第29話 一瞬の攻防


 私が腕を懐に伸ばした瞬間、メイは素早く身体を後ろに反らし、目の前の机を思いっきり真っ直ぐに蹴った。


 机は地に足を着けたまま勢いよくスライド移動し、向かいにいた私の腕に机の縁が激突する。杖を抜こうとしていた私の腕が、机と自分の身体の間に挟まれて、その動きを邪魔される。


 一瞬の出来事だ。


「くっ……」


 バランスを崩し、椅子から転げ落ちながらも、再び杖に手を伸ばし、抜く。


 メイは机の上を一歩、二歩と素早く走り、いつの間にかナイフを手にして、尻もちをついた私に迫る。私は杖をメイに向けたが、メイは素早くナイフでそれを斬り払う。


 長年親しんだ杖の半分から上が、抵抗もなくスパッと分裂した。


「何て切れ味……!」


「ふふ……! 勝負ありましたね!」


 どさっ、とメイは私の上に馬乗りになり、首元にナイフを突きつける。


 杖の持ち手は手から離れ、カラン、と音を立てて、地面に落ちる。私は杖を抜こうと思った瞬間から二秒も立たないうちに、メイに制圧されていた。


 とんでもなく、強い。明らかにただのメイドではなかった。


「大事な杖をすみません。でもこれくらいしないと、諦めないでしょう?」


「そうですね……杖は大事です」


 私はそっと、手のひらをメイの腹に当てる。


「……あなたみたいな人が、騙されてくれますから」


 手の先に魔力を込めて、解き放つ。


「なっ⁉」


 驚愕に歪んだメイの顔が、一瞬で遠ざかり、メイは天井に叩きつけられた。私は上へ手を掲げて、メイを天井に磔にしながら、ゆっくりと立ち上がる。メイのナイフは天井に叩きつけられた衝撃で取り落され、床に抵抗なく、さくっと突き刺さった。


「……杖なんて無くても魔法は使えます。特にこういった、大雑把な魔法は」


 私はゆっくりと手を降ろし、メイを天井から、自分の正面の空中へと移動させる。空中で身動きできないまま浮かされたメイは、少し焦ったような表情でこちらを見ている。


「無茶苦茶ですね……杖も使わずに、そんなに繊細に魔法をコントロールできるなんて、聞いたことありませんよ」


「もう諦めてください」


「でも、無茶苦茶なのは私も同じです……よ!」


 メイは何と空中で身をよじらせて、隠し持った、先ほどとは別の投げナイフをこちらに向けて放った。


「ぐぅっ……!」


 鋭い痛み……視界に入る、飛び散った微かな血。あまりに速すぎるナイフを、もろに食らってしまった。


 左腕にナイフが刺さった。しかし、メイの方へと向けた右腕は決して降ろさず、さらに力を籠める。


 痛みを感じたその焦りと怒りを乗せながら、メイを魔法で勢いよく正面の壁に叩きつける。巻き込まれたソファが倒れ、棚の上のフラスコや実験器具が飛び散り、床に落ちてバラバラになった。


「ぐああぁっ!」


 無表情で人形のようなメイの顔が、初めて苦痛に歪んだ。とんでもなく重いものが乗っているような力を、メイは全身に受けているはずだ。


 私はゆっくりと歩いて、メイに近づく。腕が焼けるように痛い。ぽたぽたと、地面に血が落ちる音がする。しかしそれを必死で意識の外に追い出し、ただメイの目だけを射殺すように見つめる。


 壁に魔力を込めて操ると、小屋の壁から太い木の枝が生え、メイの四肢を拘束する。がんじがらめに締め付けられ、再びメイは呻く。私はそこでようやく、自分の左腕に刺さった細い投げナイフを勢いよく抜いた。


「ううぅっ!」


 紛らわせるために自分を殴りたくなるくらいの激痛……ぱたた、と地面に血が多く流れ落ちた。


「ば、馬鹿な……たかが魔女が、どうしてここまで……? 普通じゃない……何者なんですか……」


 うろたえているメイの目の前に、血を流しながらようやくたどり着く。痛みで呼吸が荒くなり、汗が噴き出す。しかし意識をはっきりと保ち、メイのその耳元で囁く。覚悟と決意を胸に、私はメイに告げる。


