第28話 正体
お昼寝日和な陽光が窓から差し、机の表面だけを眠りに誘っている。
なのに私は眠ることを許されず、突然現れたメイドのメイの向かいに座って、何故かぴりぴりとした緊張感の中に身を置いている。
「アリシアさんは確かにここにいますが、今は出かけています……」
「そうですか。安心しました」
事も無げにメイはそう言うと、また一口お茶を啜った。
「話というのは他でもありません。私は王国の命を受けて、アリシア様を連れ戻しに参りました。アリシア様を解放して欲しいのです。いえ……もちろんわかっています。あなたが捕えているわけではなく、アリシア様が逃げ込んだのであろうということは」
「お、王国? でも、……そうです。私、アリシアを捕まえているわけではありません」
「しかし誰もがそう捉えてくれるわけではない。人を避け続ける怪しい森の魔女が、唐突に”王女”を弟子に取ったとあらば、誘拐、あるいは洗脳されたと受け取られても、おかしくはありません」
「王女……? 今、王女、って言った?」
私が聞き間違いかと思ってそう確認すると、メイは怪訝な顔をして首を傾げた。
「……はい? まさか、ご存じないので?」
「ちょっと待ってよ。アリシアが王女だって、そう言ってるの? さすがにそんなの、馬鹿げてます」
「……はぁ……参りました。白魔女は世俗を離れて久しいとは聞いていましたが……ここまでとは」
メイは呆れたように、大きくため息を吐いた。そして、再び息を大きく吸い込むと、説明を始める。
「アリシア・リィアーナ、第二王女……いえ、今は第一王女でしょうか。アリシア、と言えばほとんどの人は王女のことを思い浮かべます。まあ、確かに伝統的によく使われる名前でもありますので、王国内には同じ名前の方もいらっしゃいます」
アリシアが、王女?
高貴な生まれだということは予想していたが、それはあくまで貴族の令嬢とか、豪商の娘とか、その程度だと考えていた。それなら、例えアリシアが意志にそぐわず連れ帰られそうになれば……私一人で何とかできるだろう。守ってあげられるだろうなどと考えていた。
それが、王女? さすがにそんなことは想像もしていなかった。だいたい、一国の王女がこんな遠いところまで一人で来るはずがない。絶対何かの間違いだ。
「だ、騙しているんですよね? どうしても連れ帰らないといけないから、そんな嘘を?」
「アリシア様は……外遊から戻ったところを王国内で襲撃されました。そしてアリシア様のみ、その姿が見つからず失踪扱いとなっており、国を挙げて捜索がなされています。まあ、そんなことを大っぴらには言えないので、まだ公にはされておりません」
「そんなことが……」
信じがたいことだが、アリシアの心に時々影が差す理由も、それで説明ができてしまうかもしれない。リサも先日、王国ははかりごとばかりだと言っていたし、その話をした時にアリシアが暗い表情をしていたのも、リサがからかったせいではなくその話題のためだったということだろうか?
「まさか、本当に?」
「さすがに、思い当たることもあったみたいですね。つまるところ、あなたの立場は非常に危ういです。失踪した王女が、怪しい魔女に匿われていた。そして、アリシア様の襲撃を指示した犯人は今のところわかっていない……」
「でも、私、何もしていません……」
「それは承知の上。しかしあなたは罪を着せるのに物凄くちょうどいい。もし、王国内にアリシア様の襲撃を指示した人物がいた場合……その人物にとって白魔女という存在は非常に都合がいい。あなたに全て罪を着せて、口を封じて処刑してしまえば、アリシア様の暗殺をしくじったことを帳消しにできるのだから……」
気持ち悪い。そう思った。思わず口を押さえる。
アリシアの命が狙われていた上に、それが身内からの攻撃かもしれない。犯人はわからず、アリシアは表面上は安否を心配されて捜索されており、犯人はアリシアが見つかるまでに、アリシアを殺し損なった罪を誰かに着せようとしている。
じゃあアリシアの心は? 苦しみは、気持ちは、誰が慮ってくれるのだろうか?
