしてることじゃないですか、ぎゅーって。どうして今日は嫌がるんですか?」


「あら、お熱いのね。嫉妬しちゃうわ。それじゃあ、今日は私も強ーく抱きしめさせてもらおうかしら」


「……無、無理……もう、息が……」


 前から、後ろから、温かさと柔らかさと吐息と熱気を同時に感じて、くらくらしながら肺が潰されたかのように呼吸がし辛くなり、後ろのリサに体重を預け始め、倒れそうになる。


「あ、ちょっと! やり過ぎたわね……ほら、ちゃんと立ちなさい……もう。耐性なさすぎない?」


 リサは呆れながらも、後ろから私の片手で腕を取って、もう片方の手と自分の腰で私の腰を支えた。


「お、お姉さま! 大丈夫ですか?」


「大丈夫、大丈夫ですから……」


 するとアリシアも心配そうにして身体を離した。ようやく解放されて、肌に空気が当たる感覚を思い出すと、私はひいひいと呼吸を整えた。


「全く……それで、今日は何しに来たのよ? 魔石くらいなら、いつも通り溜まったころに私から仕入れに行ったのに」


 それを聞いて、気の利くアリシアは魔石の入った袋を持ってきて、リサに手渡した。


「き、今日は買い物と、魔法の研究の相談に来たんですよ。魔石はついでです……」


「ふむ、それにしたって珍しいわね。急ぎでなければ……次来るときにこの商品を持ってきてー、やだやだお外でたくなぁーい、って私に甘えてくるのがいつものやり口なのに」


「あ、甘えているわけじゃないし、そんなこと言いません! ……箒をね、アリシアのものをそろそろ買おうかと思って」


「ええーっ⁉ 今日はそのために来たんですか!」


 アリシアはこっちがびっくりするほどの大声を上げて驚いた。確かに、ここに来るまで、目的を明かしてはいなかった。


「そ、そうですよ。せっかくこっそり買って帰ってきて、アリシアを喜ばせようと思っていたのに……」


 そうやって突然渡したほうが、一緒に行くよりも喜んでもらえると思って隠したかったのだが、嘘を吐き慣れていない私には難しかったようだ。あえて「野暮用」などという誤魔化し方をしてしまったせいでアリシアにとことん怪しまれてしまい、結局、一緒に来ることになってしまった。


「わ、私ったら! そんな事も知らずにお姉さまを疑ってしまって……」


 アリシアは頬を染めて、目を泳がせた。自分のためのサプライズを、自分で邪魔してしまったことを少し恥ずかしく感じているようだった。


「いいんですよ。せっかく一緒に来たなら、自分で好きなのを選んでもらえますし、それもまた、いいですよね」


「自分で選んでいいんですか⁉」


 アリシアは胸の前でぎゅっと両手を握って、興奮気味に目を輝かせている。可愛い。やっぱり連れてきてよかった。


「あぁ、そゆことね。いいわ、箒はこっちよ~」


 リサはようやく私がわざわざやってきたことに合点がいったらしく、満足げに笑った。


 リサは入口近くの箒売り場を案内した。壁に横にして掛けられた高そうな箒がいくつかあり、箒の穂……掃く部分が、燃えるようにぱちぱちと火花を上げているもの、全体が純白に染められた箒、氷で作られたように透き通ったものが目立って置かれていた。


 さらにその下に壁に立てかけられるように縦に置かれている箒は少し安物のようだったが、それぞれ座りやすいように柄が曲がったものや、荷物をかけるフックがついているものなど、用途に応じていろいろあるようだった。


「わぁーっ……箒がいっぱいです!」


「値段はまけてあげるから、マリーに遠慮せずに好きなのを選ぶのよ? 飛べるようになったアリシアちゃんに、マリーと私からのお祝いよ」


「やったぁ! ありがとう、リサさん! お姉さま!」


 喜んで箒を一本ずつ物色しはじめたアリシアを微笑ましく思いながらも、私はもう一方の相談をすることにした。


「ねえリサ、空間魔法のことなんだけど、教えてくれない?」


「ほい来た。アンタ感性でやってるから、理論はまだまだだものね。何が聞きたいの?」


「空間創成と転移に関してなんだけど……」


「いいわよ、まずは技法書を数冊見繕って……やっぱり店を閉じるわ。裏で話しましょう!」


 リサは人に教えることがそんなに嫌いではないらしい。私の質問に、どこかうきうきとしたように外へ看板を下げに行った。アリシアが箒を選んでいる間に私たちはまた店の裏に下がって椅子に座り、空間魔法に関して話し合った。