「私は……転生者、マリー・マナフィリア。帰って、王都の人間に報告するなら、勝手にすればいい。だけど忠告しておけ……」


 必死で隠し通してきた転生者という事実でさえ……アリシアを守るためなら、簡単に言えてしまう。不思議なものだ。


「私からアリシアを奪いたいなら……軍団一つ引き換えにする覚悟で来い……と!」


 息切れしそうになりながら、それでも出来る限りのはったりを込めて、私はそう言う。メイの表情が、一瞬、心底震えたようなものに変わった。しかしその直後には、少し俯き、身体を震わせて笑っているように見えた。


 底が知れないメイの様子に、私は少し迷う。これでもし、自発的に帰ってくれないのなら、私はこいつをどうすればいいのだろう、と。


「……わかりました。ふふっ……ゾクゾクしてしまいました。こんな高揚はいつぶりでしょうか……」


「わかってくれましたか……?」


「ええ。間違いなく……あなたは、私のご主人様にふさわしいお方です……」


 頬を紅潮させ、上目遣いで歪んだ笑いを浮かべながら、メイは言った。


「はっ?」


 何か恐ろしいものに尻尾を掴まれたような感じがして聞き返した……その時だった。


 がちゃり、と扉の鍵が開いた音が響く。それと同時に、私の頭の中が、真っ白になる。


 そんな……解決したと思ったのに。間が悪すぎる。


「戻りましたよ、お姉さ………………え?」


 玄関の扉を開けて部屋に入ったアリシアは、しばし立ち尽くして、壁に拘束されたメイと、私のほうを呆然と見ている。そして持っていた大きな荷袋を、どさりと床に落とした。丸っこい芋が、ころころとこぼれ落ちた。

 

「ア、アリシア、これは……違うんです……」


 何が違うのかわからないが、とにかく私はまずい場面を見られたと思い、弁解する。


「な、なんでメイがここに……」


「おわかりでしょう、アリシア様。時が来たのですよ」


 メイが、首だけアリシアの方へと向けて、そう言い放った。


「お前……!」


 片付いたと思ったのに、結局メイの思い通りの展開になってしまい、私は怒りに震えてメイを拘束する枝の引き締めを強めた。


「あぁぁっ……!」


「お姉さまやめて!」


 アリシアは叫び、それをやめさせる。私はその叫びを聞いて、諦めたようにメイの拘束を解いた。するとメイは力なく壁の前に膝と手をついた。


「も、もうここにはいられません……ごめんなさい。ごめんなさいお姉様!」


 アリシアは怯えるような顔をして、何も持たずに今入ってきたばかりの玄関をくぐり、走って出て行ってしまう。やはり予想通りの展開になってしまった。アリシアは何かあれば迷惑をかけないようにすぐ出て行こうと、常日頃思っていたのかもしれない。


「アリシア!」


 私はすぐに追いかけようと数歩進んだところで、がくん、と膝が勝手に落ちるのを感じた。


「何、で……」


 自分でもどうしてかわからずに驚いていると、拘束を解かれたメイが私を支えるようにして駆け寄ってきた。私はついさっきまで戦っていた敵の、その意図が分からず困惑する。


「血を流しすぎたのですよ。お待ちください。今止血しますので……」


「どうして……?」


 先ほどまで私を仕留めようとしていた猟犬のようなメイの姿はそこにはなく、出会ったばかりの人形のようなきびきびした立ち振る舞いに戻っていた。


 何故アリシアを追わないのか疑問に思っていると、メイはポケットから白い布巾を取り出し、手慣れた様子で私の腕に巻いた。


「少し、話しましょうか。私も白熱しすぎました……いけませんね……」


 そう言うと、メイはソファを元の位置に戻して、私をそこに寝かせた。


「駄目です……すぐに追わないと……アリシアが」


「もう、邪魔だてはしませんよ。箒に乗れば、すぐ追い付けるでしょう。倒れる前に、しばしお休みください」


「どういうつもり……?」


 先ほどまで明確に敵対していたのに、突然手のひらを返したように、メイは態度を変えていた。私がそのわけを尋ねると、メイはゆっくりと説明を始めた。

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