第34話 アリシアとリサ


「あら、お出かけですか、マリーお嬢様」


 私が珍しく慌ただしく準備をしているのに気づいたのか、メイがそう声をかけた。私は庭の物置から魔石を入れた袋を魔法で浮かせて連れてきたところで、メイはちょうど庭のハーブの手入れをしてくれていたようだった。


「ええ。ちょっと王都に出てきます」


「が、外出⁉ かの引きこもりお嬢様がっ……!」


「わ、私だって出かけるときくらいあります……」


「冗談ですよ。承知いたしました。お気をつけて」


「はい、留守をお願いしますね!」


 すっかり信用しきったメイに留守を任せると言うと、私は小屋に入ってから、玄関へ向かう。そして扉を開いて外に出ると、そこではアリシアが私の箒に乗ってふわふわと飛ぶ練習をしていた。


「アリシア! もうすっかり飛べていますね」


「はい、お姉さま! 飛ぶのはめちゃくちゃ楽しいです!」


 アリシアは箒にまたがり、地面から二メートルほどのところを行ったり来たりしていた。一人で練習するときはあまり高く飛んではいけないという私の言いつけをしっかり守っているようだった。


「自分よりも大きい物を浮かせるイメージに滞りが無くなったようなので、頃合いかと思っていたんです。想像どおりでしたね」


「『物を浮かせるのも箒で飛ぶのも、一緒のこと。自分より重い物を軽々と浮かすイメージに慣れれば、箒で飛ぶ自分のイメージも、決して破綻しません』でしたよね」


「そ、そんな一言一句覚えなくても……」


 真似をして人差し指を立ててそう言ったアリシアに、私は少し気恥ずかしくなる。しかし言っていることはその通り。さらに、ひとたび箒に乗れてしまったのならば、その後は自転車の乗り方を滅多に忘れないように、乗れなくなることなどほとんどないのだ。


「楽しんでいるところすみません。箒を貸していただけませんか? 少し、出かけてきます」


「お、お姉様が⁉ が、外出を⁉」


「あのねえ……あなたたち……」


 メイに続いてアリシアにも、必要以上に驚かれ、私はため息を吐いた。ところが実際出かけたくないというのが本音なので、何も否定はできなかった。


「……リサさんのところに行くんですね?」


 アリシアはゆっくりと私の近くで箒を下りて、むすっとした表情でそう尋ねた。魔石の袋を持っていることから、どこに行くのか見当がついたらしい。


「え? え、ええ。そうですけど……」


「浮気しに行くんですね?」


「ち、違いますよ! ただの野暮用です……」


「言うに事を欠いて野暮用! 一番怪しい説明じゃないですか。はぁーあ、もうがっかり。お姉さまは私に飽きて、大人の女のところに行くんだ。最悪。もう王城に戻ろうかな」


「ちょ、ちょっと……冗談でもそんなこと、言わないでくださいよ」


「だったら私も行きます。後ろ暗いことがないなら、問題ないですよね?」


「で、でも。アリシアは王家の人に探されているし、王都までは遠いんですよ。知っているでしょう? 二人乗りだと疲れてしまいますよ? その、ずっとぴったりだし」


「私は何時間お姉さまとぴったりくっついていたも、嫌じゃありませんけどね。お姉さまは、違うんでしょうけど!」


 私だって嫌ではない。とはいえ、そんなに何時間も緊張し続けていたら、私の心臓が持たない。しかしアリシアはそうやって拗ねて見せれば、最後には私が言うことを聞くことなんて分かりきっているようだった。


 いつだって私はアリシアの掌の上で転がされている。でも可愛いので仕方が無い。


「わ、わかりましたよ、もう……そんなに拗ねないでください。それじゃ、一緒に行きましょう」


「やった! お出かけだ~」


 さっきまでの拗ねた表情はどこへやら、両手を上げて喜んで、小屋に支度をするために戻って行くアリシアに続いて、私も再び小屋に戻った。


「あら、おかえりなさいませ、マリーお嬢様」


「まだ行っていませんよ」


「てっきり人が怖くなって帰ってきたのかと」


「……そういうときもありますけど、違いますから!」


 メイが来てからというもの、アリシアに加えてメイからもとことんからかわれる。いちいち反論に体力を使うので少し疲れるが、根底に信頼感があるので、さほど嫌な気はしなかった。


 私はメイとの掛け合いのあと書斎に進むと、引き出しを魔法で開けて、中から一つのつばつき帽子を取り出した。それは今身に着けているものよりも少しつばが小さく、高さのある帽子で、予備に持っていたものだった。それをふわふわと操り舞わせ、支度をしているアリシアの頭に、ぽすんと乗っけた。


「わっ! なんですか? 帽子!」


 一瞬視界が塞がれ、慌てて帽子を手に取ったアリシア。私はアリシアが驚くとはわかっていたので、それを微かな悪戯心を持ちながら眺めていた。


「ふふ……王都に行くんですから、せめて目立たないようにしないと。深くかぶって、あまり顔を見られないようにしてください」


「いいんですか⁉ やった、魔女帽子! えへへ、これで私も白魔女ですね……」


 アリシアは照れたように、そのつばを両手で下に引っ張って帽子を深くかぶった。その様子を見て、メイもいつもそうしてきたのだろうか、慣れた様子でアリシアを褒める。


「お似合いですよ、アリシアお嬢様」


「本当? えへへ~」


 アリシアはその紋切り型な誉め言葉にもかかわらず、口元が緩むのを抑えられないようで溶けるような顔で笑っている。可愛い。


 そうしてアリシアは剣を腰に差し、杖を持っていることも確認してから、帽子をかぶり、支度を終えた。私はいつものようにアリシアを前に乗せて、箒にまたがり、二人乗りをした。


 箒の柄には魔石を引っかけて運んでいるので、はた目から見れば過重積載だが、この程度ならなんてことはない。むしろアリシアを抱くようにして飛び、平常心を保つほうが大変だった。


 二時間以上かかる長い旅路だが、アリシアはその間よくしゃべってくれて、私は退屈しなかった。それどころか、いつもよりも半分くらいの時間で王都にたどり着いたような感覚がした。


 上空ですれ違う魔法使いがいれば、アリシアは手を振って挨拶した。弟子と二人で私たちが仲睦まじく飛んでいる様子を、魔法使いたちは微笑ましく思っているようで、微笑みながら挨拶を返してくれた。


 そんな道中で、私は一つの心配事をしていた。


 それはもちろん……アリシアとリサのことだ。


 私はアリシアのことが好きだ。そして私がアリシアのことを好きなのと同じくらい、アリシアも私を好きでいてくれていると勝手に思っている。しかし、リサも私のことが好きな様子だ。それは……どれくらい好きなのか、リサの考えはさっぱりわからないけど。


 そしてそれをアリシアとリサはお互いわかっているかもしれない。となれば、二人を会わせたら、いわゆる修羅場、という状況になるのではないだろうか? 二人が喧嘩でも始めたらどうしようか、と私は考えていた。


 しかし解決策もないまま、私たちは王都にたどり着いてしまった。交差点に降り、アリシアを隠すようにそそくさとリサの魔法用品店に入ると、今日も私たち以外には人は来ていないようだった。


「はい、いらっしゃーい……」


 リサが気だるげに、カウンターの奥から顔を覗かせる。


 そして、すぐにアリシアと私の顔を見て驚いた。出会わせたくない二人が、ついに再び、出会ってしまった。

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