 空間魔法を学ぶ目的はもちろん、メイが増えて手狭になった小屋を拡張するためと、もう一方も……まあ私が骨を折ってでもしたいことは、だいたいアリシアのためのことだ。


 私はリサから簡単な空間魔法の講座を受け終わると、アリシアも箒を選び終わったようだった。アリシアが選んだのは、箒の穂の部分が大きなスズランのような花の形になっていて、柄も座りやすいように湾曲している箒だった。掃除をする能力はないものの、アリシアらしく優雅な箒だった。


 それと私の新しい杖も適当に選んで買った。元々使っていたものは気に入っていたが、メイにさくっとやられてしまったので、新しいものが必要だったのだ。しかし、弘法筆を選ばず……と格好をつけても仕方が無いが、単に面倒だし手に馴染めば何でもいいので、ペン立てのようなところに何本も突っ込まれていたがらくたみたいな杖から一本選び、買うことにした。


 私は魔石の値段と、リサのおまけ分を差し引いた、ほとんど払っていないような箒と杖の代金を払うと、その日の買い物を終えた。


「はい、コレ。安全紐はサービスね。初心者には必須品。アンタ忘れてたでしょ、マリー」


「う……助かります……」


「それじゃ、また用があったら来てちょうだい。何もなければまた仕入れの時に行くわ」


「うん、また来ると思います。今日はありがとう、リサ」


「ありがとうございました、リサさん!」


 二人でリサに礼を言うと、私たちは店の外に出た。新品の箒に乗りたくて仕方が無いという様子のアリシアを見て微笑みながらも、私はそれを押しとどめて、リサにもらった安全紐をアリシアのお腹に括りつけた。


「お姉さま、なんなんですか? これ」


「これは安全紐ですよ。一方を私の箒に括りつけるんです。アリシアが落っこちても、私の箒で支えられるというわけです。すり抜けないように、重力がかかると結ばれた部分が軽く締まる魔法がかかっているんですよ」


「へぇー! それなら落ちても安全ですね!」


「でも、締まると痛いですよ……出来るだけ落ちないように、頑張りましょう」


「はぁーい!」


 アリシアは不安など全く無さそうに、元気に返事をした。私たちはほどよい長さで伸縮してくれる魔法の紐で繋がったまま、二人同時に飛び立った。


 アリシアは安全紐など必要ないくらいに、安定して飛んでみせた。眼下に広がる、夕焼けで染まった美しい景色を見る余裕すらあるらしい。風に吹かれたアリシアの金髪が、夕日で橙色に輝くのを振り返って見ながら、私は何故かたまらない寂しさを感じていた。


 つい数時間前までは、私と一緒に箒に乗っていたアリシアが、もうすっかり、一人きりで飛んでいる。成長は嬉しいことなのに、もう二人で箒に乗ることは無いのかと、心のどこかが欠けた気持ちになる。


「お姉さま……」


「どうしたんですか? アリシア」


「もっと上手になったら、今度は私がお姉さまを乗せてあげます。後ろからぎゅっと抱きながら、お姉さまが知らない景色も見せてあげるんです……」


「そ、そう? ……じゃあ……待ってます」


「ええ、任せてください!」


 なぜか考えを見透かしたようにそんなことを言うアリシアに、私は戸惑った。でも、もしかしたらアリシアも、行きはまだ二人乗りだったことを思い出してくれていたのかもしれない。


 もしそうだったら……二人で何も話さない間にも、同じとき、同じことを、考えていたとしたら……


 表に現れる部分よりも、深くで繋がっていたような気がして、私はじんわりと胸のあたりが温まるのを感じたのだった。

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