全てが損得勘定で動いており、人の心などどこにも無いように思えた。そしてそれをメイは淡々と、ただ事実を述べるように話すだけだった。
「ですので、アリシア様を王城へ返したほうが、あなたのためですし、アリシア様のためにもなるでしょう」
「……嫌です。アリシアをそんな危険なところへは返せません……!」
アリシアは命を狙われている。犯人はわかっていない。そんなところへアリシアを返すわけにはいかない。当然だ。王女だろうがなんだろうが、関係ない。
「……はい? 話、聞いてました? 王女なんですよ?」
「関係ありません。アリシアはアリシアです。アリシアの過去のことも、本当は聞くつもりはなかったんです」
「……強情ですね。しかし、よく考えてください。私が来た時点で、既に王国に場所が割れてしまっているんです。あなたが誘拐犯に仕立て上げられる可能性があるのに、アリシア様自身がここに残るとお思いですか?」
「な、何を言って……そんなこと私は許しません」
「アリシア様はそういう方です。ですので、アリシア様がここに帰ってきた時点で話は終わりです。それまでゆっくりと、ここで待たせてもらいます」
メイの言う通りだ。今の話を聞けば、アリシアは、私に迷惑をかけまいと、出て行ってしまうかもしれない。あの子は天真爛漫で、悩みなどないように見せながら、心の奥底では人に寄り添って、想像以上のことに考えを巡らせているような子なのだ。
だとすれば……どうすればいい?
「しかし、白魔女様は本当にリリア様にそっくりですね。アリシア様が慕うのも納得です。どこか弱気で自分の意志がないようで、一枚めくれば根っこを強く地に張っている……」
「リリア様って……? もしかして……」
一つの懸念……あの子が私より前から、お姉さまと呼んで慕っていた、もう一人の女性。
それはアリシアがうなされているときに漏らした、微かなヒントだった。
その人が、もし、アリシアのことを守ると誓ってくれるのであれば……私は諦めてしまうかもしれない。だってあの子は最初からその本当の”お姉さま”しか見ていなくて、私は代替品だ。
いつか修行が終われば、その人のもとに帰ってしまう。それはあの子を私がここに受け入れた時から思い描いていた、少し寂しい、それでも決まり切った未来だった。
もし、その時が、思ったより早く来てしまったのであれば……私は……やっぱり寂しくあの子の背中を見送るしかないのかもしれない。
「リリア第一王女……白百合姫は……アリシア様のお姉様です。いえ、正確には……お姉様でした。アリシア様が襲われるよりも前に、暗殺され、既に亡くなっています。土砂降りの……雨の日のことでした」
「え……? じゃああの子の慕う”お姉さま”は……もうこの世にいないの?」
「ええ。気配りができて、思いやりがあり、混乱する王家をなんとか一つにしようと……その人生を捧げた方でした。自己を犠牲にして、憎み合っている者同士の調和を望む……私の直接の主人ではありませんが……尊敬に値するお方です」
あの子の心の闇……それは姉と慕っていたリリア王女を暗殺されて失ってしまったことだった。
そこで、全てが腑に落ちた。
私を突然お姉さまと呼んだこと。うなされて泣いていたこと。魔法に集中できなかった理由。雨が嫌いな理由。紋章入りの杖を喜んでくれたこと。重い過去を抱えて、それでも元気に振舞っていた、アリシアの、笑顔。
しばし鳥肌が立ち、私は震えた。
そして、急速回転し始めた脳内は、妙な冷静さと共に、そのまま次にすべきことを考える。
アリシアがここに帰ってきて、メイに会えば、アリシアはここから去ることを選んでしまう。アリシアを待つ、守ってくれるべき”お姉さま”……リリア王女は、もういない。だとすれば、私がすべきことは……
メイとアリシアを、はじめから会わせないようにすることだ。
私は懐に入れた杖が、確かにそこにあることを、少し背を反らして確認する。肋骨の隅に当たる硬い感触。持ち忘れてはいない。しかし、メイがぴくっと、その微かな動きに反応する。
「今……何を考えたのですか? 残念ながら、それはお勧めできません。私……これでも結構強いんですよ」
それは脅しではない。私のほんの少しの動きで、私が何をしようとしているのか、察しているのだから……それ自体が全てを物語っている。そもそも黒森を皺ひとつないメイド服で抜けてくる……そんな人間が、只者であるはずがなかった。
永遠にも感じる沈黙。
決定的な一瞬には、呼吸すら邪魔者だった。
私は……素早く右手を、左側の懐に伸ばす。
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